Archive for the ‘音楽’Category

音楽と写真のpp(ピアニシモ)-んねぞうのmp仮説

先日プロの写真家の先生(写真教室の先生)と、ある件でお話をした際に、白黒の諧調と音楽のpp(ピアニシモ) – ff(フォルテシモ)の対応の話になった

先生は、黒をppと捉えて、徐々に明るくなり、最終的に白の状態をffと言う捉え方をされていた。私は多少それに違和感を覚えた。何もない白い状態がppであり、黒がffではないかと思った。その時は、これはどちらが正しい、間違っているということではなく、個人の考え方によるものだと思ったので、それ以上突っ込んだお話はしなかったが、ふとした時に奥さんにこの話をしてみた

彼女の感覚も白がppであり、ffは黒と感じるという。因みに彼女は音大ピアノ科卒なので、ここで思いついたことがあった

音響芸術において、基本は無音である。無音を基調として、空間に音を放射して行く。最終的に空間に音響が充満した状態を「黒」と言うイメージで認識するのかも知れない。これに対して、写真は光の芸術である。基本は光のない状態、即ち「黒」である。この状態から、徐々に光が差してきて、極限は空間にすべて光が充満した状態が「白」となる。この基底状態の「黒」が静寂に相当するので写真家にとって「黒」がppであると考えた

これを図解すると下図のようになる

改めて言葉で表現すると

んねぞうのmp仮説

音楽家、写真家それぞれが白、黒の違いと、これを音の強さの対応で感じるやり方は異なる。これは、それぞれの芸術が扱う媒体による。即ち、写真家は光の量の少ない状態(即ち黒)をppと知覚し、音楽家は音量の極大の状態(ff)を黒と知覚する

これをんねぞうのmp仮説と名付ける。サンプル数は3だけどな

因みにmpとはMusicianのmとPhotographerのpを組み合わせたものである。メゾピアノと掛けてあることは言うまでもない

お後がよろしいようで(mp)

2024/01/13
んねぞう

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01 2024

バッハの夕

本日ひっさしぶりにバイオリンのケースを開けて、弾いて見た

奥さんとバッハを合わせた。腕は思っていたほど落ちてはいなかった。しかし早いパッセージは(もともと苦手だったが)かなり鈍っていた

昼は文芸、隣家の柿もぎを挟んで夜はバッハ、なんとゆー文化的な1日!

食欲の秋、ゲージツの秋!

夕食時、奥さんとバッハ談義に花が咲いた

この記事のタイトルは「バッハのゆうべ」と読んでください。くれぐれも「ばっはのた」とか読まないようにお願いします。雰囲気が台無しになるので

2022/11/12
んねぞう

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11 2022

芸能/芸術の発祥地について-津軽三味線に思う

私の所属する文芸同人誌「澪」の第19号(3月発刊予定)の原稿を先日提出した。第15号から連続して、津軽を題材としてフォトエッセーを発表させて頂いているが、その中で津軽三味線について触れることが多かった。

津軽三味線は津軽の風土、それが作り出した津軽人の独特な気質と相まって、「神原の仁太坊」という、津軽人としての気質を人一倍備えた人間が、失明という逆境に抗って、自身の芸術的才能によって創始したものを、彼に続く弟子達が辛辣な聴衆と火花を散らしながら、民謡の伴奏から独立したジャンルとして確立してきたものと理解している。それが、これまでと全く違う奏法、興行の仕方の三味線芸術成立の素となった。当然、その芸術は、「津軽」「津軽の気候風土」「津軽人」というものが色濃く投影されて成立しているものであり、特に津軽三味線は「楽しむ」ためではなく、「生きる」ためのものであり、盲人という、当時を生きる人間にとって強烈なハンディを持った人たちが生きて行く数少ない手段の一つであったということに注意しなければならない。冬の雪降るさ中、晴眼者、多くは妻、子供、あるいは弟子に手を引かれながら門付けをして少ない報酬を得て旅をする、また演芸会では聴衆の容赦ないヤジに耐えながら演奏をする、そうしてわずかな生活の糧を得て行く中で数えきれない人々が命を落としていったことだろう。津軽の三味線弾きは、「なりたくて」なったのではなく「それしかなかった」というDesparateな選択でしかなかった。そういう状況に追い込まれ、生きて行くことは、如何に演奏で聴衆(多くは農民)の度肝を抜いて、民謡の歌い手でなく伴奏とされている三味線に目を向けさせるかという「闘い」であった。

そのような経緯で成立した津軽三味線だが、現在は「……流」という流派が派生し、家元制度に基く津軽三味線教室も盛んだ。また、三味線の演奏者も多く輩出し、メディアへの露出も広がっており、中にはスター的な演奏者もいるようだ。しかし、そのような商業化と共に、その中心は東京に移りつつあり(もちろん、津軽三味線の本拠地である津軽に留まって活動をしている演奏家も多く存在すると思う)、だんだんソフィスティケートされつつあるように感じる。芸術の進化の形として、私はそれがいけないと言いたい訳ではない。芸術は聴衆を心地よくさせ、感動を与えるものであって、その求めるものが変わって来たら変わって当然だと思う。そうでなければその芸術は見捨てられてしまうから。しかし、私の中の「津軽三味線」は、長い地吹雪の冬、雪解けで花々が一斉に咲き乱れ、鳥々が鳴き交す春、収穫の喜びに村が湧きたつ秋、そういう自然と生活、津軽人が喜怒哀楽をぶつけ合う坩堝の中で、三味線で「生きる」こと、もっと生々しくいえば「食う」ことに、それこそ命をかけた三味線弾きの叩きだしたもの、というものである。だから、現代の津軽三味線は、私の中では「津軽三味線」ではなく、「第二次津軽三味線」という、明確な線が引かれている。私はこれを他人に押し付けるつもりはない。私の理解を披歴しているだけであり、第二次津軽三味線は堕落している等と言う積りもない。しかし一面、これは津軽三味線だけの問題ではなく、小島一郎の写真のように、津軽に根差した写真で中央に進出して活動した結果、その基盤となる津軽から乖離して行くという共通のジレンマがあるように思えるのだ。繰り返しになるが、津軽三味線が津軽の基盤から離れて行くのをいけないと言っているのではない。

これまで「澪」のフォトエッセーを書く度に津軽三味線について考えてきたが、このような経路を辿って来た帰結として、私は現代の津軽三味線とは多少の距離を置くことになるだろう。

津軽三味線の成り立ちについて数少ないながらも何冊かの書籍を読んで、上記のような結論を持つに至った。その中で私の知識の中核をなした本は,「 定本 弦魂津軽三味線」 第3刷, 大條 和雄,弘前市, 津軽三味線歴史文化研究所, 2009年7月である。

著者の大條氏は2020年4月に逝去されたと聞く。ご冥福をお祈り致します。

岩木川の神原の渡し跡を示す石碑と、大條氏の揮毫による仁太坊の石碑。今は神田橋という立派な橋がかかっている

「澪」の津軽編は、今号か、次の20号で終わりにして、次はインド物を計画している。

2022/02/02
んねぞう

今宵、フィッツジェラルド劇場で

2007年に 「今宵、フィッツジェラルド劇場で」と言う映画が日本で上映された。”A Prairie home companion”という、米国での人気ラジオショーに題材を取った映画で、私も長年聴いていた。私は映画は興味はなく全くと言って良い程見ない。しかし、この映画だけは機会があれば見に行きたいと思っていたが、時期を逸して現在に至る。 この間思い出して検索して見たら、レンタル落ちのDVDがあったので買って見ている。 Robert Altmanと言う監督の作品で、遺作となったものだという。それはともかくとして、この映画の内容が、実際のラジオ番組を聞いていた身として全く違和感のない、ストーリーに身を任せられるものだった。アメリカの映画とかアニメにありそうなテンポの良さと、しかししっとりとした画面と進行の雰囲気に魅了される。キャストに実際のラジオ番組の出演者も入っており、例えば既に亡くなってしまったSound effects manのTom Keithも実際にSound effectsで出演しているし、声でしか聴いたことのなかった Meryl Streep の演技も見ることができた。私はこの人は歌手だと思っていたが、大女優だったんだ。

この映画が日本で公開されてから12年経ち、世界は大分変わった。この番組の創始者で脚本家で、ホストである Garrison Keillor が2016年に若いマンドリン奏者に番組を引き継いで引退した。その後番組のテイストが変わったので、私はこの番組を聴かなくなったが、後で知ったが翌年セクハラのスキャンダルで、放映した放送会社とも関係を断絶されたとのことだ。映画の中で、出演者の中の4人姉妹の一人が低血糖で気分がおかしくなり、たった59セントのドーナツ代を払い忘れて逮捕された下りが出て来る。 Keillor 自身のスキャンダルでも双方に言い分はあるのだろうが、 Keillor 自身は相手を励ますためにたまたま手が触れた、と言うことを言っているようだ。この場面が符合して、何となく複雑な気分になる。

この映画のラストシーンで、放送局と劇場はテキサスの実業家に売却され、拠点を失った主要メンバが数年後にまた劇場前の小さなレストランで再起の相談をしている所に「天使」が現れ、メンバが微妙な表情をしているのが、この映画の後味をミステリアスなものにしている。この物語の軸はいくつも絡み合っていて、いちいち挙げてもきりがないが、一つ挙げるとすると”死”があると思う。本物のラジオ番組では出てこない「天使」が、「神の導きによって天に召しに」地上に降り立ち、出演者の一人の老人「チャック」を天国に送り出す。その死を発見した愛人に対して、「旅立っただけ」「老人の死は悲劇じゃない」「彼の欠点を許し、愛と優しさに感謝するのよ」と言わせている。監督はこの年2006年11月に亡くなっている。アルトマン監督は自分の死期を悟っていたのではないか、と言うような忖度もしたくなってくる。このDVDには、おまけとして監督とGuy Noir役の Kevin Kline の対談によるオーディオ解説が入っているが、最後のシーンで天使がGarrison、Guyを含む4人の元に現れた時、 Kline はGuyを迎えに来たのだと語り、監督はそうだ、そしてこれはGuyの夢の中の物語だった、Guyは夢から覚めてまた仕事に出かけるのだと述べているが、私はこの見方には与しない。そうだとすると予定調和的な結末となり、物語の奥行きが狭くなる。監督がそのように意図していたとは思わない。あの場面で4人に、しっかり天使が見えていたかどうか、私はGarrisonの視線が定まっていないことが気になる。 Garrisonが最初に気配に気が付いてそれが何かを見極めようとしている。召されに来た本人には、天使の姿が見えないのではないか。何故そう思うかと言うと、天使が前述の「チャック」が舞台袖で出番を待っている時に彼の肩に手を置いた時、本人はそれに気づいていない。ただし、その後、少し体調が悪そうな仕草をして舞台を務めて自分の控室に戻り、蝋燭を点け、レコードを回してベッドに横たわるという場面を見て、老人は何とはなく自分の死期を悟ったのではないかと思うからだ。私にはGarrisonを迎えに来たように思える。 従って、Garrison、そしてチャックが監督自分自身なのだと。

この映画の基調は、中西部の人達のメンタリティーにあると思う。これを伺わせるセリフが耳に残っている(済みません、見栄を張りました、字幕が目に残っている、です)ので、転載する

中西部の者達は災いは無視すれば消えると考えている
(Guy Noir)

我々は暗い大地の暗い人間なのです
事態は悪くなると信じ、悪くなるのを待ってる (*)
人生は苦闘だと教えられて育ちました
幸せになったら、不幸になるまで耐えるのです
中西部の人間は自分の終わりを悠々として受け入れる傾向がある
(以上Garrison)

アメリカ西海岸風の考え方と何と違うことか。因みに、(*)のフレーズに通ずるものがMurphyの法則にもある。

Things go right so they can go wrong.

最後に、私は最近写真教室に通って、構図と言うものを学び始めたところなので、映像の作り方のうまさに感心する。例えば、楽屋の中で、鏡を多用して、登場人物を一つのフレームでいくつものアングルから見せる手法、天使の背景にあった天井の照明器具を天使の輪のように重ねて見せて、天使が去ると同時に電球が切れるような演出。一つのシーンで前景と背景で別々の事象が同時進行している様等。一度見ただけでは気づかないことが多い。

P.S.
10年前の投稿で、「 Tim Russell, Sue Scott, Tom Keith, Fred Newmanの役が入っていないのは寂しい。 」と書いた。このDVDを見て 、Fred Newman以外は出演しているのを見て安心した。

2019/07/20
んねぞう

バロック期の作曲家の生没年

最近Jordi Savallの演奏を視聴することが多く、勢いCouperin(クープラン)、Lulli(リュリ)等フランス系の作曲家の曲を聴くことが 増えて来たため、Bachとの年代比較のために作成

主要バロック期作曲家の生没年

2018/04/28

んねぞう

 

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06 2018

Bachの音楽

Bachの音楽については、いろいろな人が多くのことを書いていて、いまさら私が何かを付け足すことができるわけではないが、フーガ曲とその和声については、バロックから現代の時代を通じて、非常に普遍的な要素があると思っている。
私が学生の頃、NHKのFMで現代音楽の番組をやっていたのを、若気の至りでわからないながらわかったつもりで聴いていたのだが、そのテーマ曲も現代音楽だと思い込んでいたのが、後になってBachの「音楽の捧げもの」の冒頭「6声のリチェルカーレ」と言う曲であったことを知った。武光徹、柴田南雄、ジョン ケージ等の曲を、さもわかったふりをして鹿爪らしい顔で聴いていたのを思うと、恥ずかしさのあまり、わー、と叫び出したくなる(歳の功もなく、まだわからない(*)まま)。
それはそれとして、もう一つ、まだわからない曲がある。これもNHKの音楽番組のテーマ曲だったと思うが、リスナーの質問に答えるコーナーででテーマ曲の質問があり、Bachの曲だということまでは覚えているが、その曲名を忘れてしまった。覚えている限りのテーマを調性不明、拍子不明のまま書き留めておく。弦楽合奏で、コントラバスが通奏低音をピチカートで奏でていた。番組終了後もこのテーマが流れて、時間になると時報の音(ポッ、ポッ、ポッ、ピー)が続く。ここまでが私の耳に残っている。流石にこれは現代音楽だとは思っていなかったが、非常に現代的なテイストを持った曲として演奏されていた。

現代、iPhoneのSiriあたりに唄って聞かせると、即座にこの曲は何々ですと答えてくれるのかも知れないが、そんなの恥ずかしくてできやしない。それにもし貴方の歌、音程が狂っているのでワカリマセンなんて言われたら、ちょっと立ち直れないじゃないか。

「音楽の捧げもの」、「フーガの技法」は、和声と対位法のIntergrationとしての「音楽」から、極限まで贅肉をそぎ落とした骨格、核、芯と言うことができるのではないか。建物で言うと、ゴシック建築の構造の美しさを「音」と言う媒体での響きに具現化したものと言えようか。その響きも簡単明快なものでありながら、逆にそぎ落とされた本質的なものが例えば教会のような残響の豊かなところで演奏されると、聴き手の脳内に小宇宙「Microcosmos(当時の流行言葉でミクロコスモス)」を生起(敢えて言うと再生成)させるものである。Bachの音楽を世俗曲、宗教曲と言うように分類することができるが、これらの曲はどちらに分類されるべきものだろうか。まあ、直接宗教的行事に関連がないものだから、宗教曲とは分類しえないとして、さりとて世俗曲と言うにはあまりにも蒸留度が高いと思える。私としては、これは対位法の一つの到達点、特異点として、異次元への始まりの準備と言う位置づけになると思っている。「特異点」と言ったのは、この点が古典派への連続的な接続と言うには不連続な感じがするからである。ただし、これは私の不勉強のなすことであって、例えば子供のC. P. E. Bach等の後継者を丹念に拾って行けば連続性が認識できるものなのかも知れない。

ゴシック建築とのアナロジーの点でもう少し言うと、バロック音楽=ゴシック建築 vs ロマン派以降=近代建築(コンクリート、鉄骨、ガラスを使った独創的なフォルムの建築)と言う図式で考えて見たい。

ゴシック建築そしてバロック建築は基本は石と煉瓦を材料としており、これらは引っ張り、曲げに弱いと言う機械的性質から、建物としては重力を受け止める、或いは重力を利用した形での造形しかできない。従って、この建築物の形状は基本的に垂直、アーチ型を基調としたものにならざるを得ない。それも、その重量を支えつつ空間を確保するためには、しっかりした柱、壁、アーチ等の構造がそれなりのボリュームとバランスをもって配置されなければならない。これが見る者、住む者に安定感を与え、「構造」と言う側面に人の意識を向けることになる。視覚的なバランス、リズム、規則性、遠近感、それらから来る美しさと言うものにバロック音楽との類似性を感じる。それに対して、近代建築における鉄鋼材料は、引っ張り、曲げ、ねじりへの耐性もあって建築形状の自由度が大幅に向上したため、見た目のフォルムに新奇性を持たせることができるようになり、逆に不安定感を醸し出すような建物さえ現れている。

ゴシック建築は12世紀から始まった。Bachは17世紀に生まれた。この数百年の間、人々はゴシック建築(のちにバロック建築)の中で暮らし、影響を受け、バロック音楽もルネサンス、バロックと経てBachにて集大成を見た。と言う理解。

*音楽がわかる、わからないということについても若い頃青臭い妄想をしていた。これについては気が向けばまた後で。

2018/01/08
んねぞう

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01 2018

真田丸

NHK大河ドラマの真田丸でオープニングテーマ曲に使われていたヴァイオリンの曲が気になっていたのだが、Youtubeを見ながら採譜した。そのうち練習してみたい。これが今週末の成果。

2017/09/24

んねぞう

耳年齢

最近自分のPCオーディオシステムに低音に厚みを付けたいとサブウーファーを追加して聴いているが、そもそも自分の耳は低音はどこまで聞こえているのかを確かめて見た。WaveGeneと言うフリーソフトがあったので、インストールして周波数をスイープして音を出してどこまで聞こえるかを試して見る。

その結果、下は31.5Hz、上は13.5KHzまでは聞こえた。

Googleで年齢毎の可聴周波数を「可聴周波数 年齢」で検索したら、下記のような表が出て来た。これで言うと、私の耳は下は21~22歳、上は42〜43歳と言うことか。ふむ。

人の可聴範囲

10代 20〜20,000(Hz)

20代 30〜16,000(Hz)

30代 40〜15,000(Hz)

40代 50〜14,000(Hz)

50代 60〜12,000(Hz)

60代 70〜10,000(Hz)

(出典 http://www.auralsonic.co.jp/earagetest/)

周波数によって、スピーカー、床、或いは自分の頭蓋骨などが共鳴(共振)して強く聞こえる帯がいくつかあり、不快で、途中冷や汗が出る。本当はこれをフラットにできれば良い音場となるのだろうが。なかなかそれは難しそうだ。

2017/09/10

んねぞう

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09 2017

PCオーディオシステムのアップグレード

予てから今使っているOnkyoのWavioのアンプの音の歪が気になっていた所に、先日中華アンプを買って、そのリスクとコストパフォーマンスに開眼してから、中華アンプとサブウーファーとやらを使って音質改善を目論んだ。

システム構成は下記。

MA-U700は今やD/Aコンバーターとしてのみ機能する。音圧が飽和した時の明らかなひずみと言うか、濁りと言うか、リップルが耳を刺激する。10年選手だから、良く分からないがネットではコンデンサは劣化するもので、それが音質に大きく影響するものだということだから、もうそろそろ寿命なのかも知れない、しかし、ヘッドフォンジャックから別のアンプにつなげて見ると、上記 のような現象は発生しないので、これを生かすこととする。

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08 2017

中華アンプその後

先日中華アンプを買ったことを書いた。その後実家に帰省の折に実際にセットアップした結果、音が出た。

ビクターのフロア置きスピーカーを二階からえっちらおっちらおろして、埃を払う。昔のスピーカーだから一台10kg位あるのでそれだけで大汗。テレビのイヤホンジャックからアンプのLine inに繋いで(左右の接続を逆にするお作法を忘れずに)、iPadからのHDMI出力をテレビに繋いで、さて電源On。「ポン」と言うホップノイズが出た。よし。それでは早速You tubeで音出しだ。

スピーカーは長年放置していたことによる劣化、故障もないようで、今までのPCの環境どは段違いの豊かな音場にびっくりした。昔はこういう音を聞いていたんだ。左右の音の広がりと程よく響く低音と、中音域との繋がり。

アンプとスピーカでこれだけの違いが出るということを体験した。

聴き込むと右チャンネルの音が出過ぎているような気がする。バランスの調整もできないので、右チャンネルのスピーカーはできるだけ遠くに置くようにしている。ここでも流石中華アンプ。

調子に乗って 携帯電話のテザリングでYou tubeを見ていたら、2時間で月間の契約データ転送容量を使い切ってしまった。

 

2017/08/11

んねぞう

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08 2017