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太宰の「佐渡」について

前稿の佐渡旅行記の冒頭、「私は太宰程の感受性はないにしろ、死にたくはないがその淋しさというものを体験してみようと思う。」と書いた。実は、その太宰の言う淋しさとは何かについて理解が不十分なままであった。旅から帰って、作品を読み返しつつ、考えたのが本稿である。読んでいただける場合は下の「Read the rest of this entry」を押して下さい

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佐渡旅行記

昨年の2月、津軽の龍飛岬を旅した。それは、津軽三味線を生んだ津軽人を育んだ津軽という土地、気候の最もExtremeな場所として、また真冬の日本海、強風と荒波の海岸、岬に身を置きたい欲求に駆られてのことだった。
今年も、人のいない、荒涼とした景色を求めて、佐渡を目指す。
太宰治の「佐渡」では「佐渡は、淋しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。」と書かれている。また、「何しに佐渡へなど行く気になったのだろう。」等、ひどい言われようである。であるが、わざわざ作家が短編ながら作品をものしているからには、何も存在しないと言う淋しさではなく、太宰をして「死ぬほど 淋しい 」と形容させるものがあるに違いない。それが太宰の琴線に触れないにしても、あるいは不協和音を立てたにしてもだ。私は太宰程の感受性はないにしろ、死にたくはないがその淋しさというものを体験してみようと思う。

(かなり長文です。読んで下さる方は下の”Read the rest of this entry →” を押して下さい)

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02 2019