Posts Tagged ‘旅’

古いCompact Flashカード(1)

何かの必要があって、私のガラクタの中を探していたら、Copact Flashカードが出て来た。こんな古いカード何に使ってたっけと思った。幸いなことに私の今使っているガラクタカードリーダにCopmact Flashのスロットがあったので突っ込んで見た

中を覗いてみると1998年~2000年の間に行っていた、アメリカを始めとした海外出張の期間のメモが残っていた。大半は自分のアメリカ紀行で、その時の体調、見聞きしたこと、乗った飛行機や宿の事などだったが、その中にちょっとだけ仕事のMailやメモも残っていて、そういえばあの時、と一時感慨に耽った。残してある文面を見ると、その時は流石にばりばり仕事をして、文章の上ではてきぱきと部下に指示を出しているように見え、また、英語で書いたアメリカの会社の人達との打ち合わせのメモも残っていて、ほう、あの時もこんな英語書いてたんか、と我ながら驚いたりした

前に書いた覚えがあるが、一時私は会社のある事業部のIT部門の課長をしていた。この期間はそうなる直前の時期だと思われる。しきりに海外との仕事のITによるコラボレーションの調整をしていて、相手先に行って打ち合わせをした後、これまで対応していたメンバから、お前が来たおかげで相手の態度が和らいだということを聞かされたということが書いてあった。ああ、そういうこともあったなと、胸を一陣の爽やかな風が吹き抜け、そして今の自分との落差を思った

2024/03/22
んねぞう

津軽旅行記

真冬の2月に、何回目かの津軽に出かけた。今年は現地の雪が少なくやきもきしていたが、1週間前になって雪が積もり始めてくれた。

今回の旅の目的は3つ

  1. 写真家 小島一郎の幻影を追うこと
  2. 五能線沿線の海岸を1か所で良いから歩くこと
  3. 津軽三味線の始祖 仁太坊の生まれた場所を訪れること

写真家 小島一郎の幻影を追う

津軽を代表する写真家 小島一郎の足跡を辿って、車力、十三湊を歩き、津軽の冬の景色を撮る。昨年初めて小島一郎の写真集を見て、津軽の感じ方に間違いはなかったように思っている。小島の写真の特徴は、雲、そして雪の描写にあると思う。雲は覆い焼きの技法によって劇的な表情を見せ、雪は、束の間顔を見せた陽光によって、橇跡が硬くなって鈍く光を反射している描写が私には強く印象に残った。また、吹雪の中、角巻を纏って歩く婦人、同じく吹雪の中で佇立する電柱で一つ灯っている裸電球。これらの残像を脳内に保ち、 「また来たじゃ」と心の中で呟きながら カメラを握って歩いた。歩いたとは言ったが、限られた時間内で鉄道の便もないので、レンタカーを駆って歩いたのだが。小島の時代からすでに60年の歳月が経ったので、当時そのままの景色が残っている由もないが、幸い吹雪いてくれたので、それらしい雰囲気にはなったと思っている。

来島海水浴場
アイスバーンの道を抜けて開けた駐車場に止めた車から降りると、よろけそうな風にあおられる。見る見る間に露出した顔と手から体温が奪われ、手はかじかみ、口は回らなくなって、「まみむめも」は「もぁむぅぃんむぅむぅぇんむぉ」となってしまう。斜面に生えている草は風によって完全に斜面に撫で付けられてしまっている
十三湊の凍結した明神沼
しゃりきサンセットドーム近くの海岸にて
スーパーで見つけて買って来た地酒。十三湊は昔、安藤(東)氏の拠点だったことに因んだのだろう

五能線沿線の海岸を歩く

ここでは、五能線の深浦駅で下車し、行合崎を目指した。

五所川原駅に入線して来た列車
雪の上に落としたわけではない。海岸を歩くと横殴りの雪がこのようにレンズにこびりつく。溶けないので、水となってレンズの中に侵入しないので助かる。後でこの写真を見て、手振れ補正機能がOffになっていることに気が付いて慌てた。しかし雪の中では手振れ補正が必要なほどシャッタースピードを落とす必要はなかったので一安心
駅を出て国道を北に歩く。現地に着くまでは、国道を歩けるか心配だったが、歩道の上に積もっている雪は浅く、楽に歩くことができてほっとする。東北南部の豪雪地帯では、車道の除雪に手いっぱいで歩道まで手が回らず、やむを得ず車道を歩かなければならないことがあるが、身の危険を感じる。もっとひどいときは、雪が解けた水を車が跳ね上げて走るので、とても歩けた状態ではなく、泣く泣く目的地に行くのを諦めたこともある
今日の晩はこの地酒。一昨年竜飛に来た時も飲んだな

津軽三味線の始祖 仁太坊の生まれた場所を訪れる

これが今回の旅の最大の目的である。岩木川の畔、神原に生まれた仁太坊を記念した石碑を目指し、その場所の雪を踏み、風に吹かれること。

これがその石碑。この近くで仁太坊が生まれ、そして津軽三味線が発祥したのかと思うと、感慨深い
お土産に買った津軽弁のピンバッジ。「No.」のも欲しかったがなかった。地元の方に聞いたら「ま(ぃ)ね」と言うらしい

この時の写真はんねブラに掲載しました

車力-Feb.2020:写真家 小島一郎の幻影を追って

深浦-Feb.2020

金木-Feb.2020:津軽三味線の幻影を追って

2020/02/10
んねぞう

佐渡旅行記

昨年の2月、津軽の龍飛岬を旅した。それは、津軽三味線を生んだ津軽人を育んだ津軽という土地、気候の最もExtremeな場所として、また真冬の日本海、強風と荒波の海岸、岬に身を置きたい欲求に駆られてのことだった。
今年も、人のいない、荒涼とした景色を求めて、佐渡を目指す。
太宰治の「佐渡」では「佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。」と書かれている。また、「何しに佐渡へなど行く気になったのだろう。」等、ひどい言われようである。であるが、わざわざ作家が短編ながら作品をものしているからには、何も存在しないと言う淋しさではなく、太宰をして「死ぬほど 淋しい 」と形容させるものがあるに違いない。それが太宰の琴線に触れないにしても、あるいは不協和音を立てたにしてもだ。私は太宰程の感受性はないにしろ、死にたくはないがその淋しさというものを体験してみようと思う。

(かなり長文です。読んで下さる方は下の”Read the rest of this entry →” を押して下さい)

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02 2019

第三次津軽旅行

3日ほど津軽線沿線を旅行して来た。主な目的地は竜飛岬。

2014年に三厩を訪ねて以降、いつか竜飛岬に立ってみたいと思い続けていた(んねブラ 風の強い街参照)。

今回、奥さんの強い後押しを貰い、竜飛を訪れることができた。途中、三厩、蟹田も再訪し、写真に収めてきた。

三厩再訪 – Feb. 2018

蟹田再訪 – Feb. 2018

竜飛 – Feb. 2018

その際の、写真以外のあれこれ。

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02 2018

んねブラ : んねぞうがカメラを持ってブラブラ


「んねブラ」の経緯については昨日の書き込みを参照

昨日記したブログのスタイルを模倣させて頂いて。ご本家には及びもつかないが。


このところ写真を撮るためのお出かけは控えていたが、今度の土曜日は晴れの予報ということも相俟って、久しぶりに神輿を挙げて出かける。場所の条件は、

① 人のいないところ

以上。

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宿場町の旅

3連休に思い立って馬籠宿と明治村を旅してきた。
予約なし、いきあたりばったりの一泊旅。
馬籠に宿を取ろうと思ったが一杯だったので、中津川の旅館に泊まった。
これがいい感じに鄙びていて、どうも客は私一人らしかった。
侘しい一人旅にぴったりの、良い一晩だった。

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2015/10/12
んねぞう

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収穫を待っている田んぼの中、車を走らせて。私も今まで足を踏み入れたことのなかった場所。
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2015/09/21
んねぞう

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Photobook その2

昨年ヨーロッパを旅行した時の写真をフォトブックにしてみた。これはその表紙。

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んねぞう
2015/07

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07 2015

Photobook

昨年、一昨年に津軽地方を訪れた際の写真を纏めてPhotobookを作った。

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2015/06/04

んねぞう

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06 2015

雪融けの後

厳しい雪の多い冬を、今年もやっと乗り越えた、小さな神社から。雪との闘いの疲れを見せているが、間もなく草木が爆発的な生命力を見せるのだろう

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2015/05/02
んねぞう

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05 2015