Archive for the ‘日記・コラム・つぶやき’Category

RICOH GR III が来た

サブカメラとして使っていたRICOH GRが壊れたので、いろいろ楽しく悩んだ挙句、同じGRシリーズのGR IIIを注文していたのが、今日着いた。GR III Diary Editionで、納期は2か月と言われていたのが、注文したのが11月の24日頃なので、2か月より10日程度早く着いたことになる。なぜDiary Editionかと言うと、納期がNormalのものより1か月早かった、それだけ

うれしいので、まず最初に奥さんに報告して、その後写真を撮った

Diary Editionには銀色のリングキャップが予め付けられており、もともと付いていたのであろう黒いものも添付されていたが、多分、今後何とかしてワイコンを手に入れて、脱着しながら使うであろうことを考えると、紛失する未来しか見えて来ない。現行のGRもそうだった

あずき色をうんと淡くしたホディ色は、上品で良い感じだが、今後スナップカメラとして、この色がどういう形で働くか、使って見ないと自分の中で定着しない感じがしている

記念にGRと並べて

以下はGRとGR IIIの諸元の比較と、仕様上思ったことについて書いて行く

項目GRGR III
サイズ(mm)117.0109.4
高さ61.061.9
奥行34.733.2
容積(cm^3)247.7224.8
重量(g)245247
画素数1,690万2,424万
常用ISO範囲100~25,600
(1ステップ)
100~102,400
(1/3ステップ)
防塵防滴××
手振れ防止機能×〇(4段分)
内蔵フラッシュ
(GN5.4 ISO 100換算)
×
埃除去×
シャッタースピード範囲1/4,000~300秒1/4,000~30秒
フルプレススナップ
マクロモード〇(0.1m~∞)〇(0.06~0.12m)
クロップ35mm, 50mm35mm, 50mm
液晶モニタ画素数123万103万(タッチパネル)
レンズアダプタ―ピン×
露出補正±4EV、
1/3EVステップ
±5EV、
1/3EVステップ
DNGのLightroom 5.7.1適合性(*)

RICOHのHPより(*以外)

画素数が約1.4倍になったことは、トリミング常習犯の私としては素直にうれしい

手振れ補正機能も、私は暗い場所や夜に写真を撮ることも多く、低いシャッタースピードで撮れることが嬉しい

マクロモードは若干変更されて、最短撮影距離が6cmまで短縮されたが、遠い方はGRのように無限遠までではなくなった。本来マクロモードで無限遠まで撮れることが普通ではないのだが、時々マクロモードから標準に戻すことを忘れて、そのまま撮れて何気に助けられていたことも多かった。現実に、GR IIIでマクロモードから標準に戻し忘れて撮ろうとしてAFが合焦しないので何だろうと思ったら、実はマクロモードからの戻し忘れと言うことが、この10日間で2回程あったから。これは自分で注意しなければならない

液晶モニタの画素数が減っているが、使って見て、私は特にこれで困ることはないようだ。写真教室では、先生から撮った直後に液晶画面で、ピントや構図、露出の確認をするようにといつも言われているのだが、明るい屋外で、高々100万画素の液晶では私にはそのようなことは到底できないと、最近は諦めているし

タッチAFと言うものは私は初めてだ。これまでのGRではダイヤルボタンの一角にフォーカス位置の変更の機能を割り当てて、そのうえでダイヤルボタンを操作してフォーカスポイントを指定とするというやり方をしていたので、タッチAFが実際の運用上どのようなことになるのか、楽しみだ

レンズアダプタ―ピンと言うものが追加されたが、多分これはワイドコンバージョンレンズを付けたときに、焦点距離情報を自動的に伝達するものではないかと思う。GRでは、メニュー画面で自分で指定するようになっていて、私は端から無視していたので、今となってはどの写真をどの焦点距離で撮ったのか画像を見て判断するしかない。と言ってもトリミングしまくりなので、そういう詮索も無意味な世界になってしまっている部分もある。だけどデータとして残ってもらった方が都合が良いに決まっている

私は写真の現像にLightroom 5を使っている。とっくの昔にサポートが切れているので、新しいカメラのRawデータに対応していない。それでもGR IIIのDNGファイルは何の問題もなく読み込めたのでうれしい

ここから先は不満点

ISOの切り替えステップが1/3ステップ毎から変更できない。速写性を謳っているのになぜISOを800から1600に変えるに3回もボタンを押さなければならないのか? GRではADJボタンをしゅっと右か左にひっぱたくとISOが即座に倍/半分に変わってくれた。私は1/3段ごとにISOを変えるようなデリケートなセンスをしていないので、これは大いに不満。GR IIIでは現状最大限のカスタマイズでADJボタン押し込み→ダイアルボタン3回押しとなったので、私はGRからの改悪だと思っている

もう一つ、これはGRでも同じなのだが、絞りのステップも1/3段毎に固定されている。私は絞りを1/3段ごとに調整するようにデリケートなセンスは持っていないので、1/2段で十分。他の機種では1/2段に変更できる機能があるのに、同じく速写性を謳うGRとしてどうなんだろう

最後に不満なのかどうかわからないことを

GRでも電池の充電器が付属していなかったと記憶している。GR IIIではACアダプタをUSB Type Cケーブルで本体に繋いで電池を充電するようになっているが、本体の端子カバーがひどく開け難かった。Webで調べると同じような人がいて、蓋をこじ開けるのではなく、一旦背面側にスライドさせるようにしてから開けるようにすると良いという書き込みがあった。この情報はとても助かった。これまでの私だと、無理やりドライバを突っ込んでこじ開けて、どこかに修復不能な傷をつけて凹むというパターンだったろう。Webで調べるというひと手間をかけのは、自分にしては上出来だった。そうでなくてもこの蓋を何度も開け閉めするとちぎれてしまいそうな感じがしたので、スペアの電池と充電器を買って、いちいち本体の蓋を開閉して充電の必要がないようにした

次は、実際に試し撮り結果のGRとの比較について書く

2024/01/13
んねぞう

20

01 2024

音楽と写真のpp(ピアニシモ)-んねぞうのmp仮説

先日プロの写真家の先生(写真教室の先生)と、ある件でお話をした際に、白黒の諧調と音楽のpp(ピアニシモ) – ff(フォルテシモ)の対応の話になった

先生は、黒をppと捉えて、徐々に明るくなり、最終的に白の状態をffと言う捉え方をされていた。私は多少それに違和感を覚えた。何もない白い状態がppであり、黒がffではないかと思った。その時は、これはどちらが正しい、間違っているということではなく、個人の考え方によるものだと思ったので、それ以上突っ込んだお話はしなかったが、ふとした時に奥さんにこの話をしてみた

彼女の感覚も白がppであり、ffは黒と感じるという。因みに彼女は音大ピアノ科卒なので、ここで思いついたことがあった

音響芸術において、基本は無音である。無音を基調として、空間に音を放射して行く。最終的に空間に音響が充満した状態を「黒」と言うイメージで認識するのかも知れない。これに対して、写真は光の芸術である。基本は光のない状態、即ち「黒」である。この状態から、徐々に光が差してきて、極限は空間にすべて光が充満した状態が「白」となる。この基底状態の「黒」が静寂に相当するので写真家にとって「黒」がppであると考えた

これを図解すると下図のようになる

改めて言葉で表現すると

んねぞうのmp仮説

音楽家、写真家それぞれが白、黒の違いと、これを音の強さの対応で感じるやり方は異なる。これは、それぞれの芸術が扱う媒体による。即ち、写真家は光の量の少ない状態(即ち黒)をppと知覚し、音楽家は音量の極大の状態(ff)を黒と知覚する

これをんねぞうのmp仮説と名付ける。サンプル数は3だけどな

因みにmpとはMusicianのmとPhotographerのpを組み合わせたものである。メゾピアノと掛けてあることは言うまでもない

お後がよろしいようで(mp)

2024/01/13
んねぞう

13

01 2024

C:ドライブのM.2 SSD化

確か3か月ほど前にPCを更新した顛末を記事にした際に、俺は硬派なんだからM.2 SSDなんか使わねんだかんな、と啖呵を切った覚えがある

いつの間にかその舌の根が乾き、しれっとM.2 SSDを導入したので、記事にする

きっかけはこれ ↓

LightroomのDBファイルのバックアップは一世代までしか残さず、残りはすべて削除したりして、ディスクの空き容量には注意していたつもりだが、DaVinchi Reslolveのアップデートがあるということでファイルをダウンロードしようとしたらディスク容量が逼迫していてできないと言われた。凡その犯人は、iPhone1台とiPad2台のバックアップで60GB程度占有されている、Mobilesyncと言うフォルダであることは分かっているのだが、これを別のドライブに移す方法がわからず、もしできたとしても後々面倒なことになると思うので、手を付けないことにしている

C:ドライブの容量拡張のために価格比較サイトを見ていると、M.2 SSDが2.5in. SATA SSDと同等の価格だったので、M.2 SSDにすることにした。ブランドは宗教上の理由でKIOXIA

前回、C:ドライブをHDDから2.5in. SATA SDDに移行した時はクリーンインストールをしたが、Webで調べると、ディスククローニングと言う方法があるらしく、そのためにはソフトが必要なのだが、Macrium Reflectと言うソフトが30日間無料で使えるということだったので、これを使うことにした。Webで使い方を説明しているのを見るのだが、クローン先のM.2 SSDをUSB接続の外付けケースに入れて繋げて作業することの紹介しか出ていない。私は、できるだけ出費を抑えるために(ディスククローニングのためだけに外付けケースを買うようなことはしたくない)、一部のWebに、Mother boardのM.2 スロットに繋げてもできるようなことが書いてあったので、これを信じて、腕捲りをして(モノがMacriumだけに)現行C:ドライブをSATAのスロットに、移行先のM.2 SSDをMother boardのM.2スロットに取り付けて作業することとした

Mother boardを上から見て、M.2スロットを覗いたところ。CPU Cooler(AK620)のフィンが大きく、ヒートシンク(シート貧苦と言いそうになるのは私だけですかねああそうですか)の両端のネジが外せないかと心配だったが、何とかアクセスすることができた

先日のPC組み立ての際にやらかしたような、伝熱面の保護シールを剥し忘れるような失態もなく、無事固定

他の関係ないHDDのSATAケーブルを外してReflectを起動して、クローニングを実施したが、その時の失敗を記す

  1. 移行先のディスクが、元のC:ドライブと同じ容量のパーティションしか切られず、残りは未割当の状態になってしまうのに、その原因が分からずしばらく悩んだ
  2. 何回かやり直すのだが、一旦できてしまったパーティションはWindowsの管理ツールでは削除できず、diskpartと言うコマンドを使ってできることが分かるまで時間がかかった
  3. 以上がクリアになって現行のC:ドライブで立ち上げて、このC:ドライブのReflectを起動してクローニングするのだが、途中でC:ドライブのマウントを解除できないというエラーが発生
  4. この時点で、Mother boardにM.2 SSDを付けてのクローニングを断念、仕方なくAmazonで安い外付けケースを購入(下の写真)
  5. ディスククローニングは成功したが、Mother boardのM.2スロットにSSDを取り付けて起動すると”Inaccessible boot device”と言うエラーが発生し、BIOSでOS立ち上げ時のデバイスの起動順序を何回も見直したが改善せず、WebでSafe modeで起動して見ると良いという記事があり、試してみるとうまく行った


以上、これで3日楽しませてもらった。結果がこれ↓


Windowsの起動時間も早くなった。HDDを繋いで起動した時は、やはりHDDのスピンアップに要する時間のためか、若干遅い感じがする。それでも前より明らかに早い。ソフトウェアの起動も明らかに早くなり、デスクトップに置いてあるデータの読み込みも早い。瞬きする間に、と言う感じである。CrystalDiskMarkの結果は、ほぼ看板通りだ


で、何を言いたかったかと言うと

2.5in.SSDからM.2SSDのへのクローニングにあたり、Mother boardのM.2 SSDスロットへのクローニングはできず、USB外付けケースに繋いで行うしかないようだ

“Inaccessible boot device”と言うエラーが発生した暁には、Windowsを一旦Safe modeで起動すれば、その後正常に立ち上がるようだ

以上でし

2023/12/08
んねぞう

スナップ撮影

このところサブカメラが壊れて舞い上がっている

このカメラの大きな用途の一つがスナップ撮影用ということもあり、このカメラが壊れたことによって、自分の中でスナップ撮影に意識が向いてきている。生来の天邪鬼が頭をもたげて来て、スナップカメラが壊れたことによってスナップ撮影がしたくなって、出かけて撮影をしたりしている。昨日はGR一台、ワイドコンバージョンレンズもなく、単体で勝負と言う意気込みで出かけて来た

GRは壊れているのだが、どうも電源ボタンを押して、しばらくしてシヤッターボタンを押すと、もうしばらくして液晶画面にファインダー像が表示され、その後は正常に撮影ができることがわかったので、一旦その状態にしたら、電源は切らずに、またオートシャットオフの時間も長く設定して使うことにすれば、とりあえず使える。この使い方だと電池の消耗が激しいが、これは普段からスペアの電池を持ち歩いているので問題はない

しかしいずれにせよ速写性についての問題は解決できないので、新しいGRの到着が待たれる

昨日撮った写真の一部は「んねぶら」に掲載した(川沿いの駅-Nov.2023)。人物も撮影したが、肖像権の問題があるだろうから掲載は控える

2023/11/26
んねぞう

サブカメラ

壊れたサブカメラの代替をどうするかについて、このところ手持ちの古いMicro Four Thirds(以後MFT)のミラーレス機にFour Thirds(以後FT)のアダプタ経由でFTの25mm パンケーキレンズと電子ビューファインダを付けて撮り歩いて、使えるかどうか検証している

下記のURLは私の写真ブログ「んねぶら」に掲載した写真で、上記のカメラで撮影したもの

秋 何もない風景-Nov.2023
秋 何もない風景2-Nov.2023
秋 何もない風景3-Nov.2023

写りについては、光量が十分確保できる時には、GRよりも色乗りの良い写真が撮れる感じを受けるが、曇りとか黄昏時の光量の低い時にはノイズが乗るし、また曇りの日でも木立とその奥にある曇り空が入っている構図では、空が盛大に白飛びして、さればとて露出をマイナス補正しても、今度は木立の暗部でノイズが出たりする。これは如何に私でも看過できないレベルだった。今のMFTのセンサでは、技術の進歩で問題は低減されているのだろうが、同様にAPS-C、フルサイズでも同様の技術の進歩があるだろう。画素数も私はトリミングしまくりなので1200万画素は不足気味だ。また、速写性と言う意味では、レンズや電子ビューファインダがごつごつ出っ張っているカメラを引っ張り出して、スイッチを入れてと言う時間を考えると、うーんと考えてしまう。ストリートスナップをしていて、如何にもカメラ然とした見てくれは持っているこちらも気遅れがする。AFも、ジーコジーコと早くはない。使っているレンズの性能に左右されるのかも知れないと思って、MFTの14mmのレンズの新品・中古の購入検討して見たりしていたが、GRではFull Press Snapと言う、決め打ちの距離でとにかくシヤッターを切る、と言う機能がある。とっさの場合にはこれを使っていたりするので、やはり私がGRに求めていたのは速写性だった、と言うことがはっきりした

整理すると、GRの後継に求めるものは

  1. 速写性
  2. コンパクトさ
  3. FTを超えるセンササイズ(ラティテュードと画素数)

であり、この点から見て、E-PL1sが私にとってのGRの後継の線はないものとして、もうGR(今はGR IIIと言うのか)を買い直すしかないと思い定めた。奥さんの許しを得て、いざ注文、と言う段になって、今度は納期が長くかかることが判明。納期3か月と言うのは、これまで、カメラでは考えられない納期だ。納期を明示していないサイトさえある。それでも欲しいのか、と自分の胸に聞いて、うん、欲しいと回答が得られたので、あるサイトで購入手続きをして、決済ボタンを押したら、決済に失敗しました、クレジットカード会社に連絡を、とのこと。とにかくクレジットカード会社に電話して、解決してもらったが、ここでまた、お前本当に欲しいのか、お前はこのカメラに相応しい人間なのかと問われている気がして、少し凹んだ

<補足>
私が求めるものとして速写性云々を第一条件として挙げたのに対して、この記事の中で記載したURLの中に、速写性を求められるような写真が1枚もないではないかと思う方もおられるかも知れない。そのような写真は、訳あってWEB上では公開を控えさせて頂いているので諒とされたい

2023/11/24
んねぞう

んねぞうのカメラ評価 E-5と6D

サブカメラとして使っているRICOH GRが壊れたのを機に、その代替策を考えている過程で、これまでのカメラを含めて考えたことがあるので、総括してみたい

現在のメインカメラはCANONの6Dで、上述のGRと同じ10年選手だ。その前はOlympusのE-5、その前はOlympusのE-410だった。一方、サブカメラは、Olympus E-PL1sからGRになった。その中で、この十数年メインカメラとして使ってきたOlympuのE-5と、その後継機のCANONの6Dについて纏めた

Zuiko digital ED 50-200mm F2.8 – 3.5 SWDと共に

Olympus E-5は、当時のOlympusのフラッグシップモデルで、それでいて本体実売価格が20万円を切っていた。その当時は何とも思わなかったが、その後買った6Dと比べると、いろいろな点で違っていた。まず防塵防滴性能。6Dは一度バックパネル内に水が入り修理したが、E-5は一度もなし。次に撮像センサーの埃除去機能。6Dでは偶に撮影した画像に埃の丸い影が映ることがあり、これをLightroomで画像から除去することがあったが、E5ではなかった。また、ライブビューなどで撮影する時に使うアイピースシャッターは、ファインダ内の機構として備え付けられていたのが、6Dでは、ゴムの板を自分でファインダーにはめ込むようになっていた

片やOlympusはフラッグシップモデル、片やCANONはミドルクラスで比較するのはフェアではないかも知れないが、防塵防滴性能については、NIKON, CANONのユーザが、防塵防滴機能のあるカメラを使っていても、雨中ではタオルでボディを覆いながら撮影するという話を聞いたが、私は全くこのようなことをせずにE-5を使っていてトラブルに見舞われたことがないので、私はこれは間違いのないことだと思っている

一方、フルサイズとFour Thirdsのセンサに由来する問題として、白飛びとボケの問題がある。最近のFour Thirdsはどうか知らないが、とにかくダイナミックレンジ、ラティテュードが狭く、白飛びには悩まされた。このことから習慣的に-1Ev補正をして撮影する癖がついた。フルサイズの1/4のセンサ面積に当時1200万画素を詰め込むのだから不利な点があるのは否めない。当時発売されていたAPS-CのNIKONのD300と言うモデルも1200万画素と言うことだったので、ほぼ半分の面積に同じ数の画素数を詰め込んでいたということになる

また、ボケについても、写真雑誌に載っている写真で、フルサイズのボケと言うものに憧れを持っていた。これは原理的にどうしようもなく、必死に絞りを開けて(場合によってはNDフィルターも使って)ぼけを表現しようとしていた。この時、E-5のシャッタースピードの上限は1/8000秒まで上げて撮影したりしていた。因みにこの1/8000秒のシャッタースピードは普通のミドルレンジのカメラにはなかなか装備されない機能であり、知らず知らずのうちにその恩恵に与っていたことを、後になって知った。液晶画面がバリアングルになっていることも、後になって知ったのだが、他のNIKON CANONのカメラではまだ一般的ではなく、NIKON、 CANONユーザの間では当時はバリアングルにすることにより、液晶取り付け部の強度が、とか、その分厚みが増えるという、批判的な意見が多かったように思う。しかし、私にとっては、これは大きなアドバンテージである。これによって撮影アングルがかなり自由に取れたことは大きい。今NIKON、 CANONの上位機種にもバリアングル液晶が普及していることを見ると、当時のNIKON、 CANONユーザは食わず嫌いだったのではないかと思う

センササイズに由来するもう一つの不満点として、高感度耐性の問題があった。私の写真ブログ「んねブラ」を見て頂けるとわかると思うが、夕暮れとか夜の写真が結構多い。その時は勢い感度を上げることになるのだが、その時にどうしてもノイズが増えて、如何にセンサー駆動式手振れ補正機能の力を借りても思うようなシャッタースピードまで上げられないことも多かった

上記のような、当時の自分としては白飛びとボケが大きな不満で、次の機種の選択においてはこれが大きなポイントだった

次の機種として、当時CANON 6Dの対抗機種としてNIKON D600があったが、高感度ノイズは6Dの方が少ないという記事が多かったので、それが決め手になった

ボケと言うものへの憧れのせいで、Zeiss Distagon F1.4/35mmと言うマニュアルフォーカスの、カメラに詳しい知人には「ゲテモノ」と呼ばれたレンズも買った。これで絞り開放で撮ったりしたが、これはこれでピントのシビアさ、パープルフリンジの問題があることも分かった。結局、フルサイズに期待していたことは、ボケとラティテュードの広さであり、ボケについては絞り開放馬鹿一直線で堪能したし、ラティテュードについても、Lightroomでいろいろいじっても暗部、明部とも良く粘ってくれるのに感動した

これまでの経験で学んだことを列記すると以下のようになる

■ 造り込みの例

アイピースシャッター

電源ボタン

上記の他に、E-5では画角の隅々まで描写が一定しているのに対して、6Dでは周辺になると光量が落ちたり、収差を意識するようなことが多かった。ただし、これは買ったレンズのグレードもあるだろうし、私はその描写を問題にするような写真は撮らない(撮れない)ことが多いので、大きな問題ではないと思う

Four ThirdsのE-5を使い始めた頃は、当時のデジタル一眼レフのレベルと言うものに対する自分なりの基準がなく、あるものを何の自覚もなく使っていたが、6Dに乗り換えた後で、テレセントリック性と言う、写りへのこだわり、防塵防滴、バリアングル液晶、細部のスイッチ類の配置等Olympusのカメラ造りに対する真面目さと言うものを思い知らされる結果となった。誤解のないように言い添えるが、当時本体の実売価格20万円を切る価格で発売されていたE-5と6Dを比較しての話だ。これで、思い出深い写真を撮れた、とても良いカメラだった

一方で、ボケ、ラティテュードに関するAPS-C, フルサイズとの違いはセンサーサイズによる物理的法則の制約による宿命であり、克服できないものと理解している。最近のOlympusの一眼レフはNature系のフィールドをターゲットにしているのは、その精密な描写、被写界深度の深さ、軽量コンパクトである特性を生かし、そして防塵防滴機能を研ぎ澄まして来た帰結だろうと思う

私は臍曲がりの気があり、判官贔屓のバイアスが多少かかっていることは自分でも気づいているのだが、それを差し引いてもOlympusを応援している。多分センサーサイズの宿命からデジタル一眼の主流にはなり得ないだろうが

2023/11/18
んねぞう

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11 2023

台風パフォーマンス(台パ)の定義

この前の記事で「何とかパフォーマンス」についていくつか提起したが、その中の「台風パフォーマンス(台パ)」については、既にその定義が学会で提唱されているのを見つけたのでここに引用する

Definition of Typhoon Performance (Pt)

Typhoon Performance (Pt) is defined as a product of Pt1 and Pt2, where Pt1 is an integration of time and relevant wind speed, and Pt2 is a ratio of forecasted maximum wind speed against actual (controlled) wind speed. For details, refer the figure below.

Pt = Pt1 × Pt2

出典

“Meteorological and disaster prevention considerations for the Asia-Pacific region under global climate change – Proposal of standards for calculating typhoon damage around Japan”
nDAZ nNEZ, Associate cleaning worker, International Research Institute of Useless Studies (IRIUS)
Bulletin of International Meteorological Society, pp. 209 – 867, Volume 23, Book 133, 2023

済みません、上記はすべて架空のものです んねぞうが勝手に作りました

2023/10/28
んねぞう

何とかパフォーマンス

コストパフォーマンスと言うことばがある。投下した金額に対して効果、対価がどれだけあるか言う意味だが、最近「タイパ」と言う言葉が目立つようになってきた。聞くところによると、タイムパフォーマンスの略称で、コストパフォーマンスの時間版とのこと。なるほど、私もYouTubeを見る際に結果を早く見たい時は再生速度を速めて見ていることもある。私はスポーツなどに特に興味もないので、試合そのものを観戦する趣味もなく、結果さえわかれば良い。そうしてみると、時間に対して、その濃度を高め、あるいは結果を得る時間を短かくする意味で「何とかパフォーマンス」と言うのは他にもあるのではないかと考えて見た

感動 – 感パ(かんぱ)

長編小説、大河ドラマやオペラ、ミサ曲のように、長い時間かけて、紆余曲折を経て感動を得るのではなく、そういうのをすっとばしてどれだけ手っ取り早く感動を得られるかの指標

対戦結果 – 対パ(たいぱ)

囲碁、将棋、チェス等の勝負事やカーリング、サッカー、ゴルフ等のスポーツの対戦結果が、その経過でどういうどんでん返しがあろうがどれだけ早く判明するかの指標

ゲーム – ゲーパ

人生ゲームを例に取ると、職業、結婚、出産、事業、事故等何でも良いから、結局どうなったのか手っ取り早く結果が決まる指標。麻雀では、いろいろテンパるのだろうが、それはどうでも良いので、誰がいくらで上がったのかが分かれば良い

人生 – 人パ (じんぱ)

生まれてからこのかた、出自、両親、境遇、運命、職業、出会い、病気、事故、成功、不運等を踏まえ、結局その人生はどうだったかの結果が経過を省いてどれだけ早く確定したかの指標

歴史 – 歴パ(れきぱ)

人類が発生してから数万年、その後どのような結末になるのか(どのように絶滅するのか)、経過はどうでも良いので手っ取り早くわかる、その指標。同様に、今はBig bangが宇宙の始まりと言うのが定説となっているが、その後人類の暮らしている宇宙は最後はどうなるのか、いろいろ学者が研究して発表しているが、結局どうなるのか、手っ取り早く分かる、その指標

試験 – 試パ(しぱ)

試験勉強をした挙句、試験の後の結果が分かるまでの 期間。一週間後の合否発表とかではなく、当日にでもわかりたい

痛み – 痛パ(いたぱ)

歯医者の治療(その後の痛みも含む)や筋肉痛等で、一定時間この痛みに耐えなければならないときに、その積分値を、強度を高めて、より短時間に消化できるかの指標

熱 – 熱パ(ねっぱ)

発熱によりしんどい思いをしているときに、微熱がだらだら続くよりは、その後の人生に支障がない程度に高熱が出てその代わり短時間に済んで欲しい

騒音 – 音パ(おんぱ)

騒音が、長時間続いて生活に支障を来すようであれば、いっそのこと一週間なり一日分全部まとめて大音響で短時間に済ませて欲しい。例えば隣家からの騒音、飛行機、鼾。その間は耳栓をするから

地震 – (しんぱ)

今後数十年に発生するであろう地震のエネルギーを災害が発生しないレベルに平準化して、一定期間で集中して消化する。その期間を耐震期間と設定し、必要な対策を講じたうえで全国的に休みにするようにしておいて、それ以外の期間は安心して過ごせるようにする。他の何とかパフォーマンスは強度、濃度を高める方向だがこれは逆

叱られ – 叱パ(しっぱ/しかぱ(逆数))

親、上司、顧客等からの説教、叱責、クレーム等が延々と続いているときに、実質的な内容がどれだけ伴っているかの指標。これらの内容が自分にとって成長の糧となるようなものであった場合、これを「しっぱ激励」と言う。逆に、同じことを何度も繰り返しているだけでいい加減うんざりするような場合は、この「しっぱ」の逆数をとって、しかとパフォーマンス、即ち「しかぱ」と定義しても良い

降雨 – 雨パ(うぱ)

年間の降雨(雪)量が、季節や生活、農業、観光の需要にどれだけ沿って、災害の発生もなく推移したかの指標

天気 – 天パ(てんぱ)

通年の天気が、個々人にとってどれだけ都合よく推移したかの指標(旅行、洗濯の際にどれだけ晴れの日があったか、会社に行きたくない時に都合よく豪雨になって電車が止まったか等)

台風 – 台パ(たいぱ)

台風の瞬間最大風速を平準化して、災害が発生しない程度の風速を一定期間維持させる技術の適用にあたって、その効果を表す指標

2023/10/28
んねぞう

澪22号が出来上がった

私の所属する文芸同人誌「澪」の同人誌第22号が出来上がり、送られてきた。15号からの加入なので、これで8回目になる

私の作品はフォトエッセーと言う触れ込みなので、写真と文章のハイブリッドな構成により、表現の相乗効果を狙うべきところである

写真については、他の号とは違い、何故か階調が良く表現されているが、逆に私の意図した、暗部がどすんと落ちたインパクトのあるイメージではなくなってしまった。出来上がりをイメージして入稿の際に調整したのが、これまでの経験が作用して、かえって自分の意図をスポイルしてしまっているかも知れない。これは振り子のような揺り戻し効果のため、収束するのにもう少し時間が必要なのかも知れない。と言うか、お前は「澪」15号以来何回揺れているのだ、と言う突っ込みは必至だが

文章についても他の同人諸氏と比べて突き詰め方が浅く、何だかなあ、と言う感じである。ページ構成の都合で、一ページに写真を張り付け、そのページ内で叙述を完結させるという制約の中だとどうしても書ききれない内容が出てしまう。これは言い訳だ。ちゃんとした物書きは限られた字数でも余すことなくその思想を展開することができるだろうから

毎回、妻と子供達にこの「澪」を「ココロノカテ(心の糧)」としてプレゼントしている。日頃から接している、楽しいもの、新しいもの、光り輝くもの、前向きなものからいったん目を背けて、ひっそりと息づくもの、自己主張がなく、打算のないもの、それこそが尊いもの、それが世界、人生を形作るものである(或いはそうあってほしい)と言うところに思いを馳せてもらいたいという願いからだ

皆私の作品の理解者なのだが、娘から、「もうインド物は飽きた」と言う爆弾発言があった。インド物はこれで4回目になるが、一旦箸休め的に別なものにした方が良いと言うのだ。親父は娘の言葉を無碍にもできず、多分この先数か月、どうしようか悩むことになるだろう

上の写真は私の今回の作品の写真の一部である。女性の写真を敢えて選んで掲載したところに、澪の販売部数の増加を意識した下心が潜んでいる

2023/10/27
んねぞう

PC「硬派」とは

これまでのPC更新に関する一連の記事の中で、私はしきりに「硬派」と言う言葉を使った。ここでは、自分の言う「硬派」とはどういうものだったのか、ブログに書かれた文章を逐一掲げて検証して見たい

昔からの(硬派の)PCユーザの私にとって、CPUは何にもまして大事なご本尊様である。

これはグラフィクスボードが出現する前の記憶を色濃く引きずっているための言辞であろう。今回、今後10年使えるようにと、どう見ても自分の今の使い方にオーバースペックなCPUの選択にもそれが色濃く表れている

硬派なので、ケーブルもじゃもじゃの物を買った。

これは電源装置の紹介で吐いている。ケースの内部をLEDで光らせたり、ケーブルを殊更綺麗にまとめて、マザーボードやメモリ、グラフィクスボード、ファン、ケーブルに至るまで色のコーディネーションをするようなのは軟派だと言いたいようだ。ケースの中にケーブルが縦横無尽(ぐちゃぐちゃ)に張り巡らされ、その中を目にもとまらぬスピードで電気や電気信号、場合によっては光も駆け巡る、このようなさまを想像するのがロマンである、と。

硬派の私は20世紀末にPCを買って以来、ケースは白を使っている。

デスクトップPC以外の情報家電はすべからく黒を使っているが、ことPCケースについては20世紀に身に付いた習慣は抜けないものらしい

硬派の私が気に入らないのはHDDアクセスランプがないこと。

PCをいじって起動して、本当に正常に立ち上がるのか、あるいはある処理をしていて、これ、本当に動いている?と言う不安の瞬間を幾度も潜り抜けて来た身に取ってはこのHDDアクセスランプは嵐の夜の灯台のようなものだ。また、PCが一生懸命働いてくれているということを知って、PCが愛おしく思えるようなことはないだろうか

私は硬派なので、ネジ上等!なのだ

最近のケースはユーザビリティが向上して、ネジを省く傾向がある。私の視点からは、開け閉めがやりやすくなった半面、確実性が減殺されるようで落ち着かない。何度も開け閉めしてジュラコンキャッチがバカになってしまわないか? と言う心配をするくらいならばネジで良い、ネジで。今回買ったケースの付属品にも、そのジュラコンキャッチの予備が同梱されているのが不安を煽る

HDDを3台で運用している硬派である私の構成にぴったりだったのもこれを選択した要因の一つ。

ケース選択のところで出て来た。古式ゆかしくハードなディスクを、それも3台も使っている俺は、これぞ硬派だと言いたいようだ

私は硬派なのでごてごてと無駄な曲線、角、光り物、ロゴで飾られたケースは好きではない。

ケースのデザインについての言辞。1980年代のPC/ATの草創期のケースは、それこそ私の目から見てもダサかった。それから比べると、最近のケースはいろいろなバリエーションが出て来て良いことだとは思うが、その中には機能と関係のない飾りや意味のないデザインに思えるものが多く、自分が愛着を持って長く使えるものとは思えないようなものもある。これは硬軟関係なく個人の好み・センスによるものかも知れない

実は硬派の私には手持ちの電子工作の部品でできてしまったのではないか疑惑がある

この言辞の裏には、「いや、俺はちょっとした電子工作はできんだかんね」と言ういやらしい自慢が覗いて見える。さらに、そう言っておいて、「疑惑がある」と言う言い方で自信の無さをぼかそうという意図が見える

硬派の私はM.2 SSD等というものは持ってねえんだ。
私は硬派なので、この3台の文字通り硬派円盤駆動装置(Hard Disk Drive)をあの手この手で組み付けなければならない

この2つの言辞は組み立て段階で吐かれた言葉。硬派はHDDだ、と。M.2 SSDは軟弱者の使うものだと。なお、2.5in. SATA SSDは良いらしい。この裏には、今のところストレージに異常がなく、さしあたって新しいパーツを導入することができないためのやっかみの臭いがある。そのうちストレージの劣化・故障に伴う交換と言う段になって、しれっとM.2 SSD等を導入しているという図が目に浮かぶ

これまでの言辞をまとめると、ゲームをしたり、中身を光らせたりするのは邪道、即ち軟派である。記憶装置はすべからくHDD、百歩譲って2.5in. SATA SSDでなければならない。ケースは白色系統、ネジ止め式でなければ安心できない。HDDアクセスランプは必須、必要であれば自作も辞さず。「硬派」ではないが、「10年前と違い、現在は簡易水冷が市民権を得ているようだが、私のようなロートル(死語か?)には敷居が高いので、空冷しかない。」と自分が時代遅れの人間であることは意識しているようなので、結局は変化を受け入れず、旧態を踏襲したいだけの人間と言うことだろう。だからと言って新しいものが嫌だと言っているのではなく、PCの仕様検討にあたって、いろいろ新しいものに触れ、ほう、面白そうだの、と思いつつ見ていたことは確かだ。結局、自分のやりたいことに照らして、本当に必要なものは何かをコスト面も含めて厳しく(諸説あり)絞り込んでいったところ、クラシカルな構成に落ち着いた、と言うところだろう。それをことさら「硬派」と言っているだけのことだ

2023/09/17
んねぞう