Archive for the ‘写真’Category

福原路草とハンマースホイ

新型コロナウィルス蔓延以来数年ぶりに美術館巡りをした

最初に訪れたのは東京都写真美術館で開催されていた企画展のうち、3Fの「時間旅行」と2Fの「記憶・リメンブランス」

3Fの「時間旅行」は、宮沢賢治の詩集の一節をモチーフとして、写真の持つ時空を超えた記録性に着目してそれぞの場所で紡ぎ出される物語と出会う、と言うもの。ここで私が惹かれたのは次の2点

■熊沢麿二「かげ」(収蔵品検索では「影」)
https://collection.topmuseum.jp/Publish/detailPage/17431/

■福原路草「トタン塀」(収蔵品検索では「塀」)
https://collection.topmuseum.jp/Publish/detailPage/30287/

ここで3時間ほど過ごした。私の鑑賞の方法は、まず一通り順路に従って見た後、再入場するか、順路を逆回りしたりして、もう一度見る。然る後に、この中で自分が好きな作品は何かという視点で、今度はランダムに歩いて、いろいろな作品の前にじっと佇んで見るというスタイル。その中で、人の波が寄せたり、引いたりしていることが分かるので、人が蝟集している場所は避けつつ、自分一人で鑑賞ができるタイミングがつかめて来る。会場を何度も行ったり来たりするので、監視の係の人には異常に見えているかも知れない。挙動不審で声をかけられたら、その時は説明するまでさ

「かげ」は1924年、ちょうど今から100年前に撮影された、漆喰の壁に冬の枯れ木の枝の影が落ちている構図の、セピア色の写真である。前景に常緑樹の枝があしらわれ、人物は入っていない

「トタン塀」は、波板のトタン塀が画面下半分を占め、残りの上半分は晴れた空をバックに塀の陰からひょろっと何かの枝が垂直に伸び、塀には、撮影者の背後の家の屋根が三角の影を落としている。前の写真の10年後の1934年撮影

これらの2つの写真の共通点は、シンプルな構図の中に、光と影が効果的に配置されているということだろうか。特に「トタン塀」には、塀と枯れ枝、家屋の影以外の構成要素はないが、その奥の世界を思わせる。こういう感想は、多分この写真を見た多くの人が持つのではないかと思う。ひょっとして私だけという可能性もなくはないが、これを認めてしまうと話が進まないので、ここでは多くの人が私と同じ感想を持つということにする

本題はこれからなのだが、このようなシンプルな写真は、実は私も撮る。例えばこのような写真(私の写真ブログ「んねブラ」より)

この拙作と前2作品の共通点は、構成要素がシンプルであることだが、これらの写真の評価には雲泥の差があることは間違いない。この差が何か、ということがわからない

写真は誰のために撮るものでもない、自分のために撮るものであるとは、私が所属している写真教室の先生の言葉であるが、まさにその通りで、人に見せるでもく、展覧会に出展するでもなく、他人が自分の写真をどう評価しようが知ったことではなく、自分が良いと思ったら撮る、それが基本だと思っている。ただ、自分の撮った写真が、人類普遍の美の基準も併せて満たしているのであればさらに良いだろうと言う欲が多少ある。それは、商業写真として見た時に良い写真だったり、写真コンテストで上位入賞を狙えるようなノウハウを駆使した写真ではなく、自分がどういう気持ちなのか、どのように物を見ているかをわかって貰える、少なくとも「ほう。で?」と言われないような写真ができれば良いと言うこと。だから何年も写真教室に通っていながら未だに本質をわかっていない人間が、多分死ぬまで解けないだろう疑問を抱えつつ美術館界隈をうろつくのだ

2Fの「記憶・リメンブランス」は、疲れて来たこともあって、さしたる感興も起こらず、次いで上野の西洋美術館の常設展に行く

ここでは、

■ヴィルヘルム・ハンマースホイ 「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」
https://collection.nmwa.go.jp/P.2008-0003.html

と言う油彩画が強く印象に残った(URLは国立西洋美術館の収蔵品検索)。すごく静謐(静謐にすごいも何もあるのかと言う疑問はあるが)を感じる絵画であり、妻への慈しみが感じられる光景でもあった

硬質の木の床、磨き上げられた木製のテーブルの上に錫(銀?)の皿、開け放たれた扉の奥の部屋で、華奢な後ろ姿でピアノを弾いている妻イーダ。左の窓からは北欧特有の白い、傾いた光が差している。全体に色彩とトーンが抑えられ、薄暗い室内に窓から差した斜めの光が妻のうなじを白く浮き立たせているのが印象的だ。弾いているのは、リストやショパンのポロネーズとかではなく、サティや、それほど有名ではない作曲家の小品でありたい

帰り道、これもまた数年ぶりに一人反省会をするために居酒屋に入ったら、ちょうど2時間飲み放題をやっていたので頼んだ。上に書いたようなことを考えつつ飲んで、帰る頃にはべろんべろんになったことは秘密にしておこうと思ったが、書いてしまった

2024/06/07
んねぞう

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06 2024

GR III最終形

これまでGR IIIの購入、ワイコンの購入とこれにまつわる問題について書いてきたが、ここにきてやっと、私がGRを使っている最終形態にたどり着くことができた

スナップ撮影の際はジャケットなど付けずに単体でハンドストラップのみでの運用とし、重撮影のときは上の写真のようにネックストラップを付けたジャケットに入れて首から下げるようにしている。しかし、Webで探してもGR IIIに合い、ネックストラップを付ける環を備えているジャケものがなかった。なので、仕方なくGRで使っていたジャケットを流用することとなった

幸いなことに、GR IIIになってからボディサイズが小さくなったので、左右に隙間が空いているが三脚固定用のネジで問題なく固定できている

何を言っているのか伝わらないと思うので、稚拙ながら自分がどのようなスタイルで使っているかを書いてみた

ネックストラップはスナップ撮影のときは不要なので、ボディジャケット側に付けたい。しかし今はそのようなジャケットが見つからず、みんなストラップ類はボディ側のストラップホールに通すようになっている。なので、GR用のボディジャケットを流用する。大分擦れて良い味を出している、と言えないこともない

GRパゴダIII。上から追加の電池、レンズアダプタ、ワイコン、本体

2024/03/02
んねぞう

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03 2024

GR IIIのワイコンに保護フィルタを付けて見た

前使っていたGRのワイドコンバージョンレンズ(以後ワイコン)は、当初からフィルタを付ける前提で設計されておらず、付けるとケラレが発生するということを聞いていたので、そのまま裸で使って来ていた。しかし、大きなギョロ目の凸レンズがむき出しで、雨に濡れて水滴が付いた時はてきめんに映り込んでしまうので、その都度レンズペーパとかハンカチで拭かざるを得ないのだが、コーティングが剥がれないか気になっていた。また、撮影の間は頻繁に付け外しをし、仕舞ったポケットから手探りで引っ張り出す際に、指がレンズに触れて指紋が付いてしまうことがあり、これもまた拭き取りの際に気になっていた

この度GR IIIではどうなのかWebで調べて見たが、やはりメーカからは、ワイコンを付けるような設計にはしていないということを言われたという記事があった。また、無理に付けるとフィルタのガラスとレンズが接触する恐れもあるらしい

試してみた

1.サイズ

そもそも前玉側のフィルタ径がメーカから公表されていないので、(*1)手持ちのレンズに付いているフィルタを片端から試してみたところ、72mmの保護フィルターが合った

(*1)後日確認したら、RICOHのFAQに記載があった(https://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/support/faq/gr-3/)。さらに、ワイコン付属のキャップの裏に”Φ72″の刻印があった

装着した状態

2.ケラレ

    一番気になるケラレについて、① フィルタなし、② フィルタ装着、③ フィルタをねじ込まず、辛うじてワイコン前面に引っかかっている状態(枠がもっと太い場合を模擬)、④ 手でワイコンを持って、3mm程左にずらしてわざとケラレ状態にしたものの4枚の写真を撮影し、比較する

    撮影はすべてISO1600、 F7.1、 1/25秒、三脚使用。PCの画面に真っ白の図形を表示させ、モニタの画面中央がカメラのファインダー画面右上端になるようにして撮影

    ① フィルタなし
    ② フィルタ装着
    ③ フィルタ浮かし状態
    ④ 手でフィルタを持って、ケラレ模擬

    ①のフィルタなしと②のフィルタありの2枚とも右上が暗くなっているのは共通なので、これはもともとの周辺光量落ち又は液晶の視野角によるものだと理解できるが、私の目にはそれ以上の違いが分からない。④で模擬的に極端なケラレを再現しているのだが、そのような像の出方は認められず、場合によっては今回使っている以上の太枠のフィルタも許容できるかも知れない。

    3. レンズとの接触

    Webで、レンズの表面にティシューを乗せ、その上からフィルタを徐々にねじ込んで行ってその様子でフィルターガラスとレンズの間隙を観察する方法が書いてあったので、試して見た

    ワイコンを上向きに置き、レンズより小さめに切ったティシューを乗せ、その上からフィルタを少しずつねじ込んで行き、ティシューが挟まれていないかを観察した。最初はフィルタのガラスとの摩擦でティシューが一緒に回転して、おしまいは回転が止まったが、特にティシューが押しつぶされている様子もなく、フィルタが固定できた。装着しているときも、Newton’s ringの発生も認められない(*2)ので総体的に問題なしかと

    (*2) なぜ突然Newton’s ringを持ち出したかと言うと、確かこの現象はレンズとガラスの距離が光の波長のオーダーで近接しているときに発生するものなので、これが発生していないということは、今回の隙間はそれを余裕で超えているのではないかと言う期待が持てたため

    4. 結論

    – GW4の前玉のフィルタ径は72mmだった
    – 手持ちの、細枠でもない保護フィルタではケラレはなかった
    – レンズ面との接触も問題なかった

    なので、72mmのフィルタを買って様子を見ることにする

    以上、自分の記録と、他の人達に何かの参考になることもあるかと思い記事にしたが、実行されるときは自己責任でどぞ

    2024/02/25
    んねぞう

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    02 2024

    GR IIIにワイコンを付けた

    前使っていたGRが壊れた際に、後継のGR IIIを買うと、その後ワイコン等をそろえたりするには私の財力が足らないために断念するようなことを書いた。それが、他に良い(私の使い方に合う)カメラがなく、仕方なくGR IIIを購入して、さすがその写りの進化に感心している間に、何故かワイコンが私の目の前にある。事の推移に自分でも戸惑っているが、とりあえずこの状況を記録しておく。

    ワイコンのパッケージの中身。相変わらずゴム製のフードがついているが、わたしはこの手触り、臭いが生理的に合わないので、多分これは使わず仕舞になるだろう

    ワイコン本体。持ってみたところ、GR用のものより重い感じがした。実際に本体に着けて見ても、全体として重く、大きくなっている。

    忘れてはならないのがアダプター。今回はワイコン装着を検知する接点が見える

    実際にワイコンを付けて見たところ。実際にどれだけ重くなったのか、Webで調べようとしたが、古いワイコンのデータがみえなくなっていたので、自宅の台所にあったキッチン量りで実際に量って見た

    機種本体重量(*)ワイコン重量(**)合計(g)
    GR245210454
    GR III252298550
    (*) 電池、SDカード、ストラップ込み) (**)キャップ込み

    実際、ワイコンだけで90g近くも重くなっている。以下にGR、GR IIIそれぞれのワイコン付きの写真を示す

    やはり明らかにワイコンの存在感が大きくなり、持ってみてもフロントヘビーの感覚だが、だからと言って持ち運べないレベルではないので、早晩慣れるだろう

    2024/02/11
    んねぞう

    11

    02 2024

    GRとGR III 写りの比較

    前の記事でRICOH GRとGR IIIの仕様と使用上について感じることを述べたので、ここでは写真写りについて、現時点で感じた違いについて記す。以下に掲げた写真はすべてRawで撮影、Jpeg(1200 x 800pixel)に書き出したもの

    発色

    左:GR 右:GRIII (以下同様) ISO200 F7.1, 1/250s 絞り優先(共通)

    左:GR ISO200 F7.1, 1/250s 右:GRIII ISO200 F7.1, 1/320s 絞り優先(共通)

    見てわかるように赤の発色に深みがある。GRで人肌を撮った時にCanonと比べて肌の色がくすんでしまっていて、色温度とかカラーバランスをいじって何とかごまかしていたのだが、これが何か良い方向に作用してくれると良いと期待している。関係ないがSIGMAのFoveonでこの場面を撮ったら、多分下段の写真の灯篭の柱の一番日の当たっている面は飽和して白くなっていたかも知れない

    ゴースト

    左:GR ISO200 F7.1, 1/350s(トリミング) 右:GRIII ISO200 F7.1, 1/125s(トリミング) 絞り優先(共通)

    左:GR ISO200 F7.1, 1/2000s(トリミング) 右:GRIII ISO200 F7.1, 1/1600s(共通) 絞り優先(共通)

    一番驚いたのがゴーストが良く抑えられていること。特に下の写真でわかると思う。別に私はゴーストそのものは意に介さず、このカメラに限らず逆光の強さを強調する効果として積極的に使ってきた(気にしないとも言うかも知れない)ので、これが私の写真に大きな影響があるとは思っていないが、素直に素晴らしいと思う

    2024/01/20
    んねぞう

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    20

    01 2024

    RICOH GR III が来た

    サブカメラとして使っていたRICOH GRが壊れたので、いろいろ楽しく悩んだ挙句、同じGRシリーズのGR IIIを注文していたのが、今日着いた。GR III Diary Editionで、納期は2か月と言われていたのが、注文したのが11月の24日頃なので、2か月より10日程度早く着いたことになる。なぜDiary Editionかと言うと、納期がNormalのものより1か月早かった、それだけ

    うれしいので、まず最初に奥さんに報告して、その後写真を撮った

    Diary Editionには銀色のリングキャップが予め付けられており、もともと付いていたのであろう黒いものも添付されていたが、多分、今後何とかしてワイコンを手に入れて、脱着しながら使うであろうことを考えると、紛失する未来しか見えて来ない。現行のGRもそうだった

    あずき色をうんと淡くしたホディ色は、上品で良い感じだが、今後スナップカメラとして、この色がどういう形で働くか、使って見ないと自分の中で定着しない感じがしている

    記念にGRと並べて

    以下はGRとGR IIIの諸元の比較と、仕様上思ったことについて書いて行く

    項目GRGR III
    サイズ(mm)117.0109.4
    高さ61.061.9
    奥行34.733.2
    容積(cm^3)247.7224.8
    重量(g)245247
    画素数1,690万2,424万
    常用ISO範囲100~25,600
    (1ステップ)
    100~102,400
    (1/3ステップ)
    防塵防滴××
    手振れ防止機能×〇(4段分)
    内蔵フラッシュ
    (GN5.4 ISO 100換算)
    ×
    埃除去×
    シャッタースピード範囲1/4,000~300秒1/4,000~30秒
    フルプレススナップ
    マクロモード〇(0.1m~∞)〇(0.06~0.12m)
    クロップ35mm, 50mm35mm, 50mm
    液晶モニタ画素数123万103万(タッチパネル)
    レンズアダプタ―ピン×
    露出補正±4EV、
    1/3EVステップ
    ±5EV、
    1/3EVステップ
    DNGのLightroom 5.7.1適合性(*)

    RICOHのHPより(*以外)

    画素数が約1.4倍になったことは、トリミング常習犯の私としては素直にうれしい

    手振れ補正機能も、私は暗い場所や夜に写真を撮ることも多く、低いシャッタースピードで撮れることが嬉しい

    マクロモードは若干変更されて、最短撮影距離が6cmまで短縮されたが、遠い方はGRのように無限遠までではなくなった。本来マクロモードで無限遠まで撮れることが普通ではないのだが、時々マクロモードから標準に戻すことを忘れて、そのまま撮れて何気に助けられていたことも多かった。現実に、GR IIIでマクロモードから標準に戻し忘れて撮ろうとしてAFが合焦しないので何だろうと思ったら、実はマクロモードからの戻し忘れと言うことが、この10日間で2回程あったから。これは自分で注意しなければならない

    液晶モニタの画素数が減っているが、使って見て、私は特にこれで困ることはないようだ。写真教室では、先生から撮った直後に液晶画面で、ピントや構図、露出の確認をするようにといつも言われているのだが、明るい屋外で、高々100万画素の液晶では私にはそのようなことは到底できないと、最近は諦めているし

    タッチAFと言うものは私は初めてだ。これまでのGRではダイヤルボタンの一角にフォーカス位置の変更の機能を割り当てて、そのうえでダイヤルボタンを操作してフォーカスポイントを指定とするというやり方をしていたので、タッチAFが実際の運用上どのようなことになるのか、楽しみだ

    レンズアダプタ―ピンと言うものが追加されたが、多分これはワイドコンバージョンレンズを付けたときに、焦点距離情報を自動的に伝達するものではないかと思う。GRでは、メニュー画面で自分で指定するようになっていて、私は端から無視していたので、今となってはどの写真をどの焦点距離で撮ったのか画像を見て判断するしかない。と言ってもトリミングしまくりなので、そういう詮索も無意味な世界になってしまっている部分もある。だけどデータとして残ってもらった方が都合が良いに決まっている

    私は写真の現像にLightroom 5を使っている。とっくの昔にサポートが切れているので、新しいカメラのRawデータに対応していない。それでもGR IIIのDNGファイルは何の問題もなく読み込めたのでうれしい

    ここから先は不満点

    ISOの切り替えステップが1/3ステップ毎から変更できない。速写性を謳っているのになぜISOを800から1600に変えるに3回もボタンを押さなければならないのか? GRではADJボタンをしゅっと右か左にひっぱたくとISOが即座に倍/半分に変わってくれた。私は1/3段ごとにISOを変えるようなデリケートなセンスをしていないので、これは大いに不満。GR IIIでは現状最大限のカスタマイズでADJボタン押し込み→ダイアルボタン3回押しとなったので、私はGRからの改悪だと思っている

    もう一つ、これはGRでも同じなのだが、絞りのステップも1/3段毎に固定されている。私は絞りを1/3段ごとに調整するようにデリケートなセンスは持っていないので、1/2段で十分。他の機種では1/2段に変更できる機能があるのに、同じく速写性を謳うGRとしてどうなんだろう

    最後に不満なのかどうかわからないことを

    GRでも電池の充電器が付属していなかったと記憶している。GR IIIではACアダプタをUSB Type Cケーブルで本体に繋いで電池を充電するようになっているが、本体の端子カバーがひどく開け難かった。Webで調べると同じような人がいて、蓋をこじ開けるのではなく、一旦背面側にスライドさせるようにしてから開けるようにすると良いという書き込みがあった。この情報はとても助かった。これまでの私だと、無理やりドライバを突っ込んでこじ開けて、どこかに修復不能な傷をつけて凹むというパターンだったろう。Webで調べるというひと手間をかけのは、自分にしては上出来だった。そうでなくてもこの蓋を何度も開け閉めするとちぎれてしまいそうな感じがしたので、スペアの電池と充電器を買って、いちいち本体の蓋を開閉して充電の必要がないようにした

    次は、実際に試し撮り結果のGRとの比較について書く

    2024/01/13
    んねぞう

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    01 2024

    音楽と写真のpp(ピアニシモ)-んねぞうのmp仮説

    先日プロの写真家の先生(写真教室の先生)と、ある件でお話をした際に、白黒の諧調と音楽のpp(ピアニシモ) – ff(フォルテシモ)の対応の話になった

    先生は、黒をppと捉えて、徐々に明るくなり、最終的に白の状態をffと言う捉え方をされていた。私は多少それに違和感を覚えた。何もない白い状態がppであり、黒がffではないかと思った。その時は、これはどちらが正しい、間違っているということではなく、個人の考え方によるものだと思ったので、それ以上突っ込んだお話はしなかったが、ふとした時に奥さんにこの話をしてみた

    彼女の感覚も白がppであり、ffは黒と感じるという。因みに彼女は音大ピアノ科卒なので、ここで思いついたことがあった

    音響芸術において、基本は無音である。無音を基調として、空間に音を放射して行く。最終的に空間に音響が充満した状態を「黒」と言うイメージで認識するのかも知れない。これに対して、写真は光の芸術である。基本は光のない状態、即ち「黒」である。この状態から、徐々に光が差してきて、極限は空間にすべて光が充満した状態が「白」となる。この基底状態の「黒」が静寂に相当するので写真家にとって「黒」がppであると考えた

    これを図解すると下図のようになる

    改めて言葉で表現すると

    んねぞうのmp仮説

    音楽家、写真家それぞれが白、黒の違いと、これを音の強さの対応で感じるやり方は異なる。これは、それぞれの芸術が扱う媒体による。即ち、写真家は光の量の少ない状態(即ち黒)をppと知覚し、音楽家は音量の極大の状態(ff)を黒と知覚する

    これをんねぞうのmp仮説と名付ける。サンプル数は3だけどな

    因みにmpとはMusicianのmとPhotographerのpを組み合わせたものである。メゾピアノと掛けてあることは言うまでもない

    お後がよろしいようで(mp)

    2024/01/13
    んねぞう

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    01 2024

    スナップ撮影

    このところサブカメラが壊れて舞い上がっている

    このカメラの大きな用途の一つがスナップ撮影用ということもあり、このカメラが壊れたことによって、自分の中でスナップ撮影に意識が向いてきている。生来の天邪鬼が頭をもたげて来て、スナップカメラが壊れたことによってスナップ撮影がしたくなって、出かけて撮影をしたりしている。昨日はGR一台、ワイドコンバージョンレンズもなく、単体で勝負と言う意気込みで出かけて来た

    GRは壊れているのだが、どうも電源ボタンを押して、しばらくしてシヤッターボタンを押すと、もうしばらくして液晶画面にファインダー像が表示され、その後は正常に撮影ができることがわかったので、一旦その状態にしたら、電源は切らずに、またオートシャットオフの時間も長く設定して使うことにすれば、とりあえず使える。この使い方だと電池の消耗が激しいが、これは普段からスペアの電池を持ち歩いているので問題はない

    しかしいずれにせよ速写性についての問題は解決できないので、新しいGRの到着が待たれる

    昨日撮った写真の一部は「んねぶら」に掲載した(川沿いの駅-Nov.2023)。人物も撮影したが、肖像権の問題があるだろうから掲載は控える

    2023/11/26
    んねぞう

    サブカメラ

    壊れたサブカメラの代替をどうするかについて、このところ手持ちの古いMicro Four Thirds(以後MFT)のミラーレス機にFour Thirds(以後FT)のアダプタ経由でFTの25mm パンケーキレンズと電子ビューファインダを付けて撮り歩いて、使えるかどうか検証している

    下記のURLは私の写真ブログ「んねぶら」に掲載した写真で、上記のカメラで撮影したもの

    秋 何もない風景-Nov.2023
    秋 何もない風景2-Nov.2023
    秋 何もない風景3-Nov.2023

    写りについては、光量が十分確保できる時には、GRよりも色乗りの良い写真が撮れる感じを受けるが、曇りとか黄昏時の光量の低い時にはノイズが乗るし、また曇りの日でも木立とその奥にある曇り空が入っている構図では、空が盛大に白飛びして、さればとて露出をマイナス補正しても、今度は木立の暗部でノイズが出たりする。これは如何に私でも看過できないレベルだった。今のMFTのセンサでは、技術の進歩で問題は低減されているのだろうが、同様にAPS-C、フルサイズでも同様の技術の進歩があるだろう。画素数も私はトリミングしまくりなので1200万画素は不足気味だ。また、速写性と言う意味では、レンズや電子ビューファインダがごつごつ出っ張っているカメラを引っ張り出して、スイッチを入れてと言う時間を考えると、うーんと考えてしまう。ストリートスナップをしていて、如何にもカメラ然とした見てくれは持っているこちらも気遅れがする。AFも、ジーコジーコと早くはない。使っているレンズの性能に左右されるのかも知れないと思って、MFTの14mmのレンズの新品・中古の購入検討して見たりしていたが、GRではFull Press Snapと言う、決め打ちの距離でとにかくシヤッターを切る、と言う機能がある。とっさの場合にはこれを使っていたりするので、やはり私がGRに求めていたのは速写性だった、と言うことがはっきりした

    整理すると、GRの後継に求めるものは

    1. 速写性
    2. コンパクトさ
    3. FTを超えるセンササイズ(ラティテュードと画素数)

    であり、この点から見て、E-PL1sが私にとってのGRの後継の線はないものとして、もうGR(今はGR IIIと言うのか)を買い直すしかないと思い定めた。奥さんの許しを得て、いざ注文、と言う段になって、今度は納期が長くかかることが判明。納期3か月と言うのは、これまで、カメラでは考えられない納期だ。納期を明示していないサイトさえある。それでも欲しいのか、と自分の胸に聞いて、うん、欲しいと回答が得られたので、あるサイトで購入手続きをして、決済ボタンを押したら、決済に失敗しました、クレジットカード会社に連絡を、とのこと。とにかくクレジットカード会社に電話して、解決してもらったが、ここでまた、お前本当に欲しいのか、お前はこのカメラに相応しい人間なのかと問われている気がして、少し凹んだ

    <補足>
    私が求めるものとして速写性云々を第一条件として挙げたのに対して、この記事の中で記載したURLの中に、速写性を求められるような写真が1枚もないではないかと思う方もおられるかも知れない。そのような写真は、訳あってWEB上では公開を控えさせて頂いているので諒とされたい

    2023/11/24
    んねぞう

    んねぞうのカメラ評価 E-5と6D

    サブカメラとして使っているRICOH GRが壊れたのを機に、その代替策を考えている過程で、これまでのカメラを含めて考えたことがあるので、総括してみたい

    現在のメインカメラはCANONの6Dで、上述のGRと同じ10年選手だ。その前はOlympusのE-5、その前はOlympusのE-410だった。一方、サブカメラは、Olympus E-PL1sからGRになった。その中で、この十数年メインカメラとして使ってきたOlympuのE-5と、その後継機のCANONの6Dについて纏めた

    Zuiko digital ED 50-200mm F2.8 – 3.5 SWDと共に

    Olympus E-5は、当時のOlympusのフラッグシップモデルで、それでいて本体実売価格が20万円を切っていた。その当時は何とも思わなかったが、その後買った6Dと比べると、いろいろな点で違っていた。まず防塵防滴性能。6Dは一度バックパネル内に水が入り修理したが、E-5は一度もなし。次に撮像センサーの埃除去機能。6Dでは偶に撮影した画像に埃の丸い影が映ることがあり、これをLightroomで画像から除去することがあったが、E5ではなかった。また、ライブビューなどで撮影する時に使うアイピースシャッターは、ファインダ内の機構として備え付けられていたのが、6Dでは、ゴムの板を自分でファインダーにはめ込むようになっていた

    片やOlympusはフラッグシップモデル、片やCANONはミドルクラスで比較するのはフェアではないかも知れないが、防塵防滴性能については、NIKON, CANONのユーザが、防塵防滴機能のあるカメラを使っていても、雨中ではタオルでボディを覆いながら撮影するという話を聞いたが、私は全くこのようなことをせずにE-5を使っていてトラブルに見舞われたことがないので、私はこれは間違いのないことだと思っている

    一方、フルサイズとFour Thirdsのセンサに由来する問題として、白飛びとボケの問題がある。最近のFour Thirdsはどうか知らないが、とにかくダイナミックレンジ、ラティテュードが狭く、白飛びには悩まされた。このことから習慣的に-1Ev補正をして撮影する癖がついた。フルサイズの1/4のセンサ面積に当時1200万画素を詰め込むのだから不利な点があるのは否めない。当時発売されていたAPS-CのNIKONのD300と言うモデルも1200万画素と言うことだったので、ほぼ半分の面積に同じ数の画素数を詰め込んでいたということになる

    また、ボケについても、写真雑誌に載っている写真で、フルサイズのボケと言うものに憧れを持っていた。これは原理的にどうしようもなく、必死に絞りを開けて(場合によってはNDフィルターも使って)ぼけを表現しようとしていた。この時、E-5のシャッタースピードの上限は1/8000秒まで上げて撮影したりしていた。因みにこの1/8000秒のシャッタースピードは普通のミドルレンジのカメラにはなかなか装備されない機能であり、知らず知らずのうちにその恩恵に与っていたことを、後になって知った。液晶画面がバリアングルになっていることも、後になって知ったのだが、他のNIKON CANONのカメラではまだ一般的ではなく、NIKON、 CANONユーザの間では当時はバリアングルにすることにより、液晶取り付け部の強度が、とか、その分厚みが増えるという、批判的な意見が多かったように思う。しかし、私にとっては、これは大きなアドバンテージである。これによって撮影アングルがかなり自由に取れたことは大きい。今NIKON、 CANONの上位機種にもバリアングル液晶が普及していることを見ると、当時のNIKON、 CANONユーザは食わず嫌いだったのではないかと思う

    センササイズに由来するもう一つの不満点として、高感度耐性の問題があった。私の写真ブログ「んねブラ」を見て頂けるとわかると思うが、夕暮れとか夜の写真が結構多い。その時は勢い感度を上げることになるのだが、その時にどうしてもノイズが増えて、如何にセンサー駆動式手振れ補正機能の力を借りても思うようなシャッタースピードまで上げられないことも多かった

    上記のような、当時の自分としては白飛びとボケが大きな不満で、次の機種の選択においてはこれが大きなポイントだった

    次の機種として、当時CANON 6Dの対抗機種としてNIKON D600があったが、高感度ノイズは6Dの方が少ないという記事が多かったので、それが決め手になった

    ボケと言うものへの憧れのせいで、Zeiss Distagon F1.4/35mmと言うマニュアルフォーカスの、カメラに詳しい知人には「ゲテモノ」と呼ばれたレンズも買った。これで絞り開放で撮ったりしたが、これはこれでピントのシビアさ、パープルフリンジの問題があることも分かった。結局、フルサイズに期待していたことは、ボケとラティテュードの広さであり、ボケについては絞り開放馬鹿一直線で堪能したし、ラティテュードについても、Lightroomでいろいろいじっても暗部、明部とも良く粘ってくれるのに感動した

    これまでの経験で学んだことを列記すると以下のようになる

    ■ 造り込みの例

    アイピースシャッター

    電源ボタン

    上記の他に、E-5では画角の隅々まで描写が一定しているのに対して、6Dでは周辺になると光量が落ちたり、収差を意識するようなことが多かった。ただし、これは買ったレンズのグレードもあるだろうし、私はその描写を問題にするような写真は撮らない(撮れない)ことが多いので、大きな問題ではないと思う

    Four ThirdsのE-5を使い始めた頃は、当時のデジタル一眼レフのレベルと言うものに対する自分なりの基準がなく、あるものを何の自覚もなく使っていたが、6Dに乗り換えた後で、テレセントリック性と言う、写りへのこだわり、防塵防滴、バリアングル液晶、細部のスイッチ類の配置等Olympusのカメラ造りに対する真面目さと言うものを思い知らされる結果となった。誤解のないように言い添えるが、当時本体の実売価格20万円を切る価格で発売されていたE-5と6Dを比較しての話だ。これで、思い出深い写真を撮れた、とても良いカメラだった

    一方で、ボケ、ラティテュードに関するAPS-C, フルサイズとの違いはセンサーサイズによる物理的法則の制約による宿命であり、克服できないものと理解している。最近のOlympusの一眼レフはNature系のフィールドをターゲットにしているのは、その精密な描写、被写界深度の深さ、軽量コンパクトである特性を生かし、そして防塵防滴機能を研ぎ澄まして来た帰結だろうと思う

    私は臍曲がりの気があり、判官贔屓のバイアスが多少かかっていることは自分でも気づいているのだが、それを差し引いてもOlympusを応援している。多分センサーサイズの宿命からデジタル一眼の主流にはなり得ないだろうが

    2023/11/18
    んねぞう

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