今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。

部屋を片付けていたら、2016年に東京都写真美術館で開催された杉本博司の「ロスト・ヒューマン」と題された展覧会の作品解説・出品リストが出て来て、しばらく読み耽ってしまった。その大きな部分を占めるインスタレーションの解説文が、すべてタイトルに掲げたような一文で始まる。人類が、その文明の終焉を迎えるにあたり、色々な立場の人間が、自分の遺伝子の保存処理をおこなったうえで死に臨むにあたっての感懐という形の文章が続く

作品解説・出費リストの一部 - 画像を加工してあります
作品解説・出品リストの一部 – 画像を加工してあります

展覧会から6年が経過して、その間世界に色々なことが生じているのを見るにつけ、氏の感覚の確かさを感じる。新型コロナウイルスの感染拡大、米国での大統領選挙をめぐる一連の騒動、ロシアのウクライナへ侵攻等。このような「事件」という形で表れているものの他に、地球環境の温暖化に伴うSDGという考え方によるパラダイムの変化、テクノロジーでも、文字、紙、車輪、蒸気機関、半導体の発明等を経てAIが人類の頭脳を凌駕するシンギュラリティのポイントに達する時も近いと言われている。20世紀に出現した相対性理論、量子力学により、人類の宇宙観も大きく変わった。人類には宇宙の全体像の把握は不可能に近く、また直観的に知覚できない「何か」によって天体、銀河、大規模構造の運動が支配されており、翻ってミクロの世界に目を向けるとすべてのもののありようは確率に依存することから、パラレルワールド等と言う概念がノーベル賞級の学者によって真面目に検討されるようになっている

社会もダイバーシティという言葉に代表されるように、ジェンダー、思想信条、生活様式の多様化が叫ばれてきており、これまで何千年も維持されてきた秩序が崩れてきているように見える

これらが人類にどのような変化をもたらすのかとつらつら考えるに、2つの可能性があるように思われる

一つ目 : 破滅

人類の持つ本能の下に科学技術、文化が進んで来た。その帰結として、現在地球上に生じている戦争、経済活動による貧富格差拡大、価値観の多様化による人類内での文化的軋轢が進んだ。これらの分断は埋めようのないものとなり、地球全体がコントロール不可能となり自滅する。まさに今回取り上げた展覧会のシナリオに合致する。展覧会では33人の人物による、33の滅びのシナリオとインスタレーションが陳列されている。そのシナリオの一つを引用しておく

1 理想主義者

今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。人間
は理想という名のもとにおいてはどんな惨たらしいことでもするものだ。自由、平等、博愛の名の下に、フランス革命のギロチンは休む暇もなかった。共産主義もバラ色の未来を人類に描いてくれた。そして大粛清が始まった。民主主義対ファシズムという単純化によって、広島、長崎の原爆投下は看過された。人は根源的に人を殺したいのだ。ちょっとした平和に人間は我慢ができない。平和はあまりにも退屈だ。個人主義、その拡大の民族主義、しかしそのまた拡大の人類愛には、殺すべき敵がいないので機能しない。個の確立とは他を滅することだ。その美しい理由を探すこと、それが理想主義者の使命だ。人間は理性と原始の衝動の間を振り子のように揺れてきた。そして理性が原始の衝動を凌駕することが近代のテーゼとなった。しかし今、理性は敗れ去った、もう一度原始の楽園に戻ろう。禁断の果実とは知恵そのものだったのだ。楽園を出る時、人間は失敗を恐れず、失敗を覚悟して、そして失敗をした。理想主義と理想主義は殺し合いを続け、そして世界は減んだ。

2016年9月3日~11月13日 東京都写真美術館
杉本博司 ロスト・ヒューマン 作品解説・出品リストより一部を引用

二つ目 : 次の人類への変容の前段階

上述したように科学技術は、知能において人類を凌駕するポイントまで来た。また、世界観においても従来の分析的・演繹的な手法では把握できないところまで来た。人類の一部は、その次の段階に向けての準備段階に入りつつあり、本人たちはそれとは意識せずとも、共同意識体というものに動かされているのではないか。上記のような人類社会の混沌があるレベルに達した時、彼らは、渡り鳥の群れが次の土地に向かってタイミングを見計らって一斉に飛び立つように、次の天地に向かうようになるのではないか。そういえば火星探査やテラフォーミングという言葉を良く聞くようになったのもこの動きの一角を覗かせたものかも知れない

以上、たまたま過去の展覧会の解説を目にしたのを機に、昨今の世間の状況と相俟って考えたことを書き記した。

最後に、観覧当初の感想を書いた記事のリンクを自分の心覚えとして残して置く。さらに数年後に世の中、そして自分の見方がどうなっているのか、見返してみたい ( 世 界 が 死 ん で い な け れ ば )

2023/01/14
んねぞう

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