Archive for the ‘日記・コラム・つぶやき’Category

驚愕の250ドルノートPC

このところ自分のデスクトップPCの10年ぶりの更新計画の妄想を楽しんでいる。重い3Dゲームはしないし、写真の現像、動画編集には昔買ったソフト、或いはフリーソフトを使っているのだが、調べた限りこれらを使う分にはグラフィックボードは機能しないようなので、CPUにコストを全振りした形で考えており、う~む、今だったら第13世代Core i 7かな、等と考えている。

YouTubeの情報収集もおさおさ怠りなく行っているうちに、デスクトップではないが、Intelの新しいCPUを搭載した格安ノートPCの動画が目に留まった。

製品HPより

私は 会社の業務の一環として、ある団体の主催するセミナーで講師まがいのことを務めさせて頂いている。このセミナーでは、その団体の拠点に社用のノートPCを持って行き、オンラインミーティングツールを通じてでセッションを進めて行くのだが、今後会社を退職した際に、仮に講師を個人として委託を受けた際にどうしようか、ということが頭に引っかかっていた。私の個人PC環境はデスクトップで、4Kモニタその他周辺機器をいろいろ繋いで使っており、移動した先でごりごり重作業をするつもりもないので、非常用としてCerelon N4020を搭載した2 in 1ノートを持っているのみである。しかしこのノートPCを上記の業務のために、オンラインミーティングツールで接続しながらOfficeソフトを動かして、というには明らかに力が不足しており、どうしようかと思っていた

そのような中でYouTubeでIntel N100という、Cerelonの系譜を継ぐ、Core iシリーズで言う第12世代(Alder Lake)のCPUを搭載したノートPCの紹介記事があった。Cinebench R23のMulti coreのスコアが2,906と、今私が持っているCerelon N4020の720はおろかメインのCore i 5 3570Kの2,645も軽く凌駕しているのに驚いた

今使っている社用PCは第7世代のCore i 5であり、暗号化、VPN、その他監視ソフトがバックグラウンドで動いていることもあるのだろうが、オンラインミーティングツールでリモートの講義を行うには多少辛い面がある。もしこれらのOverheadの制約がなくなったとしたら、このN100はどの程度の使い勝手になるのだろうか、興味がある。価格は249USD

一つ、今わかっている問題は、キーボードにかなの刻印がないことだ(なぜこれが問題なのかはこちら)

製品URL(安心のためURLは埋め込みません)
GemiBook XPro 14 inch | Intel 12th Alder- N100 | Intel® UHD Graphics | WIFI6+BT5.2 | 8GB LPDDR5 + 256GB SSD
https://store.chuwi.com/products/gemibook-xpro?sca_ref=552608.VMa89q1Iu6&utm_source=fb&utm_medium=social&utm_campaign=12312

2023/04/23
んねぞう

変態キーボード その後

2016年にテンキーレスキーボード3種類を買って、そのうち2つを会社用、自宅用として使ってきた。2020年4月から本格的に在宅勤務体制となって、自宅で使っているUSB接続の青軸のキーボードを会社のパソコンと自分のパソコンで切り替え機を使って共用して来た(機器構成はここ)。これは省スペースで非常に良いのだが、このキーボードが青軸でキーの音が大きいことが最近問題となって来た。買った当初は自宅で使うのだから、これを承知で使っていて、この音自体もいかにもキーボードで入力していると言う音で好きなのだが、オンライン会議でキーボードを使っていると、その音が相手に聞こえて耳障りと思われるのと、電話がかかって来て、話しながら何かを調べるためにキーボードを打つ必要があって、人によってはそれを気にする人もいる。その中には、内職をしながら人の話をいい加減に聞いていると思われている人もいるようだ(本当に内職をしながらと言う場合もないとは言えないが)

そこで、会社に置いてあって、今はたまに出社した時しか使っていなかった赤軸のキーボードを自宅に持って来て、試してみた。赤軸は上述の青軸とは違って音が静かなのが特徴だ。結論から言うとこれはBluetooth接続で、キーボード切り替え機がBluetooth接続のキーボードやマウスには対応していなかったのであえなく没となった

これからが本題なのだが、上の企みが失敗に終わって、茫然とこの2つのキーボードを眺めていると、あることに気が付いた。これらのキーボードには残念ながらかなの刻印がなく、一方私はかな入力派であり、かつブラインドタッチと言う高等技術は残念ながら未だに身に付いていない。このギャップを埋めるべく、どこからか買ってきたひらがなのシールをぺたぺたと貼って、下の図のように見てくれが残念な形で使っているのだが、当然使っているうちに剥がれて来る。この剥がれ方の傾向が上下のキーボードで共通しているのだ。下の写真を見ながら読み進んでください。写真に写っている2つのキーボードのうち、上が会社で使っていた赤軸、下が自宅に置いてあって今在宅勤務、私用の両方で使っている青軸のキーボードです

まず”E”、かなでいうと「い」が剥がれている。Webで調べたところ、日本語の文章では、ひらがなでは「い」の出現頻度が一番高いというのが通説のようだ。また、英文でも同じキーである”E”の出現率が他の文字よりダントツに高いといわれている。私は、こう言っては何だが、一般のデスクワークの会社員としては英語のコミュニケーションが多いので、勢い英語の文書を作成することも多い。ということで、これは自然であろう(図中赤〇印)。

次に、「く」のシール、英語だと”H”。この理由をぼんやりと考えてみるに、このキーはキーボードのちょうど真ん中に位置しているために、私は状況に応じて右手、左手両方で押している。いずれの手首からも一番遠いので、勢い、手をこじる形で押すので、シールをずらす力が働いて、剥離に至ったのではないかと。また、周辺のシール、例えば「き」、「ま」と違って字形が単純で、シールの面積が少なく、その分粘着力もないため、その分剥がれやすいのではないか(黄色〇印)。

シールの面積の小ささで言えば、「に」のそれぞれの画が小さいために画が一つどこかに行ってしまっている。「し」も一部がちぎれたり、形が変わってしまったりしている。「り」も然り(紫〇印)

以上は2つのキーボードに共通に見られる傾向だが、下のキーボードでは特異な現象が現れる。「つ」(英語名”Z”)のはみだしと「ひ」(英語名(“V”)の脱落だ。この理由は、このキーボードを在宅勤務で仕事に本格的に使い始めてから、2021年から2022年にかけて、Excelのワークシートを必死に操作する必要に駆られていた。その時、Ctrl-Vを猛烈に使っていたせいだ。その時の汗と涙と鼻水がこのシールを溶かしてしまったのだ。Ctrl-Vを使うからにはCtrl-C, Xも相応に使っていた訳だが、負荷が2分されたので剥離を免れているのだろう。同じようにCtrl-Zも多用していたが、左手の小指でCtrlキーを押しつつ同じ左手の中指で”Z”を押すのだが、指の腹、或いは爪が立ってキーを右下にずらすような形になるために「つ」がずっこけるようになったようだ(緑〇印)


↑ 上が赤軸、下が青軸
↑ 2つのキーボードの使用状況

以上、まとめとして

キーボードが違っていても、キーの損耗の傾向に違いはない(標本数 N = 2)
そうは言っても、使用期間によって損耗状況に違いが生じる部分があり、そこからその時々の仕事の追い込まれ方を窺い知ることができた

前に、シールを貼った時に、「このシールが剥がれる位に使い込んだ暁にはブラインドタッチが身に付いているだろう」と期待を込めて書き込んだ覚えがあるが、道は未だ遠し。というか、シールが全部剥がれないまでも結構使い込んでいるはずなのに、剥がれたキーが何の文字だったか一瞬考えこむ場面もある位なので、もう一生無理なのかも知れない

買ってから7年、使っているうちに以上のようなことがわかった。わかったからどうだという内容がないのはこのブログの常なので容赦下さい

本件に関する関連する前回の書き込み : 変態キーボード

2023/02/23
んねぞう

続 : 今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。

杉本博司の展覧会についてこの前の記事で書いた時に、東京都写真美術館のHPを見たら、図録が発売されていたことに気が付いて、早速調べてみたが売り切れていた。諦めきれずに古本を探したら、神田の古書店で取り扱いがあったので、価格が高くなっているのには目をつぶって(奥さんにも目をつぶってもらって)購入した

それがこの本

表紙には何もタイトルの文字が書かれていない

背表紙もなく、綴じたままの体裁。表紙と言い、背表紙と言い、この展示の内容のコンセプトをそのまま体現したものであると感じた

ひょっとして前の持ち主が自炊した後かと思って、Webで画像をいくつか確認してみたが、みなこの形だったので安心したことは自分の肝っ玉が小さいことの証左である

この本の体裁を見て、私も一つ「今日、世界は死んだ。…」のEpisodeが思い浮かんだ

34 製本職人
今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。
        製本職人としてこれが最後の仕事になる。書籍の電子化が進んだ中、昔の紙の風合い、手触りを持った製本版を求める天邪鬼も多少はいたが、所詮は大きな流れの中の泡に過ぎなかった。
        今は電線を頭に差し込んで情報を一気に流し込めるようになって、一部の人間は電波か何かで直接やりとりしているらしい。いちいち文字を目で追うより手っ取り早いらしいのだが、その手の人間の言うことがわからなくて苦手だった。仕事を進めるうえでも一体どこで何が決まってどうしてこうなっているのか、さっぱりわからない。
        路上で人間が突然泡を吹いて発狂したようになって、専用の救急車で運ばれて行くのを良く見たが、離れた相手と脳味噌同士を直接繋いでいるうちに喧嘩になったあげく、人格を破壊されるまでやっつけられた結果なのだそうだ。言葉、文字という媒体を介さずに繋ぐとお互いの自我が剥き出しになるからだと、誰か偉い学者が言っていた。このあいだ、その伝でどこぞの国の大統領ともう一つの国の大統領の間でそれをやってこじれてしまったことが人類の滅亡を決定付けた最後の一撃だったらしい。
        それはそうと、この仕事を仕上げたかったのだが、職人仲間に頼んでいた背表紙の材料はとうとう届かなかった。編集者は表紙のタイトルが決まらないまま死んでしまった。ということで、俺にできることはここまでだ。本を作るということは文化を伝えることだと思っていた時期が俺にもあった。最後の本がこのような形になってしまったのも、人類の文明の終わり方を象徴しているようで、ある意味相応しいかも知れない。さて、後の文明があるのか、この本が発見されるのか、発見できたとしてもこの本の内容を把握できるかどうか期待もしていないが、俺はこの本を手に、この文明の最後のArchiverとしての自己満足を胸に、眠りに就くことにする

こういうことを考えさせられるということは、私もまんまと作家の術中に嵌ったということだろう

図録とは別に、入場者には小冊子が配布されていて、このスキャンを取っておいたが、美術館のHPにもこのイメージが掲載されていることがわかった

東京都写真美術館 杉本博司 ロスト・ヒューマン 作品解説のURL

  • “https://topmuseum.jp/upload/3/2565/sugimoto_list.pdf”
  • “https://topmuseum.jp/upload/3/2565/sugimoto_list_0903.pdf”

直接リンクを張っても良いのだが、昨今のご時世で不用意にリンクを踏むと変なことろに飛ばされるのを警戒する向きもあると思うので、敢えてダブルクォーテーション(“”)で囲み、自分の意志でコピーペーストしてアクセスして頂くようにした。また、ここで直接リンクを張ると、ひょっとして相手先にTrack Back依頼などが行って変なことになるかも知れないのを避けるためもある

公式HPで既に公開されているし、自分のものの方が長期間放置されていたせいで紙が陽に焼けて、いい具合になっていると思うので、掲載しても良いだろうと判断してアップロードしておく。本当の目的は自分の資料の散逸防止のため。オリジナルのサイトにリンクを張ってもいつの間にかリンク切れになっていることがしばしばあるので

リンクはこちら

2023/01/19
んねぞう

Tags:

今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。

部屋を片付けていたら、2016年に東京都写真美術館で開催された杉本博司の「ロスト・ヒューマン」と題された展覧会の作品解説・出品リストが出て来て、しばらく読み耽ってしまった。その大きな部分を占めるインスタレーションの解説文が、すべてタイトルに掲げたような一文で始まる。人類が、その文明の終焉を迎えるにあたり、色々な立場の人間が、自分の遺伝子の保存処理をおこなったうえで死に臨むにあたっての感懐という形の文章が続く

作品解説・出費リストの一部 - 画像を加工してあります
作品解説・出品リストの一部 – 画像を加工してあります

展覧会から6年が経過して、その間世界に色々なことが生じているのを見るにつけ、氏の感覚の確かさを感じる。新型コロナウイルスの感染拡大、米国での大統領選挙をめぐる一連の騒動、ロシアのウクライナへ侵攻等。このような「事件」という形で表れているものの他に、地球環境の温暖化に伴うSDGという考え方によるパラダイムの変化、テクノロジーでも、文字、紙、車輪、蒸気機関、半導体の発明等を経てAIが人類の頭脳を凌駕するシンギュラリティのポイントに達する時も近いと言われている。20世紀に出現した相対性理論、量子力学により、人類の宇宙観も大きく変わった。人類には宇宙の全体像の把握は不可能に近く、また直観的に知覚できない「何か」によって天体、銀河、大規模構造の運動が支配されており、翻ってミクロの世界に目を向けるとすべてのもののありようは確率に依存することから、パラレルワールド等と言う概念がノーベル賞級の学者によって真面目に検討されるようになっている

社会もダイバーシティという言葉に代表されるように、ジェンダー、思想信条、生活様式の多様化が叫ばれてきており、これまで何千年も維持されてきた秩序が崩れてきているように見える

これらが人類にどのような変化をもたらすのかとつらつら考えるに、2つの可能性があるように思われる

一つ目 : 破滅

人類の持つ本能の下に科学技術、文化が進んで来た。その帰結として、現在地球上に生じている戦争、経済活動による貧富格差拡大、価値観の多様化による人類内での文化的軋轢が進んだ。これらの分断は埋めようのないものとなり、地球全体がコントロール不可能となり自滅する。まさに今回取り上げた展覧会のシナリオに合致する。展覧会では33人の人物による、33の滅びのシナリオとインスタレーションが陳列されている。そのシナリオの一つを引用しておく

1 理想主義者

今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。人間
は理想という名のもとにおいてはどんな惨たらしいことでもするものだ。自由、平等、博愛の名の下に、フランス革命のギロチンは休む暇もなかった。共産主義もバラ色の未来を人類に描いてくれた。そして大粛清が始まった。民主主義対ファシズムという単純化によって、広島、長崎の原爆投下は看過された。人は根源的に人を殺したいのだ。ちょっとした平和に人間は我慢ができない。平和はあまりにも退屈だ。個人主義、その拡大の民族主義、しかしそのまた拡大の人類愛には、殺すべき敵がいないので機能しない。個の確立とは他を滅することだ。その美しい理由を探すこと、それが理想主義者の使命だ。人間は理性と原始の衝動の間を振り子のように揺れてきた。そして理性が原始の衝動を凌駕することが近代のテーゼとなった。しかし今、理性は敗れ去った、もう一度原始の楽園に戻ろう。禁断の果実とは知恵そのものだったのだ。楽園を出る時、人間は失敗を恐れず、失敗を覚悟して、そして失敗をした。理想主義と理想主義は殺し合いを続け、そして世界は減んだ。

2016年9月3日~11月13日 東京都写真美術館
杉本博司 ロスト・ヒューマン 作品解説・出品リストより一部を引用

二つ目 : 次の人類への変容の前段階

上述したように科学技術は、知能において人類を凌駕するポイントまで来た。また、世界観においても従来の分析的・演繹的な手法では把握できないところまで来た。人類の一部は、その次の段階に向けての準備段階に入りつつあり、本人たちはそれとは意識せずとも、共同意識体というものに動かされているのではないか。上記のような人類社会の混沌があるレベルに達した時、彼らは、渡り鳥の群れが次の土地に向かってタイミングを見計らって一斉に飛び立つように、次の天地に向かうようになるのではないか。そういえば火星探査やテラフォーミングという言葉を良く聞くようになったのもこの動きの一角を覗かせたものかも知れない

以上、たまたま過去の展覧会の解説を目にしたのを機に、昨今の世間の状況と相俟って考えたことを書き記した。

最後に、観覧当初の感想を書いた記事のリンクを自分の心覚えとして残して置く。さらに数年後に世の中、そして自分の見方がどうなっているのか、見返してみたい ( 世 界 が 死 ん で い な け れ ば )

2023/01/14
んねぞう

Tags:

14

01 2023

出臍スイッチ – 毛玉ファン = 爆音PC?

メインPCのミニタワーケースの上にA3プリンタを載せて使っているが不安定なので、これを格納するための棚を買った。届くまでの間に、以前ケースを開けたときに埃が凄かったのが気になっていたので、掃除機とエアダスターを準備して開腹し、掃除をした

あまりの埃にエアダスターを連続噴射していると気化熱で缶体が冷えて気化できなくなり、その都度休ませるということを繰り返し、マザーボード、CPUクーラー、グラフィックボード周辺の埃をピンセットでつまみ出す

凄かったのが背面の排気ファンで、ブレードの先端に埃がたまっていて、また余った埃が毛玉のようになっていた。さすがにこれはたまらんと、いったんファンを外してウェットティシューでブレードを一枚一枚、シュラウドなども指の届く範囲で拭い取り、毛玉はピンセットでつまみ出し、戻した。さて、吸気ファンは、と見ると、3.5インチベイに邪魔されているし、フロントパネルも外す必要があるので逡巡したが、えい、乗り掛かった舟だとばかりに反対側のサイドパネルとフロントパネルを外し、やっぱりこれも外さなきゃだめだ、と排気ファン同様掃除して戻して、組み上げた

今時見ない5.25インチベイ5基、3.5インチベイ6基、2.5インチベイなしのATXケース。向かって右が前面で、右上に見えているのは名物出臍スイッチ。電源ユニットが上にあるが留め具を多分捨ててしまったので、固定されずぶらぶらしている。電源のコードは、識者には以ての外とされている、金属の針金入りの紐でフレームに固定してある。床には、ケース内から吹き飛ばされた埃が散乱している

蓋をして起動するとこれが爆音を上げて動き出した。排気ファンと吸気ファンが元気にと言うと聞こえが良いが、フル回転しているのが良くわかる。埃を取ったことでファンの軸のバランスが狂ったせいか? 中の埃が吸音材の役目を果たしていたのか? だとしたら余計なことをしたのか知らんと、様子を見ていると、30分ほどで軸の触れ回りっぽい音は収まったが、風切り音が凄い

もう一度中を開けてみたら、吸気、排気ファン共に制御が利かないPeripheral電源コネクタ直結で、いったんスイッチが入ると常に全力で回ることがわかった。考えてみると昔はこれが普通だった。さらに、掃除の途中で、この前面吸気ファンの電源コネクタが外れていたので何気に繋いでおいたのだが、どうもこれは、以前もこのファンのうるささに閉口してわざと外したものらしい。前面、背面のファンを交互に繋ぎ替えて試してみたら、やはり心持背面ファンの方が静かなので、背面ファンだけ繋いで運用している。だが、軸受け周りから以前聞こえなかった振動音が聞こえていて気になる。また、ケース側面に開いている通気用のパンチ穴にも埃が詰まっていたので吹き飛ばしたせいか音の漏れも大きくなったような気がする

■本日の教訓

ケース内の埃は吸音材の役割をする
ケースの掃除をすると騒音が外に漏れやすくなる
うまく動いているシステムには手を付けるなという教訓があるが、そうせざるを得ない場合もある
10年も触っていないと、自分が以前何をしたのかきれいさっぱり忘れているので二度楽しめる

因みに↑のスタイルはWordpressのテーマの追加CSSの中にkyoukunというclassを定義した。多分そのうち忘れるだろうからメモとして残して置く

反対側のサイドパネルを外したところ。マザーボード背面の配線スペース等と言う洒落たものはない

nVIDIA GTX750Ti搭載の年代物のグラフィックスボード。ゲームはしないので、これで十分だ。一時動画のエンコードも考えたが、所詮私はDavinci resolveのフリー版がせいぜいで、この場合はグラフィックボードは使えないようなので、この面でもこれで十分だ

この点を踏まえて、将来コストをCPU性能に全振りして、グラフィックス機能のないCPUを買った時に、これと同等の安価なグラフィックスボードがあれば良いと思うのだが、どうだろう

GTX750Tiは息の長い製品だったが、流石に新品は手に入らず、DVI、HDMI、DPが各1ポート、メモリ2GB程度の仕様であれば、大分性能は落ちるらしいがGT1030、Radeon550搭載のものとなり、12,000円もする

例えばの話だが、Corei5 12400シリーズのグラフィックス機能付き無印モデルとグラフィックス機能のないF付モデルを比較すると3,000円位の違いでしかない。この機能差を埋めてくれるだけで良いのだが、3,000円とは言わないが、安くて、写れば良いというものはないだろうか。USB接続とかではなく、PCIe接続のもので

P.S.
プリンタ台を注文したと書いた。事情があって返品した。仕方がないので自作した
毎朝パソコンを起動すると背面ファンからがらがらという音がするが、10分程度すると収まる。寒い間だけのことなのか、しばらく様子を見ることにする

2022/12/10
んねぞう

PCの延命措置 – 続

先日メインのデスクトップPCの延命のためにメモリを増設したことを書いたが、その時に触れた電源のスイッチのリード線がはんだ付けのところで破断したため、修理した

リード線とスイッチのはんだ付けの部分に負荷がかかったためだと思うので、リード線をはんだ付けし直して、ペットボトルのキャップを向かい合わせにしてケースを作り、その中にスイッチを封入した。キャップ同志の接合部と、リード線の引き出し部は万能接着剤で固め、リード線にかかる張力がはんだ付けした点にかからないようにした

そしてこのスイッチを両面テープでケースに接着

手作り感並びに生活感満載のものが出来上がった。名付けて出臍スイッチ

因みに奥に見えているシールは…

このケースがかつてpentium 4を収容していたことを示す。「pentium 4って何?」か、「だから何?」か、それよりも圧倒的多数は「ほー(適当)。」という反応だろうから半ばやけくそ気味に披露する

2022/11/12
んねぞう

文芸同人誌「澪」のblog

私の所属している文芸同人誌「澪」は、旧来からHPを運用している。今回、よりカジュアルな情報発信、読者との交流の場として新たにblogを設置することとし、私がその担当者に抜擢された。

母港であるHPは、澪の理念に始まる各種情報の集約地点とすることは従来から変わらず、その出城であるblogは、気軽な同人の情報発信、読者との交流の場としてできるだけ多くの人たちに「澪」に興味を持って貰いたいとの狙いである。そのため、情報はHPとの重複は極力避け、Look & Feelも軽くシンプルにした(というか私にはそれしかできないが)

HP、blogとも贔屓にして頂きたいと思う

2022/11/12
んねぞう

澪 対面合評会

9月に私の所属する文芸同人誌「澪」第20号が発刊された。

これに伴い、11月に有志による対面合評会が開催された。以下にその場で頂いた指摘、アドバイスを、今後のための覚書として記しておく。因みに私は今回からインド滞在中に出会った人々を題材に”People I met in India”というシリーズのフォトエッセーを始めた。

  • 写真と文体の調和あるいはコントラストについて

前回までの津軽のフォトエッセーについては、割合尖った文章だったのに今回は文章のタッチががらりと変わったとのご指摘を頂いた。これは、同じ母語/文化を共有する日本の中での津軽という地域の文化の差異という視点から考察して来た中で、はある程度踏み込んだ考察、描写が許されて来た。インドについては、生まれてからのこのような基盤がなく、出張で足繁く通い、それなりに滞在期間は長かったものの基本的には私はインドの表層を撫ぜたTarvellorに過ぎない訳で、津軽のような私なりの理解ができていない状態では、勢い記述が物足りないものになりがちだったからだ。それを踏まえたうえで、改めて調べたり、自分の想像を加えた上で、踏み込んだ記述にして行きたいと思う。

  • この写真でなぜ彼等・彼女等が中間層の子女であることがわかるのか、なぜこの場所にそうでない層の若者が来ないのか、この説明があればもっと厚みが出た

これはご指摘いただくまで全く思いの至らなかった点だった。これまでのインドでの生活の中で、無意識に、その場所と、そこにいる人たちのいでたち、雰囲気、態度等に対するフィルターがかかっていて、読者がどう思って読むかという点からの考慮が欠落していた点であり、ご指摘頂き、目が覚める思いだった。さらに、これらの理由について、私はこう想像するということでも良いから書けば良いということも、貴重なアドバイスだった。

  • 今後インドのフォトエッセーにおいて、中間層の姿はなく、専ら路地裏の人達が登場することになるという私の説明だったが、それではなぜ私が(有名な観光地とかではなく)路地裏を好んで取り上げようとするのかについて触れたほうが良い

確かに、これは私の今後のフォトエッセー、というかこれまでの全体の私の態度の核心をなす部分であると思う。
次回、この点に漏れがないよう、ここに書き留めておく。

その他ページレイアウト(写真と文章の間隔、段落の最初の行のインデント)で、本として仕上げるための作法についても示唆を頂いた

2022/11/03
んねぞう

PCのSATAポート

先日メモリの増設をしたついでにBIOS(Basic I/O System)でメモリ周波数のOCを試していたところ、SATA設定というメニューがあって、繋がっているトライブの種類が列記してあった。ここでポートの種別があって、何やら6G/3Gという2種類があり、きっとこれは転送速度の事を言っていると思い、何が繋がっているか見て見たら、なんとメインのSSDが遅い方の3Gのポートに繋がっていることが発覚した。

何というもったいないことをと、早速繋ぎ替えて見た

左が現状、右が繋ぎ替えた後。Sequential Readで70%向上!! 組み上げる時は、Sataのスピード等に興味はなく、とにかく繋いで動けば良いという気持ちで雑に組み上げてしまって早や2, 3年。ちょっともったいないことをした感じ

6Gポートがもう一つ余っているので、写真データを格納しているうちで容量の大きいHDDを繋いでみた

左が繋ぎ替えたもの、右は従来通りのポートに繋いでいる別のHDD。HDDの構造的制約により、速いポートに繋いでもあまり恩恵は受けないようだ

SSDにインストールしてあるLightroomやOfficeを起動しても立ち上がりが多少早くなった…ような気がする。LightroomでHDDの写真データを呼び出してみたが、各フォルダからの写真の読み込みが多少早くなった…ような気がする。人間の感覚というのは曖昧なもので、例えば感覚的に倍のスピードに なったと感じるには、読み込み速度が4倍くらいになる必要があるのかも知れない。因みに、この規則が正しいとしてこの1.7倍の場合は体感的にどう感じるかと言うと、1.7の平方根で1.3倍くらい早くなった、という計算になる。処理速度はディスクアクセスだけで決まるものでもないので正しいと主張するつもりはないが

とは言え、これがPCIE4.0とか5.0のM.2 SSDになると桁違いの転送速度になるのでCPUの性能向上と相俟って恐ろしいことになるのだろうな、と思う

2022/11/03
んねぞう

PC ひと昔前との比較

今のPCがWindows11のサポート外であることから、今、PCの更新をしたらどうなるか、というシミュレーションをしている。前回CPUを交換して以来10年間のギャップがある。その時の記憶と今を対比して見る

一つは今、AMDが頑張っていて、コストパフォーマンスがIntelを追い抜いているということ。昔はAMDは安いけど性能はそれなり、という印象だったが、最近はとても元気が良いようだ。ただし、昨年第12世代のCoreシリーズが出て、少し事情が変わっているようだが

もう一つはCPUの水冷化が一般化してきていること。昔は一部の物好きが、手作りで熱帯魚鑑賞用の部品を使って工夫していて、失敗すると大惨事、と言う感じだったが、今は簡易水冷システムとして、普通に製品として使われている。それというのも昨今はCPUの性能が上がって来つつ、発熱も増大しているためなのだろう。水冷とはいかないまでも、ケースも冷却のための気流に気を使っている度合いが大きくなっているように感じる。昔は鉄板で囲われていたものがほとんどだったが、パンチ穴の開いている板でできていたり、メッシュが張ってあったり、至るところにファンを付けられるようになっていたりする。また、光り物が突如現れてきていて、Motherboardやメモリまでも光らせるのには驚いた。ケースも脇板がガラス製のものがあったり、まるでデコトラみたいだ

キーコンポーネントが寿命を迎える等、特に必要がない限り何の情報収集もしていないので、1 decade毎に情報収集をしているとその違いが際立って見えて面白い

それとは逆に、ATX規格が残っていて、Motherboard、電源のサイズやコネクタの仕様が維持されているのは、CPUが486の時からAT互換機を使っている私から見ると素晴らしいと思う

今回の情報収集にあたって、YouTubeによる動画には大変お世話になった。これもまた以前とは全く違う情報発信の形で若いYouTuberの活動には目を見張るものがあり、感謝に堪えない

敢えて言わせてもらいたいことがある。若い人達の英語の読み方だ。Intelの第12世代のアーキテクチャはAlder lakeというそうだが、私の感覚では多分オルダーレイクと発音する。また、AMDのグラフィックスはRadeonと表記されるが私はレイディオンと発音する。それはお前の好みだろと思う向きはWebで調べて見てほしい。私が見たYouTubeのコンテンツでは皆アルダーレイク、ラディオンと発音されている。みんな若い人達なのだが、これが非常に気になる。これからもますます国際化の波に洗われて行く日本で、国内のことだけを意識するのではなく、直接海外の情報源に積極的に関わって行かないと日本の存在感はますます失われて行く、そうならないためにも国内の殻に留まることなく、若い人達には積極的に外に向かってほしい、そのためにはヘボン式ではなく世界的に通用する発音を意識して欲しいと思う

話を戻して、今私が自分のPCをアップグレードするとしたら、今のシステム(Core i5 第3世代)では Windows 11に非適応なので、CPU, Motherboardから変えなければならない。ゲームはしないが、写真の現像はするし、ひょっとして動画編集にも手を伸ばすかも知れない。これで今後10年間は使えるもの、省スペースかつ予算は奥さんに事前申請している10万円という枠で考えると、Mini ITXでケース、Motherboard、Memory、電源を更新、CPUはIntel core i5 12600KまたはIntel Core i7 12700F、後者の場合はグラフィックスボードは今使っているGTX750Tiを流用、という形になるかな、と皮算用している

最長で引っ張ってWIndows10は2025年10月までは使えるようだ。その頃はどうなっているかわからないので、その時はその時で考えるとして、今時点の心積り、と言うよりは考えの纏まらなさを残しておく

2022/10/30
んねぞう