文芸同人誌 澪 到着!

私が文芸同人誌「澪」の同人として最初の投稿をした第15号が到着した。

まず最初に自分の投稿を確認。まずまず自分の思い通りの仕上がりになっていて、一安心。何せ初めてで、わからないことばかりでいろいろ教えていただきながらのことで、編集長の先生と編集を担当してくださった方に感謝。

幸いうちの奥さんにも好評で嬉しい。

私の作品の他は、いつものように中身の濃い小説、評論、写真、レポートが並んでいる。新型コロナウイルスの影響で、4月に予定されていた合評会が5月に延期された。合評会もこれまた私にとって初めてなので、どのような場なのか、まともに考えると張りつめた真剣 勝負の場になるのかと今からドキドキはらはらしつつも、半ば居直りの気持ちになって見たりして、落ち着かない。編集長の先生の言う、「ぷるぷる」状態だ。

しかし、何だな、自分の書いたものが活字になって、「本」という形になるというものは、嬉しいものだ。写真雑誌の写真コンテストに自分の写真が掲載されるのとは別の手応えがある。しばらくは自分のページを開いて「どや」とか言っている自分が目に見える

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2020/04/03
んねぞう

03

04 2020

新型コロナウイルスのせいで3月から変わったこと

新型コロナウイルスによって、世界全体が影響を受ける事態となった。私も職場や仕事の仕方に影響を受けている。その内容について心覚えに書き出してみる。

部下の外国人が動揺しないように、新型コロナウイルス関連で必要と思われる情報は英訳して教えることが増えた。言葉も不自由で、頼れる親戚などもいない異国で、今まで誰も経験したことのない地球的な災厄に巻き込まれ、不安を感ずるのは無理もないことである。日本のメディアの報道と、海外メディアの報道の仕方の違いによるものなのかも知れないが、外国人はとにかく断定的な表現を求めたがる。 安心を求める気持ちが働くこともあるのかも知れないが、それに反する報道が出ると日本人以上にサスペンスの感情が働くようだ。政府が総理大臣に緊急事態を宣言する権限を与えたことが報じられると、すぐにでも緊急事態が宣言されるという受け取り方をして、説明の仕方を間違えると浮足立ちかねない危うさを感じる。肺炎の説明についても、昨日シンガポール政府の作成した症状の出始めから日を追ってどのように症状が進行してゆくか、ある意味とても分かりやすいビデオクリップがメンバの間で共有されたが、多分日本のメディアでは、このような断定的なデジタルな言い方ではなく、症状の種類と進行の度合いは個人差がある、ということの比重を重めに報道されているので、この点についても外国人はもやもやした説明と受け止め不安に思う要素なのかも知れない。私の部下ではないが、別の部署では母国にいる家族の強い圧力もあったらしいが、浮足立って、突然母国に帰ってしまった人がいる。何故かその仕事を私の方で引き継ぎを引き受けことになった。とにかく、彼らは私だけでなく職場の日本人の一挙手一投足を見ているはずで、ここで落ち着いた行動をして見せるのが大事だと思っている。また、ここで肺炎ではないにしろ私が発熱、咳等を始めて、そら、やっぱり来た、ということにならないようにしたい。

部下の外国人が休暇で母国に一時帰国していたが、そこで外出禁止令が発令されて、身動きができなくなっている人が2名いる。幸い、後でも述べるがITのおかげで仕事は電話、ビデオ会議でこなせるようになっている。折に触れビデオ会議で相手の顔を見て、元気そうでいることを確認できることも良い。

3月になって、学校等の休校が始まって、家に残っている子供の世話で出社できない人のために、会社で在宅勤務の条件が、期間限定で大幅に緩和された。まずこれに反応したのが外国人の部下で、一斉に在宅勤務を始めた(この話を写真教室の先生にしたら、「そうだ、いいことを思いついた、お前もインド人になればいいんだ、そしたら家で昼間から酒が飲めるぞ」という反応が返って来た。センセー…そういう発想、嫌いではないです、寧ろ好きです、できるできないは別として)。幸い職場では書類の電子化が進んでおり、極端な話パソコンと通信環境があれば仕事ができてしまう状況なので、仕事がストップするということはない。ただし、お互いが離れた自宅で仕事をするため、連絡のために職場にいる私宛に頻繁にメール、チャットが来て、これまでは隣、または向かいの席に座っている相手に対して話せば済むことが、私に集中してそれを裁かなければならない、ということが時折発生して、自分の仕事の能率は落ちている。

私も1日、在宅勤務のトライアルをしてみた。自宅ではデスクトップパソコンと、HDのモニタ1台、4kモニタ1台を繋いで使っているが、机が狭く、これにまた仕事用のノートPCを載せて使う余裕はないので、マウスとキーボードを共用して切り替えて使えるスイッチを購入した。すこぶる便利である。4kモニタも大きなExcelのスプレッドシートや、プロジェクトのスケジュール表を見るのに便利である。もともとパソコンを置いてある場所が狭く、囲まれ感があってコクピット的な感覚で、仕事に集中できてよかった。執務環境についてはこれでこなせるという確認はできたが、私が在宅勤務に関して危惧を感じるのは、公私のけじめがきちんとできるかと言うことだ。会社の規定でも、「職種が在宅でもできるものであるのは言うまでもなく、自律的に、コミュニケーション良く業務を遂行して成果を出すことのできる人」というのが本来の条件なのだから。今回は初日ということもあり、集中して仕事ができたが、この私のことだから、続くとダレてこないかが心配だ。逆に、職場に出社した時はON、退社した時はOFFという目に見えるスイッチがあって、私が退社した後は、事前に話をしてくれている案件については帰宅後にも連絡が来るが、それ以外は緊急のことがない限り連絡が来るということはなかったのに対して、 在宅勤務だとその区切りがなく、パソコンを立ち上げて自分の仕事の整理をしていると遠慮なくメッセージを入れて来るので、こちらの気持ちのスイッチの切り替えができない。逆に言うと、相手から見たときにコミュニケーションの敷居が低くなったということで、その意味では良いことなのかも知れない。

在宅勤務の先進的な使い方が実践されているのは、いわゆる「Creative」な仕事をしているworkplaceというのが私のイメージである。いや、最早「在宅」ではなくMobile Working、Nomad Workingとかいうのだろう。そこでは、openで、明るく、excitingで、場所や時間の制約がなくdiversityがultimateに配慮された環境で、自分のlifestyleに合わせてbestなperformanceを出せるように働き、ITは空気のようなものだし、その中で家族、仲間、clientその他のstake holderとのglobalかつopenでagileなcommunicationの下で、お互いをrespectしつつ情報、ideaのshare、discussionが行われ、異分野の人たちとのcollaborationを通じてinspirationを促進して新しいconceptionが続々とcreateされることにより、innovationが発信され、それがtrendとなってglobalな変革をdriveするleadershipを執るのだ。projectのconceptはflatな組織の中でshareされ、自分の成果domainとgoal of achievementがmeasurableにdefineされ、projectはmanageableなunitにmodule化、task化され、かつ有機的にorganiseされてprogressがvisibleにmonitoringできるようにfacilitateされており、profit情報と共にreal-time にmanagement portfolioにもupdateされ、 issuesやconcernsがあればseamlessにfeedbackされsolutionがそれぞれclearかつcomprehensiveにdefineされたroleとresponsibilityの下でpromptlyに検討され、timelyなdecisionと共に必要なresourceがassignされ、結果としてprojectはon timeまたはaheadにprogressし、それに向かって努力すればするほどachievementがrealiseされ、fairにevaluateされ、motivationがpromoteされ、これが自分のgrowthの糧となって、career upにつながり、一方 work processがstreamlineあるいはimproveされてできたfloat timeは家族と過ごす時間や更なる自分のstep upのために、あるいはcommunityへの貢献のために割くことでますますproductivity がboostされるという
synergy が期待される。このようなexperienceを通じてSustainable Development Goalsの達成に向けてencourageしてゆくのだ。

なんだか書いていて旋毛曲がりの私的にはおしりがむずむずしてくるので腹いせに馬鹿っぽく英単語をちりばめてみたが、それはそれとして、だとしたらそういう領域を明確に数字で定義できない仕事というのは、この会社には存在しないのだろうか、と思う。全く素朴な質問で申し訳ないのだが、世の中にはそういう業務の体系を持って立派に回っている企業があるのだろうな。とは思うが昭和生まれの私には想像がつかない。

話が逸れた。在宅勤務にはこのような利害得失や疑問があるが、 しかし、うまく使えば、通勤に要する時間は節約できるし、電車に乗ったり混雑した駅構内を歩くことで発生する感染のリスクは確実に減らすことはできるし、メリットは大きいと思う。基本は自律的に仕事を行い、期待されたアウトプットを出すことだ。ただし、通勤がなくなると運動量は極端に減る。通常毎日5,000歩弱歩いているが、在宅勤務の日は200歩だった。また、ビデオ会議の時は背景に気を使い、舞台裏がばれないようにしなければならない

2020/03/22
んねぞう

22

03 2020

写真のアスペクト比について

昨日の写真教室で、今月の写真展(コロナウィルスの影響で中止になるかも知れないが)に出展する写真について、講師の先生から指示があった。 写真展の全体の統一性を考慮し 、サイズは四つ切指定。したがって、私はこれまで1:1.4のアスペクト比で撮影していたものを、今後は1:1.2のアスペクト比での撮影となる。今日もお寺を何軒か回って撮影したが、どうしても撮るときはファインダー全体(1:1.5)で構図を設定しているので、帰ってトリミングするときに戸惑うことが多い。歳をとってくると変化に対応するのに時間がかかるので、これは時間をかけて慣れて行くしかない。

それよりも困るのは、四つ切のプリンタ用紙が店頭ではなかなか手に入らないことだ。白黒用のプリント用紙に至っては、50枚で4,000円以上する。私にはとても手が出ない。

しかし、良い点もある。以前のアーティクルで書いたように、これまで私が常用して来たA4と比較して約24%も面積が広い。これで多少写真の訴えの量も増えるかも、という期待ができる。わかっています、良い写真はプリントの大小に関係ない、ということは。しかし私はそれすらも動員しないといけないレベルですんで、はぃ…(居直り)

2020/03/21
んねぞう

22

03 2020

長屋門写真集

私の属している写真教室の先生の制作された写真集がWebで公開された。私はそのレイアウト、というかBlogの設定作業をさせていただいた。「長屋門の四季」というタイトルにしたので、春夏秋冬のカテゴリーでアクセスできるようにしたいと思って悪戦苦闘し、何とか形にしたが、一部どうしてもスマートに行かず、画面がダサい部分があって、これが悔やまれる。これは偏に私の責任である。

しかし、これ以外は非常に内容の濃い写真集なので、是非見て頂きたいと思う。

長屋門の四季

2020/02/28
んねぞう

津軽旅行記

真冬の2月に、何回目かの津軽に出かけた。今年は現地の雪が少なくやきもきしていたが、1週間前になって雪が積もり始めてくれた。

今回の旅の目的は3つ

  1. 写真家 小島一郎の幻影を追うこと
  2. 五能線沿線の海岸を1か所で良いから歩くこと
  3. 津軽三味線の始祖 仁太坊の生まれた場所を訪れること

写真家 小島一郎の幻影を追う

津軽を代表する写真家 小島一郎の足跡を辿って、車力、十三湊を歩き、津軽の冬の景色を撮る。昨年初めて小島一郎の写真集を見て、津軽の感じ方に間違いはなかったように思っている。小島の写真の特徴は、雲、そして雪の描写にあると思う。雲は覆い焼きの技法によって劇的な表情を見せ、雪は、束の間顔を見せた陽光によって、橇跡が硬くなって鈍く光を反射している描写が私には強く印象に残った。また、吹雪の中、角巻を纏って歩く婦人、同じく吹雪の中で佇立する電柱で一つ灯っている裸電球。これらの残像を脳内に保ち、 「また来たじゃ」と心の中で呟きながら カメラを握って歩いた。歩いたとは言ったが、限られた時間内で鉄道の便もないので、レンタカーを駆って歩いたのだが。小島の時代からすでに60年の歳月が経ったので、当時そのままの景色が残っている由もないが、幸い吹雪いてくれたので、それらしい雰囲気にはなったと思っている。

来島海水浴場
アイスバーンの道を抜けて開けた駐車場に止めた車から降りると、よろけそうな風にあおられる。見る見る間に露出した顔と手から体温が奪われ、手はかじかみ、口は回らなくなって、「まみむめも」は「もぁむぅぃんむぅむぅぇんむぉ」となってしまう。斜面に生えている草は風によって完全に斜面に撫で付けられてしまっている
十三湊の凍結した明神沼
しゃりきサンセットドーム近くの海岸にて
スーパーで見つけて買って来た地酒。十三湊は昔、安藤(東)氏の拠点だったことに因んだのだろう

五能線沿線の海岸を歩く

ここでは、五能線の深浦駅で下車し、行合崎を目指した。

五所川原駅に入線して来た列車
雪の上に落としたわけではない。海岸を歩くと横殴りの雪がこのようにレンズにこびりつく。溶けないので、水となってレンズの中に侵入しないので助かる。後でこの写真を見て、手振れ補正機能がOffになっていることに気が付いて慌てた。しかし雪の中では手振れ補正が必要なほどシャッタースピードを落とす必要はなかったので一安心
駅を出て国道を北に歩く。現地に着くまでは、国道を歩けるか心配だったが、歩道の上に積もっている雪は浅く、楽に歩くことができてほっとする。東北南部の豪雪地帯では、車道の除雪に手いっぱいで歩道まで手が回らず、やむを得ず車道を歩かなければならないことがあるが、身の危険を感じる。もっとひどいときは、雪が解けた水を車が跳ね上げて走るので、とても歩けた状態ではなく、泣く泣く目的地に行くのを諦めたこともある
今日の晩はこの地酒。一昨年竜飛に来た時も飲んだな

津軽三味線の始祖 仁太坊の生まれた場所を訪れる

これが今回の旅の最大の目的である。岩木川の畔、神原に生まれた仁太坊を記念した石碑を目指し、その場所の雪を踏み、風に吹かれること。

これがその石碑。この近くで仁太坊が生まれ、そして津軽三味線が発祥したのかと思うと、感慨深い
お土産に買った津軽弁のピンバッジ。「No.」のも欲しかったがなかった。地元の方に聞いたら「ま(ぃ)ね」と言うらしい

この時の写真はんねブラに掲載しました

車力-Feb.2020:写真家 小島一郎の幻影を追って

深浦-Feb.2020

金木-Feb.2020:津軽三味線の幻影を追って

2020/02/10
んねぞう

はっとしたこと

昨日、はっとさせられたことがあった。

写真教室の先生がWeb上で写真集を制作するにあたり、そのレイアウト作成のお手伝いをしている。写真教室が終わった後その相談をしていた時のこと。私が写真のページの背景色について、先生にどうしようかお聞きした所、こう言われた。「貴方に任せたつもりです。自分とは違うセンスを貴方に求めているのだから。私は貴方を単なるオペレータとは思っていないので。」

そう言われた私は、日頃の自分の生活態度が、指示待ちになってしまっているということに気付かされた。仕事では、契約(特に海外企業との)に縛られていると、時として自分としては良かれと思ってやったことが後で自分の首を絞める事になった経験をしているせいで、兎に角自分(自社)の責任にならないように、他人、他社のせいでこうなった、と言う形を作るように行動してしまう。非凡な(ここでは凡庸未満と言う意味で非凡と言っている。念のため)サラリーマンとして、それはそれで仕方のないことだと思っているのだが、仕事を離れたコミュニティでもそのような態度が見え隠れしているのは、悲しいことだと思った。

と同時に、先生が写真教室基礎コースの私のような者のセンスを見込んで下さったことに感激している。もしこれが出来上がったら、片隅に”Layout by nNEZOU”と入れても良いよとも言って下さっている。そんなこんなで、モチベーションが上がり、CSS(Cascade Style Sheet)の勉強を、少しずつ始めたりしている。写真集には間に合わないけれど

2020/02/02
んねぞう

Sod’s LawのRisk Factorの計算式

以前書いたSod’s LawのRisk Factorの計算式の表現方法に工夫がないので、新しくMathJax-LaTeXというプラグインを導入してみた。

$$RF=\frac{0.7(U+C+I)(10-S)} { 20(1-sin(\frac{F}{ 10}))}$$

ソースは下記

[mathjax] $$RF=\frac{0.7(U+C+I)(10-S)}
    {20(1-sin(\frac{F}{ 10}))}$$

まともに表示できるまで1週間かかった。私はプログラミングにも向いていない。

2020/02/01
んねぞう

脱稿!

文芸同人誌「澪」の次号の原稿を編集担当者の方に提出した。これまでは、自分のブログで好き勝手に呟いていれば済んだものを、これからは同人誌の品質、レベルに影響を与えないよう自分の作品に責任を持たなければならず、あわよくば売上にも貢献しなければならない立場と相成った。

3月に出版の予定

最初は「原稿提出!」というタイトルにしたが、「脱稿」というと、何だか自分が文筆家か何かになったような気分がするので、変更した

2020/01/13
んねぞう

「破滅型」の作家 葛西善蔵

2月に津軽に旅行を計画しており、津軽に関する資料や小説などを読んでいる。太宰の「津軽」をおおよそ読み返し、昨年2月に佐渡に行った際に司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んだのを思い出し、同じシリーズの津軽に関する本をKindleで購入して読んだ。その中で太宰の「津軽」の引用が随所に見られ、これを引き当てた形での記述がある。また、その中で弘前生まれの葛西善蔵という作家が存在することを知った。一昨日から風邪を引き、今日の土曜日は一日外出せず家に垂れこめていたので、この作家の「哀しき父」、「おせい」、「子をつれて」、「蠢く者」を青空文庫で読んでみた。

破滅っぷりがひどい。葛西の小説を読んだ後だから言えることだが、太宰の破滅ぶりは、天邪鬼が、人の行く方向とは逆に、あたかも夏の小虫が祭りの松明に誘われてふらふらと近づいて行くような、「おいおい、そっちじゃないよ」とでも言いたくなるような風情が、まだある。葛西の場合は、例えば「子をつれて」の場合は、妻が金策に郷里に行っているが、刻々と家の立ち退き期限が近付いているのにもかかわらず、知り合いのKのところに金の無心に通うだけで、いよいよ当日になっても立ち退き先が決まらず深夜に子連れで電車に乗っているところで話が終わる。一体どうすんのよ、と言いたくなる。

持っているものを売ってしまい、売るものもなくなって友人から借金も借り散らした挙句いよいよ窮して最後の頼りに金の無心にKを訪れた「彼」に、Kはこう語る。

「……そりやね、今日の處は一圓差上げることは差上げますがね。併しこの一圓金あつた處で、明日一日凌げば無くなる。……後をどうするかね? 僕だつて金持といふ譯ではないんだからね、さうは續かないしね。一體君はどうご自分の生活といふものを考へて居るのか、僕にはさつぱり見當が附かない」
「僕にも解らない……」
(略)
「フン、どうして君はさうかな。些ちつとも漠然とした恐怖なんかぢやないんだよ。明瞭な恐怖なんぢやないか。恐ろしい事實なんだよ。最も明瞭にして恐ろしい事實なんだよ。それが君に解らないといふのは僕にはどうも不思議でならん」
(略)
彼にはまだ本當に、Kのいふその恐ろしいものゝ本體といふものが解らないのだ。がその本體の前にぢり/\引摺り込まれて行く、泥沼に脚を取られたやうに刻々と陷沒しつゝある――そのことだけは解つてゐる。けれどもすつかり陷沒し切るまでには、案外時がかゝるものかも知れないし、またその間にどんな思ひがけない救ひの手が出て來るかも知れないのだし、また福運といふ程ではなくも、どうかして自分等家族五人が饑ゑずに活きて行けるやうな新しい道が見出せないとも限らないではないか?――無氣力な彼の考へ方としては、結局またこんな處へ落ちて來るといふことは寧ろ自然なことであらねばならなかつた。

葛西善蔵「子をつれて」 青空文庫 図書カードNo.51221

彼の著作はすべてが本人の実人生だという。「表現」の渇望をドライビングフォースとして、 経済的な準備もなく妻子を伴い東京に出たものの、健康にも恵まれず、赤貧洗うがごとき生活で知り合いから寸借生活を続けて、このままではいけないとは思いつつ、なぜいけないのか、その恐ろしさは朧気ながらわかってはいるが行き着くところまで行ってみることを、積極的には肯定しないにしろ、それがむしろ自然なことであるというのだ。

俗世間的に言えば、Kの言い分が正しい。また、父親の香典返しのお茶の鑵を彼に発送するにあたり、憎しみを込めて凹ませて送ったYのような人間も、世間が味方するだろう。

私は勤め人生活が長く、人のことを斟酌するのに幅が狭いので、「言っていることはわかるけど(実のところわかっちゃいない)、まあ、あの人はああだから…」と、できるだけ関係を持たないようにするだろうと思う。 私には、この上記二者の間をどのように考えればよいのか、「彼」の考え方をどう飲み下せばよいのか、考えが纏まらない。

上述の司馬遼太郎の「街道をゆく」では、葛西についてこのように書き記している。

本来、 小説的情景は作家が想像のなかでつくりだすものだが、かれは実際に生きてみて、ナマ身で情景をつくりだした。人生の破綻こそ〝 芸術〟への出発だ、とこの人はいう。

司馬遼太郎. 街道をゆく 41 北のまほろば . Kindle 版. 以下同様

さらに、太宰が弘前高校に入学した早々に書いた英文の作文で、太宰は

〝葛西善蔵はいまの日本でいちばん不幸な作家である〟

とし、

「ほんたうの幸福とは、外から得られぬものであ つて、おのれが英雄になるか、受難者になるか、その心構へこそほんたうの幸福に接近する鍵である」

と書いているそうだ。さらに、司馬は、石坂洋次郎と葛西の交友にも触れた後、こうも書いている。

津軽人石坂あるいは太宰にとって、葛西善蔵は、芸術上の聖者か殉教者のような存在だったのである。

ここまで書かれると、多少なりとも津軽を理解したいと思っている私としては「まあ、あの人はああだから」と乙に澄ましてもいられず、少しは真面目に向き合わなければならなくなる。何だか重い宿題をもらった気分だ。

P.S.

今、一つ思ったことがあるので、断片的ではあるが書き出しておきたい。葛西と太宰の 破滅傾向のパースペクティブについてである。太宰は作家としての活動を始める前に、既に葛西の作品に触れていた。そののち著作活動を進めるにあたって、「東京八景」では自分の生活、社会的な立場がじりじりと破綻に近づいてゆく状況を、克明に、しかもその刹那刹那の状況に、腸(はらわた)がこわばってゆくような感覚と同時に、その破綻への近づき方の微分係数が微小な(微小かどうかは実際わからないが、一種の麻痺状態として)故の、そして自分の見込み通り傾向が悪くなっていることを確認できていることに対する、逆説的な安堵感をもって描写されている。この様子と葛西の作品を比べてみて、太宰が、津軽人特有の含羞を持っている人間として捉えると、自分は裕福な、地方の有力者の家庭で、経済的には何不自由なく育ち、東京の大学にも通った身である。それに引き換え、葛西は自分の芸術に対する理念に徹底的に忠実であるということを明確に意識しており、太宰は始終このことに負い目を持っていたのではないか。自分は不徹底な人間である、その不徹底な人間がこんな小説を書いて、頭の中の別の自分が「へえ、芸術家ってのは、例えば葛西善蔵みたいなものを言うんだと思っていたけど、ほう、あんたも芸術家なの。へえ、そうなんだ」と何かあるごとに頭を擡げて来る、そういうような意識を常に持ち続け、それが彼の生涯を通じた創作の底流にあるような気がする

2020/01/11
んねぞう

ハレーション

年末にあるところで写真を撮っていた際に、曇り空を背景にして撮った際に、ある異変に気が付いた。ハレーションがひどい。

雨降りだったのでレンズのフィルターに水滴が付いたせいかと思って拭いたが解消しない。内部で結露?そんなことはない。ずっと寒い屋外にいたのだから。レンズを外してみたが、ミラーに曇りがあっても影響があるわけではないし、撮像素子にごみが入ってもこんなぼやけたハレーションが発生するのだろうか。ああ、また修理に出さねばならないのか…

2019/12/30
んねぞう

30

12 2019