原稿提出!

文芸同人誌「澪」の次号の原稿を編集担当者の方に提出した。これまでは、自分のブログで好き勝手に呟いていれば済んだものを、これからは同人誌の品質、レベルに影響を与えないよう自分の作品に責任を持たなければならず、あわよくば売上にも貢献しなければならない立場と相成った。

3月に出版の予定

2020/01/13
んねぞう

「破滅型」の作家 葛西善蔵

2月に津軽に旅行を計画しており、津軽に関する資料や小説などを読んでいる。太宰の「津軽」をおおよそ読み返し、昨年2月に佐渡に行った際に司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んだのを思い出し、同じシリーズの津軽に関する本をKindleで購入して読んだ。その中で太宰の「津軽」の引用が随所に見られ、これを引き当てた形での記述がある。また、その中で弘前生まれの葛西善蔵という作家が存在することを知った。一昨日から風邪を引き、今日の土曜日は一日外出せず家に垂れこめていたので、この作家の「哀しき父」、「おせい」、「子をつれて」、「蠢く者」を青空文庫で読んでみた。

破滅っぷりがひどい。太宰の破滅ぶりは、天邪鬼が、人の行く方向とは逆に、あたかも夏の小虫が祭りの松明に誘われてふらふらと近づいて行くような、「おいおい、そっちじゃないよ」とでも言いたくなるような余裕があるが、葛西の場合は、例えば「子をつれて」の場合は、妻が金策に郷里に行っているが、刻々と家の立ち退き期限が近付いているのにもかかわらず、知り合いのKのところに金の無心に通うだけで、いよいよ当日になっても立ち退き先が決まらず深夜に子連れで電車に乗っているところで終わる。一体どうすんのよ、と言いたくなる。

持っているものを売ってしまい、売るものもなくなってついには友人から借金も借り散らした挙句いよいよ窮して金の無心に最後の頼りにKを訪れた「彼」に、Kはこう語る。

「……そりやね、今日の處は一圓差上げることは差上げますがね。併しこの一圓金あつた處で、明日一日凌げば無くなる。……後をどうするかね? 僕だつて金持といふ譯ではないんだからね、さうは續かないしね。一體君はどうご自分の生活といふものを考へて居るのか、僕にはさつぱり見當が附かない」
「僕にも解らない……」
(略)
「フン、どうして君はさうかな。些ちつとも漠然とした恐怖なんかぢやないんだよ。明瞭な恐怖なんぢやないか。恐ろしい事實なんだよ。最も明瞭にして恐ろしい事實なんだよ。それが君に解らないといふのは僕にはどうも不思議でならん」
(略)
彼にはまだ本當に、Kのいふその恐ろしいものゝ本體といふものが解らないのだ。がその本體の前にぢり/\引摺り込まれて行く、泥沼に脚を取られたやうに刻々と陷沒しつゝある――そのことだけは解つてゐる。けれどもすつかり陷沒し切るまでには、案外時がかゝるものかも知れないし、またその間にどんな思ひがけない救ひの手が出て來るかも知れないのだし、また福運といふ程ではなくも、どうかして自分等家族五人が饑ゑずに活きて行けるやうな新しい道が見出せないとも限らないではないか?――無氣力な彼の考へ方としては、結局またこんな處へ落ちて來るといふことは寧ろ自然なことであらねばならなかつた。

葛西善蔵「子をつれて」 青空文庫 図書カードNo.51221

彼の著作はすべてが本人の実人生だという。「表現」の渇望をドライビングフォースとして、 経済的な準備もなく妻子を伴い東京に出たものの、健康にも恵まれず、赤貧洗うがごとき生活で知り合いから寸借生活を続けて、このままではいけないとは思いつつ、なぜいけないのか、その恐ろしさは朧気ながらわかってはいるが行き着くところまで行ってみることを、積極的には肯定しないにしろ、それがむしろ自然なことであるというのだ。

俗世間的に言えば、Kの言い分が正しい。また、父親の香典返しのお茶の鑵を彼に発送するにあたり、憎しみを込めて凹ませて送ったYのような人間も、世間が味方するだろう。

私は勤め人生活が長く、人のことを斟酌するのに幅が狭いので、「言っていることはわかるけど(実のところわかっちゃいない)、まあ、あの人はああだから…」と、できるだけ関係を持たないようにするだろうと思う。 私には、この上記二者の間をどのように考えればよいのか、「彼」の考え方をどう飲み下せばよいのか、考えが纏まらない。

上述の司馬遼太郎の「街道をゆく」では、葛西についてこのように書き記している。

本来、 小説的情景は作家が想像のなかでつくりだすものだが、かれは実際に生きてみて、ナマ身で情景をつくりだした。人生の破綻こそ〝 芸術〟への出発だ、とこの人はいう。

司馬遼太郎. 街道をゆく 41 北のまほろば . Kindle 版. 以下同様

さらに、太宰が弘前高校に入学した早々に書いた英文の作文で、太宰は

〝葛西善蔵はいまの日本でいちばん不幸な作家である〟

とし、

「ほんたうの幸福とは、外から得られぬものであ つて、おのれが英雄になるか、受難者になるか、その心構へこそほんたうの幸福に接近する鍵である」

と書いているそうだ。さらに、司馬は、石坂洋次郎と葛西の交友にも触れた後、こうも書いている。

津軽人石坂あるいは太宰にとって、葛西善蔵は、芸術上の聖者か殉教者のような存在だったのである。

ここまで書かれると、多少なりとも津軽を理解したいと思っている私としては「まあ、あの人はああだから」と乙に澄ましてもいられず、少しは真面目に向き合わなければならなくなる。何だか重い宿題をもらった気分だ。

P.S.

今、一つ思ったことがあるので、断片的ではあるが書き出しておきたい。葛西と太宰の 破滅傾向のパースペクティブについてである。太宰は作家としての活動を始める前に、既に葛西の作品に触れていた。そののち著作活動を進めるにあたって、「東京八景」では自分の生活、社会的な立場がじりじりと破綻に近づいてゆく状況を、克明に、しかもその刹那刹那の状況に、腸(はらわた)がこわばってゆくような感覚と同時に、その破綻への近づき方の微分係数が微小な(微小かどうかは実際わからないが、一種の麻痺状態として)故の、そして自分の見込み通り傾向が悪くなっていることを確認できていることに対する、逆説的な安堵感をもって描写されている。この様子と葛西の作品を比べてみて、太宰が、津軽人特有の含羞を持っている人間として捉えると、自分は裕福な、地方の有力者の家庭で、経済的には何不自由なく育ち、東京の大学にも通った身である。それに引き換え、葛西は自分の芸術に対する理念に徹底的に忠実であるということを明確に意識しており、太宰は始終このことに負い目を持っていたのではないか。自分は不徹底な人間である、その不徹底な人間がこんな小説を書いて、頭の中の別の自分が「へえ、芸術家ってのは、例えば葛西善蔵みたいなものを言うんだと思っていたけど、ほう、あんたも芸術家なの。へえ、そうなんだ」と何かあるごとに頭を擡げて来る、そういうような意識を常に持ち続け、それが彼の生涯を通じた創作の底流にあるような気がする

2020/01/11
んねぞう

ハレーション

年末にあるところで写真を撮っていた際に、曇り空を背景にして撮った際に、ある異変に気が付いた。ハレーションがひどい。

雨降りだったのでレンズのフィルターに水滴が付いたせいかと思って拭いたが解消しない。内部で結露?そんなことはない。ずっと寒い屋外にいたのだから。レンズを外してみたが、ミラーに曇りがあっても影響があるわけではないし、撮像素子にごみが入ってもこんなぼやけたハレーションが発生するのだろうか。ああ、また修理に出さねばならないのか…

2019/12/30
んねぞう

30

12 2019

2020年版一年中休みカレンダー

根が怠惰なものだから、1年中休みたい。そのための理由を考えて、カレンダーにしてみた。真面目で勤勉な方は、時間の無駄なので、見ないでください。

◇ 一年中休みのカレンダー ◇

自分でも何やってんだか、とは思いますよ、はい

2019/12/22
んねぞう

Windows 10へのアップグレード

今私の使っているパソコン(Windows)はミニタワー型のパソコンで、1990年代初頭、PC/AT互換機時代からの自作で換骨奪胎、当初からのパーツはケースも含め何回も代替わりして何も残っていない。この遍歴についてはこちらを参照して下さい。当時は出来合いを買うよりも自分でパーツを買って組み上げた方が安上がりだったので、いまだにこのスタイルとなっている。

さて、いよいよ、Windows 7のサポートが切れるという話が喧しくなってきたので、流石の私もやっと重い腰を上げて、データのバックアップをしている。データの消失が最も恐ろしいことだが、私のハードウェアがかなりのレガシーを引きずっているので、このままスムーズアップグレードできるかが見ものだ。Windows 7までは、私は、古い話で恐縮だが、MS-DOS - Windows 3.1(知らない人も多くなっているのではないか) - Windows 95 - Windows 2000 - Windows XP - Windows 7 と有償アップグレードで繋いできたが、今回はそのような制度はなく、定価で買わなければならないこと、巷ではハードウェアを買い替えろ、買い替えろという宣伝が異様に目立つこと、家電量販店に「Windows 10が欲しいのだが」と店員に聞いたら「え?ソフトウェアのですか?」と言う反応をされたことを考え合わせると、Windows 7からWindows 10へのスムーズな移行は難しいので、何か面倒を起こされるとサポートが大変だからハードウェアの買い替えを必死に推している、等と勘ぐって見たくなる。

とまれ、バックアップを終了し、今日必要なMail等の連絡を済ませた後、Windows 10への移行をするので、次回私がこのブログに書き込みしていたら、ああ、こいつは何とか移行できたんだな、と了解されたし。それでは。

All the best, good luck to me! てか

2019/12/15
んねぞう

文芸同人誌 「澪」加入

私は今般、横浜を中心として活動している文芸同人誌「澪(みお)」の同人に加入させて頂きました(下の画像をクリックするとそのサイトに飛びます)。

今年4月に写真教室に入門し、講師の先生より、ある日、その写真教室の授業の合間に先生の主宰する文芸同人誌への加入のお誘いを頂いたもの。当初、尊敬する先生から、思いもよらなかった同人誌の加入のお誘いと言うことで、嬉しくて舞い上がってしまった。が、さて家に帰って少し頭を冷やして、同人誌のバックナンバーをAmazonで購入して(電子書籍化もされている)読み直して見ると、これはとても私の及ぶレベルではないと恐れをなして一旦はおことわりのMailを出したのだが、その後いろいろあって、参加させていただくことになった。内容はバックナンバーの一冊でも手に取って頂ければわかるが、小説、エッセイ、評論、写真等小冊ではあるがレベルの高い作品ばかりだ。

長い間研鑽、精進を続けて来た、このような集団の中で、私に何ができるだろうと、いろいろ考えたが、結局私には「んねぶら」で発表している表現スタイルしかないので、写真と文章の合わせ技で、自分を表現して行くしかないと思い定めている。昨日初めて編集会議に出席し、自己紹介の後、内容、ページ数、掲載順等について打ち合わせて、その後居酒屋で酒を飲みながら同人の方々とお話をさせて頂いた。皆気持ちの良い人達ばかりで、どうやら私の居場所を作って頂けたようだと感謝しつつ安心している。と同時に、それぞれの「表現」と言うものに対する渇望、気迫がひしひしと伝わって来て、今までへたれブログを綴って来た我が身としては緊張で胴震いがする。反面、これまで関わりのなかった分野の人達から、いろいろ刺激を受け、視野が広がるのではないかと楽しみにしている自分がいる。

2019/12/08
んねぞう

◆ 「澪」の購入はこちらから → 「澪」の購入方法

色空間

このところ写真ブログの写真の色がおかしいので頭を悩ませていた。現像ソフト上では正常なのに、jpegで書き出すと色がくすんだり、空の色が気持ち悪くなったりしていた。今日、現像ソフトの書き出し時のオプションが違っていることが、やっとわかった。何故かProphoto RGBと言うカラースペースになっていて、これをsRGBにしたところ、まともな色になった。マウスと指のクリックのタイミンクで、そこのオプションに触れてしまったのに気付かなかったようだ。

最近カメラが壊れて修理に出したり、別のカメラも調子が悪くなっているので、ひょっとしてまた何か修理にお金がかかるのか、と内心がっかりしていたので、ほっとしている

2019/11/30
んねぞう

30

11 2019

新幹線車内テロップ

新幹線の客室内の出入り口の上に表示されるニュースのテロップが気になる。 退屈で目が泳いでいる時に、別に必要でもない情報が目に入ってきて、それがゆっくり流れるので、「もっと早く流せ!」と思わせたり、同じ記事を2回続けて流すのだがふと目が行った時に末尾の文言が目に入って、「ん?」と思ってもう一度見たいときに限って次の記事に行ったり、なかなか、からかわれている感じが良い。このようなテロップを作成するサイトを見つけたので、作って見た。

作って、どや、とじっと見ていると目がおかしくなり、眩暈がしてくる…

作成ツールのあるサイトは下記
電光掲示板 Generator

2019/11/09
んねぞう

あ、はい…

以前から気になっていた看板
まあ、そうだよな、家の中でドタバタ走り回って年寄にぶつかって転倒したら大変だしな、だけどそもそも我が家に限って言えば走り回るスペースなんてないし
とか色々考えさせられる

Tags:

つまり、

先日写真を撮りに行った先の駅のトイレで

2019/09/28
んねぞう