澪 25号の構想

文芸同人誌 澪 25号の作品の構想を考えなければならない

今回はこれまで続けて来たインド物のフォトエッセーではなく、編集長からいくつか示唆を頂いて、少し、いや大分毛色の変わったものを、と2つ考えていた

一つは、私が11月の写真展で出展した写真に題材を取って、自分の少年期の内面的な迷い、来し方を表現するようなものを構成するか、もう一つは写真の疑似的な「ソラリゼーション(※)」と言う技法を使って、ホラーSFのフォトエッセイ (= ホラーSFフォトストーリーとでもいうのが適切かも知れない)を構成するかだ

両方について進めていたが、前者はかなりストーリーと写真の材料に吟味が必要で、長期戦となって25号に間に合わないか、成立しないかのどちらかになりそうだ

後者(ホラーSFフォトストーリー)は以前から温めていたものだが、かなり思い切った書きっぷりになり、「澪」のテイストにマッチするか、事前に編集長に相談が必要だと思っていたが、編集長の先生とお話しした際に、そういう実験的なことは歓迎する、と言う助言を頂いたので、25号はこれで進めたいと思っている

※ 「疑似的なソラリゼーション」については先日このBlogにこのような書き込みをした

2024/12/08
んねぞう

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12 2024

M.2 SSD換装

先日導入した3DゲームのMicrosoft Flight Simulator(以後MSFS)の起動に時間がかかるので、業を煮やして結局大容量のM.2SSDを買った。MSFSのインストールに関するごたごたはここを参照。ブランドは宗教上の理由によりKIOXIAの2TB、NVMe, PCIe4.0

裏面には何もないので、いわゆる片面実装と言う奴だな

性能はほぼ仕様通り。これまで使ってきたKIOXIAの500GB(NVMe, PCIe3.0)のSSDはそのままバックアップとして保管する

換装にあたって、前回初めて512GBのSSDを設置した時と違うのは、拡張スロットにRTX4060が鎮座ましましており、SSDスロットが巨大空冷クーラーとの間の谷間に完全に埋没してしまい、どのようにしても到達不可能であること。下にグラフィックスボード、上には巨大CPUクーラーの張り出し、右にはメモリの壁でどうにもならない。クーラーを取り外すのは、復旧する時にCPUグリスが必要で、手持ちもなく面倒なので、それではグラフィックスボードを取り外してやろうと思って、ネジを緩めて引っ張って見たがなかなか取れない。ぐりぐりと引っ張っていたら「ぐきっ」と言う不吉な音と共にボードが抜けた。恐る恐る抜けた後のPCIソケットを見たら、何やら見慣れないプラスチック部品が転がっている。あ、これは力ずくで引っ張ったせいでグラボ固定のラッチがイカれたと一瞬で感得した。私は、起こってしまった後の状況を感得するのは素早いのだが、これをもう少し早く察知できたら、人生もっと楽に過ごせたのにな、と思う。下の写真は、これを見なかったことにして、しれっと元に戻した状態。高級なマザーボードだと大きなグラフィックスボードに対応するために、リンク機構を使って操作しやすい場所にレバーが設置されているのだろうな

さて、SSDを換装して、グラフィックスボードを差し込んで、モニタケーブルを差して、電源スイッチオンしても、システムは立ち上がっているようだが画面表示がない。グラフィックスボードを抜いてモニタケーブルをマザーボードのジャックにつなげると表示されるという現象に遭遇して、いろいろやっているうちにグラフィックスボードの補助電源を差し忘れていることに気が付き、解決(orz)。この過程でまたラッチの部品を飛ばしてしまっていることは黙っていようと思ったが書いてしまった

目的のMSFSの起動時間だが、換装前後の起動時間を測った結果が下記(起動から最初のメニュー画面になるまで)

起動が倍のスピードになったが、そんなものなのかな~と言う感じ。考えて見ると起動はディスクのアクセスだけでなく、データの展開、更新のチェック等も行っているのだから、10倍早くなるということもないわな、と無理やり自分を納得させている

2024/11/24
んねぞう

作品展

私の所属する写真倶楽部の作品展が開催された。私は白黒写真4点を出展させて頂いた。作品はそのうち写真ブログ「んねブラ」の「展示室」に晒します

2024/11/10
んねぞう

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11 2024

なんちゃってそらりぜーしょん

写真教室の先生から「ソラリゼーション(solarisation)」の技法の紹介を頂いた

名前は聞いていたが、調べると、ソラリゼーションとは、フィルムの現像・焼き付けの処理において、暗室の引き伸ばし機によって感光紙に露光した後に、意図的に光を与える操作を行うことによって、本来は白くなる部分が黒に色が反転する反応、および一次露光で多量の光を受けた黒い部分と少量の光を受けた白い部分が隣接する場合は、銀の生成物の反応速度や濃度によって白色と黒色の境界に明瞭な線(マッキー線 Mckee line)が現れる効果を言うのだそうだ
私は現在フィルム現像はやっていないので、本来のソラリゼーションはできないが、ソフトでトーンカーブをいじって疑似的なソラリゼーションをすることはできる。いくつか遊んでみた

Lightroomで、写真のトーンカーブを操作して効果を見る。加工後の写真と、Lightroomのトーンカーブのキャプチャをアップロードする

もともとの写真は階調に乏しい写真なのだが、トーンカーブを極端に操作することにより、不思議な効果が出る

歩いている人の姿がかき消されそうになっている

マッキー線が出た

さらにいじると輪郭線だけが抽出された。マン・レイみたいだ

トーンカーブの他にコントラスト、ハイライト、シャドウなどの操作によっても様々に様相が変わる。どこをどうすれば良いか挙動が掴めないが、使いようによっては面白い効果を狙えそうだ

2024/11/7
んねぞう

パブリックドメインの楽譜

 前の書き込みで、バイオリンを再開したことを書いた

 勢いで、OBの演奏会の演目の一つであったHenry PurcelのAbdelazer組曲のうち、OuvertureとRondeau(これはBrittenの「青少年のための管弦楽入門」のテーマとしての方が有名)の演奏をYouTubeで見ながら自分で採譜して弾いたりしている

 その採譜だが、著作権の切れた曲を自分で採譜して公開するのは問題ないが、他人の演奏を聴きながら採譜すると、その演奏に著作権がある場合は、楽曲自体の著作権が切れた場合でも演奏の著作隣接権の関係で、クレームを受ける可能性があるということだった。これを避けるためには、著作権の切れた楽曲でも、パブリックドメインとなっている演奏から採譜するか、またはパブリックドメインになっている楽譜を使うのが良いということのようだ

 幸い、この曲にはパブリックドメインとなっている演奏と楽譜があったので楽譜を見比べたところ、私の採譜した楽譜とパブリックドメインの楽譜と実質的に一致しているので、セーフと言う理解で良いだろうか。

 「実質的に」と言うのはあいまいな言葉だが、違っていた点を列記すると下記

① タイ/スラーの使い方が異なる
② Ouvertureでは、パブリックドメインの楽譜では2分の2拍子となっているのに対し、私の楽譜では4分の4拍子となっている(演奏を聴いても私にはそこまでわからん)
③ Rondeauでは、パブリックドメインの楽譜では2分の3拍子となっているのに対し、私の楽譜では4分の3拍子となっている(同上)

Ouverture

Rondeau

 極端なことを言えばYouTubeの演奏を聴いて採譜した限り、著作隣接権の侵害にあたり、結果的にいくらパブリックドメインの楽譜と一致しているからと言ってクレームは免れないということなのだろうが…

 ここまで読んでこられた方は、パブリックドメインの楽譜があるのに、なぜ自分で採譜しようとしたか疑問を持たれたと思う。そうさ、採譜した後、公開の可否について調べているうちにこういうパブリックドメインのサイトがあることが分かったのさ。悔しいからここに自分の楽譜を貼って置くわ。下部にTranscription by nNEZOUと書いておいたから間違って使わないようにして下さい。使っても良いけど責任は負わないっす

【まとめ】
今回のYouTubeからの楽譜の採譜/公開の問題について、私は下記のように考えます。
問題あればご指摘下さい

 当初YouTubeのあるチャンネルの演奏を聴きながら、自分で採譜した。
 その後、パブリックドメインのサイトで、楽譜が公開されたことに気づき、見て見たら、実質的な内容がほぼ一致していた。
 YouTubeの演奏からの採譜と、パブリックドメインの楽譜を比較すると、YouTubeの著作隣接権に抵触するほど演奏のオリジナリティに差が出るような内容では全くないと判断するので、公開する。

参考情報 : パブリックドメインを収蔵しているサイト
MUSOPEN https://musopen.org/music

2024/10/26
んねぞう

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10 2024

バイオリン再開 – 封印を解く

 大学時代に、地域のアマチュアオーケストラと大学のバロック弦楽アンサンブルに所属してバイオリンを弾いていた。就職して都会に出てからも数年はその地域のアマチュアオーケストラでバイオリンを弾いていた。それぞれの場所でコンサータマスターを務めていた時期もあったが、子育てや仕事が忙しくなって、かなりの年月、バイオリン(以下Vn.)の演奏からは遠ざかっていた。偶に恐る恐る楽器のケースを開けて崩壊していないか確かめる程度。(例えばこことかここ)

音色が気に入って買った年代物。仲間からはシーラカンスと言われていた。弓は奥さんとの結婚に際して結納返しで頂いたもの

 そのような毎日を過ごしていたある日、1通の手紙が会社に届いた。差出人は仕事とは関係のない、大学時代の弦楽合奏団のメンバから。開けて見ると、OBが関東のある都市で演奏会を開催するので参加しないかという内容だった。私の連絡先が分からなかったので、会社に出して見たとのこと。私もVn.から離れて久しいので、出演は遠慮しておくとの返事をした。断りはしたものの、私を忘れずにいてくれたことがとても嬉しく、そして、数十年ぶりに名前を聞く懐かしいメンバばかりなので、当日、電車を乗り継いで会場に行って、かつての仲間と再会した。卒業以来一度も会っていないが、面影が残っているので、容易に名前と顔が一致するメンバがほとんどだった。しかし、年月の経過はすごいもので、みんな20歳台の頼りなげな顔だったのが、今は一角の人物の顔つきとなっていることに、感慨深いものがあった。それに引き換えこの俺は…と言う感慨も足し合わされて感無量。開演前、楽屋で会った時に口々に「どうして楽器を持って来なかったんだ」と言う言葉をかけてくれた時には涙が出そうになった

 客席で演奏を聴いていると、昔弾いていた時の思い出が蘇って来たり、「ああ、この箇所を弾くこの人の癖は変わっていないな」と思ったり、この場には来ていない先輩の事も思い出されたりしてVn.を弾く楽しさの記憶が膨れ上がって来て、「お前の憧れている世界はやはりここではないのか」と言う思いが頭の中に充満していた

 打ち上げにも飛び入りで参加させてもらい、皆と久闊を叙しつつ、二次会で今回の幹事役を務めてくれたメンバのお宅にもお邪魔して積もる話に花を咲かせた。メンバの中には演奏活動をずっと継続している人、それどころか夫婦でオーケストラを立ち上げた人もいて、その情熱には私は感嘆するのだが、私のように長期間遠ざかっていたが、定年退職を機に再開したという人もいて、それを聞いて自分の中のハードルも多少下がったので、来年は…と心に決めた。実を言うと、現役時代は増長して、人の心を踏みにじるようなことをいくつもして来た負い目があったが、メンバが私を温かく迎えてくれたことで長年抑え込んでいたものの封印が解けた、そのような気持ちだった

 夜も更けて、帰り道、2時間の電車の中でも興奮が冷めやらず、自宅の最寄り駅のバーでジントニック2杯とウイスキーのオンザロックを1杯飲んでChill outし、自宅に帰ったのは夜更けの2時頃だった

 演奏から離れていた間も、バロック音楽は始終ストリーミングやYouTubeで視聴していたので、若い頃からは、音のニュアンスの付け方については知識と、自分ならこう弾きたいというイメージが増えていると思う。これを自分でどう実現するかが課題

 帰って来て楽器のケースを開けて見たら、楽器に異常はなかった。後は本体(私)のリハビリだ、これが最大の課題

2024/10/23
んねぞう

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10 2024

マウス壊れた

数年来仕事とプライベートの両方で使っていたマウスのホイールが利かなくなった

Logicool M280と言う何の変哲もないマウスだが、7~8年前に買って、そうこうしているうちに在宅勤務体制に入って仕事で使いまくった挙句、右手小指の当たる部分のラバーがえぐれて地肌が露出した。仕事での汗と涙と鼻水にまみれてさんざん働いてくれたから、もう良いよね

それではと取り出したのが下のマウス

Logicool M305。10数年前に新橋駅前にあったヤマダ電機の店頭に吊るしで売られていたものを買った。小ぶりなので専ら出張時に使っていたのだが、今使って見るとドラッグで範囲指定する時の挙動がおかしくなっていたので、これも定年と言うことで、良いよね

読者に良いよねと聞いても返事のしようがないと思うが、ここは誰も来ないので、気兼ねなく聞ける。と言うか、この記事はこれらマウスたちの供養の意味で、私個人の記録として残す

残るは趣味のサークルのイベントのために100円ショップで買った100円マウスだが、これを使うわけには行かないので、LogicoolのM650Lを買った。静音で具合が良い

M650にはS/M/Lの3つのサイズがあるようだが、最寄りの電器店にはLサイズしかなく、迷ったがLサイズを買った。私のマウスの持ち方は、比較的小さな物をつまむようにして使っている系統らしいので、持ち方を変える必要があるようだ。これまで掌は何処にも接触していなかったが、今度のマウスは掌全体でマウスの山を包み込むようにして持つ。マウスカーソルの移動量が大きい時に、マウスを持ち上げて移動させる操作、これを私は「仕切り直し」と言っているが、大きいマウスは持ち上げるのに多少大きな力がいるようだ。これが連続して操作する時にどれくらい疲労に効いて来るかと、掌全体がマウスに密着することで汗がたまって不快にならないか(どうも私は掌が火照る体質のようで)が目下の関心事

2024/10/21
んねぞう

ゲーム始めました

えーっと、昨年PCを新たに組み上げるにあたってPC要件を検討する際に、「3Dゲームはしない」と規定した。だが、「硬派の俺はM.2 SSDなんか使わねんだ」と言った舌の根が乾いたのに続き、「ゲームはしない」と言った舌の根も乾いてしまい、Microsoft Flight Simulator (長いので以下MSFS)がしたくなったので、その機材をそろえた。必要なのはMSFSのソフト、フライトスティック、そしてグラフィックスボードである

グラフィックスボード

キーとなるのがやはりグラフィックスボードで、せっかく4kモニタがあるのでこれを使って遊びたい。WebやYouTubeで調べたところ、最低でもGeforceだとRTX4070以上が必要と言うことだった。しかしこれは私の予算を大幅に超過し、出せるのはRTX4060クラスまで。RTX4060はあくまでもFHD環境で快適に使えるレベルの性能とのこと。しかし下記の理由でRTX4060に賭けることにした。

  • 3Dシューティングゲームと違って極端に高いフレームレート(以下fps)は必要ない。最低で45fps程度が確保できれば良い。私のモニタもリフレッシュレートが60fpsだし
  • DLSS機能を有効にすれば、fpsが最大2倍になるらしい

と言うことで、RTX4060の巷で一番安かった下記のカードを買った

DOS/Vパラダイスで\44,800、8Pin×1電源コネクタ、DP×3、HDMI×1、デュアルファン。シングルファンの製品もあったが、2つのファンを低回転数で使うことによって冷却効率や騒音の面で有利ではないかと思って選んだ。右下の写真はこれまで使っていたGTX750Tiとの比較。大分出世した感がある

グラフィックスボードの長さが250mm程度あり、Micro ATXのMother Boardに取り付けたところ。ケース自体は338mmまで収容可能なのでスペースに余裕はあるが、今見ると若干垂れ下がっている。折を見てつっかい棒でも考える

フライトスティック

本当はAitbusではなくBoeingのタイプのヨークが欲しかったが、欲を言えばきりがないので定番らしいThrustmasterのAIRBUS Editionを買った

インストール – 事故

HDDにインストールするのに数時間かかった。あまりの遅さに、使い道がなく仕舞っておいた256GBのSATA SSD引っ張り出して、再度インストールを始めた。ところが何かのトラブルが起こってHDD1台が異音を出して代替セクタが異常に増えて、その巻き添えを食ったか、SSDも同様の事態となった。原因は、多分、ケースを開けて、ドライブ冷却用にUSB駆動のファンをケースの中に置いた置いたのがHDD上に落下した衝撃でヘッドがディスクに接触でもしたのだろうと思う。悪いことに、このファンには、座りを良くするために金属製の重りをタイラップで縛り付けていたため、HDDの本体にかなりの衝撃となったと思われる。幸いなことにディスクのバックアップは取っていたので、最近買った4TBのHDDにリストアして事なきを得た。と言うことでMSFSは残ったHDDにインストール

運用 – 設定

インストールした後、いろいろ設定を試行錯誤しているが、現在のところの設定は下記。因みに起動してこの画面に到達するまでに4分近くかかる

上記の設定で、飛ばして見た4k画面が下の画面。多分地形の高精細データが用意されているヨーロッパの空域を低空で飛んでいるので、条件としてはそこそこ厳しいのではないかと思うが、画面左上に小さく表示されているMSI Afterburnerでは55fpsと表示されている。この状態で瞬間的に極端にフレームレートが落ちて一瞬凍り付くということもないので、まあ満足

パラメータの正確な意味も分からずに設定しているが、気分に応じて色々振って見る、これも遊びの一つと思えば良い

運用 – システムのバランス

タスクマネージャを見ると、GPUの負荷と温度が70%/69℃であるのに対してCPUは負荷15%程度、使用メモリは12.4GBであり、GPUに対してCPUには非常に余裕があるというアンバランス状態であることが確かめられた。これはRTX4060を選択した時点でわかっている。GPUメモリが8GB中7.3GB程度使われているが、仮にこれが12GBだったらGPUのパフォーマンスは向上、その分CPUの負荷が上がり、全体としてパフォーマンス(fps)が向上するのだろうか。また、メモリの搭載量は現状16GBだが、これを仮に32GBに増量すると、多少はパフォーマンスは上がるのだろうか

気になったのは、Crystal Disk Infoでモニタリングしながら運用していたら、突然チンチロリンと言う音がして、C:ドライブの温度が赤く60℃の表示となっていたこと。これはM.2のSSDで、Mother Boardの配置上グラボとCPUの間にあって、グラボの熱風が上空を流れている環境のため、排熱がうまく行っていないためと思われる。この対策をしなければいけないのかも知れない。ケース内のエアフローを考えると、一筋縄ではいかない気がする。SSDを今の場所(CPU直結)からグラボの下にあるNVMeソケット(チップセット接続)に移し替えると言う方法も含めて、そのうち試して見たい

2020/8/31
んねぞう

福原路草とハンマースホイ

新型コロナウィルス蔓延以来数年ぶりに美術館巡りをした

最初に訪れたのは東京都写真美術館で開催されていた企画展のうち、3Fの「時間旅行」と2Fの「記憶・リメンブランス」

3Fの「時間旅行」は、宮沢賢治の詩集の一節をモチーフとして、写真の持つ時空を超えた記録性に着目してそれぞの場所で紡ぎ出される物語と出会う、と言うもの。ここで私が惹かれたのは次の2点

■熊沢麿二「かげ」(収蔵品検索では「影」)
https://collection.topmuseum.jp/Publish/detailPage/17431/

■福原路草「トタン塀」(収蔵品検索では「塀」)
https://collection.topmuseum.jp/Publish/detailPage/30287/

ここで3時間ほど過ごした。私の鑑賞の方法は、まず一通り順路に従って見た後、再入場するか、順路を逆回りしたりして、もう一度見る。然る後に、この中で自分が好きな作品は何かという視点で、今度はランダムに歩いて、いろいろな作品の前にじっと佇んで見るというスタイル。その中で、人の波が寄せたり、引いたりしていることが分かるので、人が蝟集している場所は避けつつ、自分一人で鑑賞ができるタイミングがつかめて来る。会場を何度も行ったり来たりするので、監視の係の人には異常に見えているかも知れない。挙動不審で声をかけられたら、その時は説明するまでさ

「かげ」は1924年、ちょうど今から100年前に撮影された、漆喰の壁に冬の枯れ木の枝の影が落ちている構図の、セピア色の写真である。前景に常緑樹の枝があしらわれ、人物は入っていない

「トタン塀」は、波板のトタン塀が画面下半分を占め、残りの上半分は晴れた空をバックに塀の陰からひょろっと何かの枝が垂直に伸び、塀には、撮影者の背後の家の屋根が三角の影を落としている。前の写真の10年後の1934年撮影

これらの2つの写真の共通点は、シンプルな構図の中に、光と影が効果的に配置されているということだろうか。特に「トタン塀」には、塀と枯れ枝、家屋の影以外の構成要素はないが、その奥の世界を思わせる。こういう感想は、多分この写真を見た多くの人が持つのではないかと思う。ひょっとして私だけという可能性もなくはないが、これを認めてしまうと話が進まないので、ここでは多くの人が私と同じ感想を持つということにする

本題はこれからなのだが、このようなシンプルな写真は、実は私も撮る。例えばこのような写真(私の写真ブログ「んねブラ」より)

この拙作と前2作品の共通点は、構成要素がシンプルであることだが、これらの写真の評価には雲泥の差があることは間違いない。この差が何か、ということがわからない

写真は誰のために撮るものでもない、自分のために撮るものであるとは、私が所属している写真教室の先生の言葉であるが、まさにその通りで、人に見せるでもく、展覧会に出展するでもなく、他人が自分の写真をどう評価しようが知ったことではなく、自分が良いと思ったら撮る、それが基本だと思っている。ただ、自分の撮った写真が、人類普遍の美の基準も併せて満たしているのであればさらに良いだろうと言う欲が多少ある。それは、商業写真として見た時に良い写真だったり、写真コンテストで上位入賞を狙えるようなノウハウを駆使した写真ではなく、自分がどういう気持ちなのか、どのように物を見ているかをわかって貰える、少なくとも「ほう。で?」と言われないような写真ができれば良いと言うこと。だから何年も写真教室に通っていながら未だに本質をわかっていない人間が、多分死ぬまで解けないだろう疑問を抱えつつ美術館界隈をうろつくのだ

2Fの「記憶・リメンブランス」は、疲れて来たこともあって、さしたる感興も起こらず、次いで上野の西洋美術館の常設展に行く

ここでは、

■ヴィルヘルム・ハンマースホイ 「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」
https://collection.nmwa.go.jp/P.2008-0003.html

と言う油彩画が強く印象に残った(URLは国立西洋美術館の収蔵品検索)。すごく静謐(静謐にすごいも何もあるのかと言う疑問はあるが)を感じる絵画であり、妻への慈しみが感じられる光景でもあった

硬質の木の床、磨き上げられた木製のテーブルの上に錫(銀?)の皿、開け放たれた扉の奥の部屋で、華奢な後ろ姿でピアノを弾いている妻イーダ。左の窓からは北欧特有の白い、傾いた光が差している。全体に色彩とトーンが抑えられ、薄暗い室内に窓から差した斜めの光が妻のうなじを白く浮き立たせているのが印象的だ。弾いているのは、リストやショパンのポロネーズとかではなく、サティや、それほど有名ではない作曲家の小品でありたい

帰り道、これもまた数年ぶりに一人反省会をするために居酒屋に入ったら、ちょうど2時間飲み放題をやっていたので頼んだ。上に書いたようなことを考えつつ飲んで、帰る頃にはべろんべろんになったことは秘密にしておこうと思ったが、書いてしまった

2024/06/07
んねぞう

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06 2024

文芸同人誌「澪」23号 – もう書くことがない

私の所属している文芸同人誌「澪」の第23号が3月に刊行され、昨日同人による合評会が開催された

前号(22号)の私のフォトエッセイに対して、同人から一様に受けた指摘は、写真を撮ったその場で、自分が何を考え、何を思ったのかを前面に出した方が良いというものだったので、今号はそのようにしてみた。その結果、合評会の席では、自分を「偽善者」と規定してしまっていること、特に最後の頁ではこの言葉が3回も使われていることなどから、なぜ自分を偽善者と規定したか、と言う点に議論が集中した。自分なりに、本当に考えたことをそのまま文章にして、書ききったことに対して、同人には真摯に読んで頂き、議論して頂いた

— それはそうとして —

自分がどう考えたか、と言うことについて、考えていることを突き詰めて書いた。フォトエッセーとして、インドだろうが津軽だろうがどこで何を撮って書いても、結局は23号に書いてあることがすべてなので、もうこれ以上書くことがない

次の原稿をどうしよう

2024/04/30
んねぞう

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04 2024