Posts Tagged ‘Bach’

バロック期の作曲家の生没年

最近Jordi Savallの演奏を視聴することが多く、勢いCouperin(クープラン)、Lulli(リュリ)等フランス系の作曲家の曲を聴くことが 増えて来たため、Bachとの年代比較のために作成

主要バロック期作曲家の生没年

2018/04/28

んねぞう

 

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06 2018

Bachの音楽

Bachの音楽については、いろいろな人が多くのことを書いていて、いまさら私が何かを付け足すことができるわけではないが、フーガ曲とその和声については、バロックから現代の時代を通じて、非常に普遍的な要素があると思っている。
私が学生の頃、NHKのFMで現代音楽の番組をやっていたのを、若気の至りでわからないながらわかったつもりで聴いていたのだが、そのテーマ曲も現代音楽だと思い込んでいたのが、後になってBachの「音楽の捧げもの」の冒頭「6声のリチェルカーレ」と言う曲であったことを知った。武光徹、柴田南雄、ジョン ケージ等の曲を、さもわかったふりをして鹿爪らしい顔で聴いていたのを思うと、恥ずかしさのあまり、わー、と叫び出したくなる(歳の功もなく、まだわからない(*)まま)。
それはそれとして、もう一つ、まだわからない曲がある。これもNHKの音楽番組のテーマ曲だったと思うが、リスナーの質問に答えるコーナーででテーマ曲の質問があり、Bachの曲だということまでは覚えているが、その曲名を忘れてしまった。覚えている限りのテーマを調性不明、拍子不明のまま書き留めておく。弦楽合奏で、コントラバスが通奏低音をピチカートで奏でていた。番組終了後もこのテーマが流れて、時間になると時報の音(ポッ、ポッ、ポッ、ピー)が続く。ここまでが私の耳に残っている。流石にこれは現代音楽だとは思っていなかったが、非常に現代的なテイストを持った曲として演奏されていた。

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08

01 2018

メニューインとオイストラフ

youtubeでたまたまメニューインとオイストラフによるバッハのドッペルコンチェルトを見た(聴いた)。メニューインが1st、オイストラフが2ndだった。こういう時、どっちが1st? なんて考えること自体が既に下衆な考えであることは認めるが、一般的に言って力のある方が1stと思う。

しかしこの演奏は、陳腐な言い方で済みませんが、両者全く互角、メニューインは1stとしてのPrincipalityを存分に発揮しているし、オイストラフはオイストラフで陰に回りながらもドッペルコンチェルトとしての重層性の厚みをしっかり支えている。やはりこの二人は別格だな、どっちに回っても存在感が凄い。wikipediaで見て二人の経緯はあるようだが、結局この二人にとっては1st、2nd?そんなことはどっちでも良い、そう言うことなんだなと合点。

現今の古楽器を使ったオリジナル奏法によるバロック音楽は私は大好きだが、一方このようなロマン的な演奏も、いいなあと再認識させられた。

このビデオはモノクロだから1950年代あるいは1960年代のものかと思うが、片や西側のメニューイン、片や共産圏のオイストラフ、政治的ギャップがあって交流が途絶えても、同じルート(根)を持っているので、こういう質の高い演奏ができるんだろうな、と思った。

2015/11/21

んねぞう

バッハの誕生日とA Prairie Home Companion

昨日はバッハの誕生日(1685/03/21)、A Prairie Home Companionでもバッハの誕生日にちなんでプログラムを組んだ。インターネットのストリーミングで実況が配信されるが時差の関係で日本では翌日(3/22)の朝になる。
先月のヨーヨーマの時と言い、なぜAPHCがバッハを好んで取り上げるか確かめてみたら、バッハはルター派の教会(アイゼナハのSt. George’s church)で洗礼を受けているためらしい。アメリカ中西部はルター派の移民化が多く、Garrison Keillorもその文化の中で育っている背景がある。

2009/03/22
んねぞう

22

03 2009

クリスマス オラトリオ

毎年クリスマス前の週末には、バッハのクリスマスオラトリオのCDを聴くことにしている。今年は9月から仕事が忙しくなってその余裕がなかったために、仕事納めがあった翌日の今日、ようやく聴くことができた。と言うよりも、いつも聴いていたと言うことを思い出したと言うのが正しい。日中、片づかない会社の仕事をしながら聴いていた。会社ではないのだから、音楽を聴きながら仕事をさせてもらっても構わないだろう。私の持っているCDでは福音史家がペーター シュライヤーだが、いつ聴いてもその声の艶、ベルベットのような手触り、変幻自在の表情が素晴らしい。

2008/12/28
んねぞう

28

12 2008

J. S. Bach BWV248 Weihnachtsoratorium

今、バッハのクリスマスオラトリオを聴きつつこのアーティクルを書いている。
普段、この曲は特別なものとして、クリスマスに限って聴くものという意識があるので、本当のクリスマスになってもその意識が抜けず、今日も、おっとそうだ、今日はあの曲を聴く日だ、と危うく聴かずに過ぎて行きそうなのであった。
下はそのCDのジャケット。テノールがベーター・シュライヤー、バスがテオ・アダム、ソロバイオリンがカール・ズスケだ。

以前テレビでヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でゲヴァントハウスの聖トーマス教会での演奏を聴いた(見た)ことがあったが、一度はあのような場所に身を置きたいものだと思う。きっと己の卑小さを思い知り、涙ながらに多少はましな人間になろうと思うだろう。

<2005/12/25> んねぞう

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12 2005