Posts Tagged ‘古典音楽’

パブリックドメインの楽譜

 前の書き込みで、バイオリンを再開したことを書いた

 勢いで、OBの演奏会の演目の一つであったHenry PurcelのAbdelazer組曲のうち、OuvertureとRondeau(これはBrittenの「青少年のための管弦楽入門」のテーマとしての方が有名)の演奏をYouTubeで見ながら自分で採譜して弾いたりしている

 その採譜だが、著作権の切れた曲を自分で採譜して公開するのは問題ないが、他人の演奏を聴きながら採譜すると、その演奏に著作権がある場合は、楽曲自体の著作権が切れた場合でも演奏の著作隣接権の関係で、クレームを受ける可能性があるということだった。これを避けるためには、著作権の切れた楽曲でも、パブリックドメインとなっている演奏から採譜するか、またはパブリックドメインになっている楽譜を使うのが良いということのようだ

 幸い、この曲にはパブリックドメインとなっている演奏と楽譜があったので楽譜を見比べたところ、私の採譜した楽譜とパブリックドメインの楽譜と実質的に一致しているので、セーフと言う理解で良いだろうか。

 「実質的に」と言うのはあいまいな言葉だが、違っていた点を列記すると下記

① タイ/スラーの使い方が異なる
② Ouvertureでは、パブリックドメインの楽譜では2分の2拍子となっているのに対し、私の楽譜では4分の4拍子となっている(演奏を聴いても私にはそこまでわからん)
③ Rondeauでは、パブリックドメインの楽譜では2分の3拍子となっているのに対し、私の楽譜では4分の3拍子となっている(同上)

Ouverture

Rondeau

 極端なことを言えばYouTubeの演奏を聴いて採譜した限り、著作隣接権の侵害にあたり、結果的にいくらパブリックドメインの楽譜と一致しているからと言ってクレームは免れないということなのだろうが…

 ここまで読んでこられた方は、パブリックドメインの楽譜があるのに、なぜ自分で採譜しようとしたか疑問を持たれたと思う。そうさ、採譜した後、公開の可否について調べているうちにこういうパブリックドメインのサイトがあることが分かったのさ。悔しいからここに自分の楽譜を貼って置くわ。下部にTranscription by nNEZOUと書いておいたから間違って使わないようにして下さい。使っても良いけど責任は負わないっす

【まとめ】
今回のYouTubeからの楽譜の採譜/公開の問題について、私は下記のように考えます。
問題あればご指摘下さい

 当初YouTubeのあるチャンネルの演奏を聴きながら、自分で採譜した。
 その後、パブリックドメインのサイトで、楽譜が公開されたことに気づき、見て見たら、実質的な内容がほぼ一致していた。
 YouTubeの演奏からの採譜と、パブリックドメインの楽譜を比較すると、YouTubeの著作隣接権に抵触するほど演奏のオリジナリティに差が出るような内容では全くないと判断するので、公開する。

参考情報 : パブリックドメインを収蔵しているサイト
MUSOPEN https://musopen.org/music

2024/10/26
んねぞう

26

10 2024

バイオリン再開 – 封印を解く

 大学時代に、地域のアマチュアオーケストラと大学のバロック弦楽アンサンブルに所属してバイオリンを弾いていた。就職して都会に出てからも数年はその地域のアマチュアオーケストラでバイオリンを弾いていた。それぞれの場所でコンサータマスターを務めていた時期もあったが、子育てや仕事が忙しくなって、かなりの年月、バイオリン(以下Vn.)の演奏からは遠ざかっていた。偶に恐る恐る楽器のケースを開けて崩壊していないか確かめる程度。(例えばこことかここ)

音色が気に入って買った年代物。仲間からはシーラカンスと言われていた。弓は奥さんとの結婚に際して結納返しで頂いたもの

 そのような毎日を過ごしていたある日、1通の手紙が会社に届いた。差出人は仕事とは関係のない、大学時代の弦楽合奏団のメンバから。開けて見ると、OBが関東のある都市で演奏会を開催するので参加しないかという内容だった。私の連絡先が分からなかったので、会社に出して見たとのこと。私もVn.から離れて久しいので、出演は遠慮しておくとの返事をした。断りはしたものの、私を忘れずにいてくれたことがとても嬉しく、そして、数十年ぶりに名前を聞く懐かしいメンバばかりなので、当日、電車を乗り継いで会場に行って、かつての仲間と再会した。卒業以来一度も会っていないが、面影が残っているので、容易に名前と顔が一致するメンバがほとんどだった。しかし、年月の経過はすごいもので、みんな20歳台の頼りなげな顔だったのが、今は一角の人物の顔つきとなっていることに、感慨深いものがあった。それに引き換えこの俺は…と言う感慨も足し合わされて感無量。開演前、楽屋で会った時に口々に「どうして楽器を持って来なかったんだ」と言う言葉をかけてくれた時には涙が出そうになった

 客席で演奏を聴いていると、昔弾いていた時の思い出が蘇って来たり、「ああ、この箇所を弾くこの人の癖は変わっていないな」と思ったり、この場には来ていない先輩の事も思い出されたりしてVn.を弾く楽しさの記憶が膨れ上がって来て、「お前の憧れている世界はやはりここではないのか」と言う思いが頭の中に充満していた

 打ち上げにも飛び入りで参加させてもらい、皆と久闊を叙しつつ、二次会で今回の幹事役を務めてくれたメンバのお宅にもお邪魔して積もる話に花を咲かせた。メンバの中には演奏活動をずっと継続している人、それどころか夫婦でオーケストラを立ち上げた人もいて、その情熱には私は感嘆するのだが、私のように長期間遠ざかっていたが、定年退職を機に再開したという人もいて、それを聞いて自分の中のハードルも多少下がったので、来年は…と心に決めた。実を言うと、現役時代は増長して、人の心を踏みにじるようなことをいくつもして来た負い目があったが、メンバが私を温かく迎えてくれたことで長年抑え込んでいたものの封印が解けた、そのような気持ちだった

 夜も更けて、帰り道、2時間の電車の中でも興奮が冷めやらず、自宅の最寄り駅のバーでジントニック2杯とウイスキーのオンザロックを1杯飲んでChill outし、自宅に帰ったのは夜更けの2時頃だった

 演奏から離れていた間も、バロック音楽は始終ストリーミングやYouTubeで視聴していたので、若い頃からは、音のニュアンスの付け方については知識と、自分ならこう弾きたいというイメージが増えていると思う。これを自分でどう実現するかが課題

 帰って来て楽器のケースを開けて見たら、楽器に異常はなかった。後は本体(私)のリハビリだ、これが最大の課題

2024/10/23
んねぞう

23

10 2024

音楽と写真のpp(ピアニシモ)-んねぞうのmp仮説

先日プロの写真家の先生(写真教室の先生)と、ある件でお話をした際に、白黒の諧調と音楽のpp(ピアニシモ) – ff(フォルテシモ)の対応の話になった

先生は、黒をppと捉えて、徐々に明るくなり、最終的に白の状態をffと言う捉え方をされていた。私は多少それに違和感を覚えた。何もない白い状態がppであり、黒がffではないかと思った。その時は、これはどちらが正しい、間違っているということではなく、個人の考え方によるものだと思ったので、それ以上突っ込んだお話はしなかったが、ふとした時に奥さんにこの話をしてみた

彼女の感覚も白がppであり、ffは黒と感じるという。因みに彼女は音大ピアノ科卒なので、ここで思いついたことがあった

音響芸術において、基本は無音である。無音を基調として、空間に音を放射して行く。最終的に空間に音響が充満した状態を「黒」と言うイメージで認識するのかも知れない。これに対して、写真は光の芸術である。基本は光のない状態、即ち「黒」である。この状態から、徐々に光が差してきて、極限は空間にすべて光が充満した状態が「白」となる。この基底状態の「黒」が静寂に相当するので写真家にとって「黒」がppであると考えた

これを図解すると下図のようになる

改めて言葉で表現すると

んねぞうのmp仮説

音楽家、写真家それぞれが白、黒の違いと、これを音の強さの対応で感じるやり方は異なる。これは、それぞれの芸術が扱う媒体による。即ち、写真家は光の量の少ない状態(即ち黒)をppと知覚し、音楽家は音量の極大の状態(ff)を黒と知覚する

これをんねぞうのmp仮説と名付ける。サンプル数は3だけどな

因みにmpとはMusicianのmとPhotographerのpを組み合わせたものである。メゾピアノと掛けてあることは言うまでもない

お後がよろしいようで(mp)

2024/01/13
んねぞう

バッハの夕

本日ひっさしぶりにバイオリンのケースを開けて、弾いて見た

奥さんとバッハを合わせた。腕は思っていたほど落ちてはいなかった。しかし早いパッセージは(もともと苦手だったが)かなり鈍っていた

昼は文芸、隣家の柿もぎを挟んで夜はバッハ、なんとゆー文化的な1日!

食欲の秋、ゲージツの秋!

夕食時、奥さんとバッハ談義に花が咲いた

この記事のタイトルは「バッハのゆうべ」と読んでください。くれぐれも「ばっはのた」とか読まないようにお願いします。雰囲気が台無しになるので

2022/11/12
んねぞう

12

11 2022

芸能/芸術の発祥地について-津軽三味線に思う

私の所属する文芸同人誌「澪」の第19号(3月発刊予定)の原稿を先日提出した。第15号から連続して、津軽を題材としてフォトエッセーを発表させて頂いているが、その中で津軽三味線について触れることが多かった。

津軽三味線は津軽の風土、それが作り出した津軽人の独特な気質と相まって、「神原の仁太坊」という、津軽人としての気質を人一倍備えた人間が、失明という逆境に抗って、自身の芸術的才能によって創始したものを、彼に続く弟子達が辛辣な聴衆と火花を散らしながら、民謡の伴奏から独立したジャンルとして確立してきたものと理解している。それが、これまでと全く違う奏法、興行の仕方の三味線芸術成立の素となった。当然、その芸術は、「津軽」「津軽の気候風土」「津軽人」というものが色濃く投影されて成立しているものであり、特に津軽三味線は「楽しむ」ためではなく、「生きる」ためのものであり、盲人という、当時を生きる人間にとって強烈なハンディを持った人たちが生きて行く数少ない手段の一つであったということに注意しなければならない。冬の雪降るさ中、晴眼者、多くは妻、子供、あるいは弟子に手を引かれながら門付けをして少ない報酬を得て旅をする、また演芸会では聴衆の容赦ないヤジに耐えながら演奏をする、そうしてわずかな生活の糧を得て行く中で数えきれない人々が命を落としていったことだろう。津軽の三味線弾きは、「なりたくて」なったのではなく「それしかなかった」というDesparateな選択でしかなかった。そういう状況に追い込まれ、生きて行くことは、如何に演奏で聴衆(多くは農民)の度肝を抜いて、民謡の歌い手でなく伴奏とされている三味線に目を向けさせるかという「闘い」であった。

そのような経緯で成立した津軽三味線だが、現在は「……流」という流派が派生し、家元制度に基く津軽三味線教室も盛んだ。また、三味線の演奏者も多く輩出し、メディアへの露出も広がっており、中にはスター的な演奏者もいるようだ。しかし、そのような商業化と共に、その中心は東京に移りつつあり(もちろん、津軽三味線の本拠地である津軽に留まって活動をしている演奏家も多く存在すると思う)、だんだんソフィスティケートされつつあるように感じる。芸術の進化の形として、私はそれがいけないと言いたい訳ではない。芸術は聴衆を心地よくさせ、感動を与えるものであって、その求めるものが変わって来たら変わって当然だと思う。そうでなければその芸術は見捨てられてしまうから。しかし、私の中の「津軽三味線」は、長い地吹雪の冬、雪解けで花々が一斉に咲き乱れ、鳥々が鳴き交す春、収穫の喜びに村が湧きたつ秋、そういう自然と生活、津軽人が喜怒哀楽をぶつけ合う坩堝の中で、三味線で「生きる」こと、もっと生々しくいえば「食う」ことに、それこそ命をかけた三味線弾きの叩きだしたもの、というものである。だから、現代の津軽三味線は、私の中では「津軽三味線」ではなく、「第二次津軽三味線」という、明確な線が引かれている。私はこれを他人に押し付けるつもりはない。私の理解を披歴しているだけであり、第二次津軽三味線は堕落している等と言う積りもない。しかし一面、これは津軽三味線だけの問題ではなく、小島一郎の写真のように、津軽に根差した写真で中央に進出して活動した結果、その基盤となる津軽から乖離して行くという共通のジレンマがあるように思えるのだ。繰り返しになるが、津軽三味線が津軽の基盤から離れて行くのをいけないと言っているのではない。

これまで「澪」のフォトエッセーを書く度に津軽三味線について考えてきたが、このような経路を辿って来た帰結として、私は現代の津軽三味線とは多少の距離を置くことになるだろう。

津軽三味線の成り立ちについて数少ないながらも何冊かの書籍を読んで、上記のような結論を持つに至った。その中で私の知識の中核をなした本は,「 定本 弦魂津軽三味線」 第3刷, 大條 和雄,弘前市, 津軽三味線歴史文化研究所, 2009年7月である。

著者の大條氏は2020年4月に逝去されたと聞く。ご冥福をお祈り致します。

岩木川の神原の渡し跡を示す石碑と、大條氏の揮毫による仁太坊の石碑。今は神田橋という立派な橋がかかっている

「澪」の津軽編は、今号か、次の20号で終わりにして、次はインド物を計画している。

2022/02/02
んねぞう

バロック期の作曲家の生没年

最近Jordi Savallの演奏を視聴することが多く、勢いCouperin(クープラン)、Lulli(リュリ)等フランス系の作曲家の曲を聴くことが 増えて来たため、Bachとの年代比較のために作成

主要バロック期作曲家の生没年

2018/04/28

んねぞう

 

Bachの音楽

Bachの音楽については、いろいろな人が多くのことを書いていて、いまさら私が何かを付け足すことができるわけではないが、フーガ曲とその和声については、バロックから現代の時代を通じて、非常に普遍的な要素があると思っている。
私が学生の頃、NHKのFMで現代音楽の番組をやっていたのを、若気の至りでわからないながらわかったつもりで聴いていたのだが、そのテーマ曲も現代音楽だと思い込んでいたのが、後になってBachの「音楽の捧げもの」の冒頭「6声のリチェルカーレ」と言う曲であったことを知った。武光徹、柴田南雄、ジョン ケージ等の曲を、さもわかったふりをして鹿爪らしい顔で聴いていたのを思うと、恥ずかしさのあまり、わー、と叫び出したくなる(歳の功もなく、まだわからない(*)まま)。
それはそれとして、もう一つ、まだわからない曲がある。これもNHKの音楽番組のテーマ曲だったと思うが、リスナーの質問に答えるコーナーででテーマ曲の質問があり、Bachの曲だということまでは覚えているが、その曲名を忘れてしまった。覚えている限りのテーマを調性不明、拍子不明のまま書き留めておく。弦楽合奏で、コントラバスが通奏低音をピチカートで奏でていた。番組終了後もこのテーマが流れて、時間になると時報の音(ポッ、ポッ、ポッ、ピー)が続く。ここまでが私の耳に残っている。流石にこれは現代音楽だとは思っていなかったが、非常に現代的なテイストを持った曲として演奏されていた。

現代、iPhoneのSiriあたりに唄って聞かせると、即座にこの曲は何々ですと答えてくれるのかも知れないが、そんなの恥ずかしくてできやしない。それにもし貴方の歌、音程が狂っているのでワカリマセンなんて言われたら、ちょっと立ち直れないじゃないか。

「音楽の捧げもの」、「フーガの技法」は、和声と対位法のIntergrationとしての「音楽」から、極限まで贅肉をそぎ落とした骨格、核、芯と言うことができるのではないか。建物で言うと、ゴシック建築の構造の美しさを「音」と言う媒体での響きに具現化したものと言えようか。その響きも簡単明快なものでありながら、逆にそぎ落とされた本質的なものが例えば教会のような残響の豊かなところで演奏されると、聴き手の脳内に小宇宙「Microcosmos(当時の流行言葉でミクロコスモス)」を生起(敢えて言うと再生成)させるものである。Bachの音楽を世俗曲、宗教曲と言うように分類することができるが、これらの曲はどちらに分類されるべきものだろうか。まあ、直接宗教的行事に関連がないものだから、宗教曲とは分類しえないとして、さりとて世俗曲と言うにはあまりにも蒸留度が高いと思える。私としては、これは対位法の一つの到達点、特異点として、異次元への始まりの準備と言う位置づけになると思っている。「特異点」と言ったのは、この点が古典派への連続的な接続と言うには不連続な感じがするからである。ただし、これは私の不勉強のなすことであって、例えば子供のC. P. E. Bach等の後継者を丹念に拾って行けば連続性が認識できるものなのかも知れない。

ゴシック建築とのアナロジーの点でもう少し言うと、バロック音楽=ゴシック建築 vs ロマン派以降=近代建築(コンクリート、鉄骨、ガラスを使った独創的なフォルムの建築)と言う図式で考えて見たい。

ゴシック建築そしてバロック建築は基本は石と煉瓦を材料としており、これらは引っ張り、曲げに弱いと言う機械的性質から、建物としては重力を受け止める、或いは重力を利用した形での造形しかできない。従って、この建築物の形状は基本的に垂直、アーチ型を基調としたものにならざるを得ない。それも、その重量を支えつつ空間を確保するためには、しっかりした柱、壁、アーチ等の構造がそれなりのボリュームとバランスをもって配置されなければならない。これが見る者、住む者に安定感を与え、「構造」と言う側面に人の意識を向けることになる。視覚的なバランス、リズム、規則性、遠近感、それらから来る美しさと言うものにバロック音楽との類似性を感じる。それに対して、近代建築における鉄鋼材料は、引っ張り、曲げ、ねじりへの耐性もあって建築形状の自由度が大幅に向上したため、見た目のフォルムに新奇性を持たせることができるようになり、逆に不安定感を醸し出すような建物さえ現れている。

ゴシック建築は12世紀から始まった。Bachは17世紀に生まれた。この数百年の間、人々はゴシック建築(のちにバロック建築)の中で暮らし、影響を受け、バロック音楽もルネサンス、バロックと経てBachにて集大成を見た。と言う理解。

*音楽がわかる、わからないということについても若い頃青臭い妄想をしていた。これについては気が向けばまた後で。

2018/01/08
んねぞう

08

01 2018

バイオリンの弓の毛崩壊

昨年張り替えたバイオリンの弓の毛だが、今日久しぶりに楽器のケースの蓋を開けたら衝撃の光景を目にした。

これまでこのようなひどい弓の状態になったことはない。

何が悪かったのか

2017/12/10

んねぞう

10

12 2017

ヴィオール、ヴィオール属、ヴァイオリン属について

最近Youtubeでバロック音楽を視聴することが非常に多くなってきて、最初に気が付いた違いは私がアマチュア現役時代(20年以上前)と比べて演奏に使われる楽器は古楽器が主流となっていること。その古雅な響きは私を魅了して止まない。その響きの魅力については別稿に譲るとして、その中でビオラ ダ ガンバ、バロックヴァイオリン等の音色に魅せられている。近代楽器と古楽器の違いについて、特にヴィオラ ダ ガンバを始めとして、その他にも見慣れない楽器、例えば立てて弾くヴァイオリンのようなものについての自分なりの理解をしておきたいと思い、調べて見た。何故かは知らないがヴァイオリンは完成形で規格化されているとされているが、それとは違い、上述の楽器類は歴史的、地理的にさまざまな栄枯盛衰を辿り、バリエーションがあり、その全貌を完全に把握するのは私には到底無理のようだが、まず私がYoutubeで視聴するのに、取り敢えず擦弦楽器については、この楽器は何?ということがないようにはしておきたい。これが目標。

ここでは、近年バロック音楽の世界で一般的となって来た所謂古楽器のうち、ヴィオール、ヴィオール属、ヴァイオリン属について、その概念、定義等について整理する。

長くなるので、例によってここで一旦切ります。続きを読みたいと言う奇篤な方は↓を押してください

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05

08 2017

三味線のさわりとサロードのジャワリ

西洋のバロック期以前の古楽器について調べているうちに、インドのサロードとシタールに「ジャワリ」と言う部品が付いていて、これが意図的に弦をビビらせて独特の音色を出すのに役立っているということがわかった。語感が似ていて機能が全く同じ三味線の「さわり」と似ているので、偶然ならすごいと思う。

えーと、西洋の古楽器から何でこんなところに来たんだっけ、そうだ、リュートのことを調べていたらこんな所まで来てしまったのだった。

そもそもはビオラ ダ ガンバ、ヴィオールのことを調べ始めていたのだった。何か一つのことを出発点に、どんどん広がって行く、面白い。面白いがこれを知識として覚えて置くほど頭の容量がないので、このようなブログで、自分の理解の軌跡として残して置く。そうしておくと、後で参照することができる。

2017/08/05

んねぞう

01

08 2017