Archive for the ‘日記・コラム・つぶやき’Category

首縊りの力学

先週末に、下記のやや長文のレポートを掲載した。本人は面白半分、 真面目半分で考えて、楽しみながら書いたものだ。

Sod’s Law Risk Factorの挙動の評価と適用に関する1考察

それに対し役に立ちそうだが長いので3行で、と言うコメントを頂いた。

早速3行で纏めたが、漱石の「猫」で、物理学者の寒月が苦沙味の家に来て、その夜の論文発表のリハーサル(題目が「首縊りの力学」)を始めたものの、物理学をさっぱり解しない苦沙味と迷亭が散々茶化し倒して、結局核心部分まで省略させてしまった場面を思い出した。

※今回のコメントが、自分の論文を台無しにしたと言うことを言っているのではないので念のため。

2017/06/27

んねぞう

 

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06 2017

Sod’s Law Risk Factorの挙動の評価と適用に関する1考察

Sod’s LawのRisk Factorの計算式で、それぞれのパラメータ(U:Urgency ,C:Complexity,I:Importance, S:Skill, F:Frequency)がどのように寄与するのかざっと確かめて見た。以下はそのレポート。Sod’s LawおよびRisk Factorの計算式等については以前のエントリーのSod’s Law のRisk Factor 計算式Sod’s Law の Risk Factor計算を参照されたい。

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twitterについて

日頃から気になっていることの一つに、SNSの一つであるtwitterの感覚がある。

私が想像するに、twitterと言う名前は”tweet”と言う単語から来たと思う。Wikipediaにもそのような記述がある。辞書を引くと”囀る(さえずる)”とある。日本ではtwitterに投稿することを”呟く(つぶやく)”と言う。

英語圏では”囀る“、日本語圏では”呟く“、この差は私にとって大きい。

“囀る”と言うと、私は初夏の原っぱから突然、それこそ囀りながら飛び立つ雲雀(ひばり)の囀りを思い浮かべる。縄張を宣言するために声高く鳴くのだそうだ。また、オーディオのスピーカーで高音部を受け持つものをトゥイーターと言う。

“呟く”と言うと、それこそつぶやきシローのようなぼそぼそとした、人に聞かれても聞かれなくても良いような語り口で話す様を思い浮かべる。因みに”つぶやく”を辞書で調べると、”mumble”, “mutter”, “murmur”が出て来る。流石にもごもごと口籠った感じがしないか?

仮に日本人が”呟く”感覚でtwitterに投稿していると、いつか社会的影響の大きさに驚くようなことが起きるのではないかと思っている。少なくとも英語圏は”呟く”のではなく、声高に”囀って”いる感覚なのだから。

まあ、SNSにしろwebにしろ一旦公開されたものは本人の意思に関係なく独り歩きして行くものだから、ああだこうだ言っても無駄ではあるが。

以上、臍曲がり親父の呟き

2017/06/03

んねぞう

P.S. つぶやきシローのtwitterを見てみたら、この人は完全に”呟き”だ…

 

03

06 2017

iOS端末の整理

【おことわり】

今回の記事は、文章ばかりで非常に長く、また内容は極めて個人的で、人の役に立たない、自分の備忘録、所謂チラシの裏的内容のものですので、興味のない方はスキップして下さい。

(そんなこと言うのなら全部スキップだ、とか言わないで)

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津軽三味線の系譜 – 5 (じょんから節考)

津軽三味線の主要な曲目の一つであるじょんから節につき、いつもながらのピントはずれのお勉強。

「じょんから節」の起源

背景① 千徳氏滅亡の悲劇

慶長2(1597)年、津軽の浅瀬石城(千徳氏)が津軽為信に滅ぼされた際に城下の神宗寺の住職常縁和尚が千徳家先祖代々の位牌を背負い城の崖から身を投げた。この悲劇を歌った節が「じょんから節」として周辺の土地の人に受け継がれてきた。その歌詞の中に「恨みは常縁 河原淵」と言う一節があり、これから「じょんから節」と言う名前となった。ただし、これは津軽三味線のじょんから節と直接の関係はないようだ。

背景② イタコの「口寄せ」

村のある家でイタコを招きそのイタコの語った死者の語りを、その場にいなかった村人達へ口伝えされて行く。そのことを津軽の方言で「ジョンカラをまがす」と言う。イタコの人気は死者の境遇を言い当てることの他に、語りの節回しが大事。また、その後の酒宴で歌の上手なイタコは人気があった。ジョンカラ節の語源はこの方言から来た。耳を澄まして聴くと言う習慣、語ろうと言うものにはたとえ坊様のでもホイド(乞食)の口説であっても聴き、感激した。

背景③  門付けの坊様のジョンカラを聴いて唄好きのエフリコギが村の祭りでバシラぐ。

エフリした唄に聴き手はジャワメイた。原型のジョンカラから節が変化し続けるジョンカラに目をつけていち早く三味線を付けたのが豊月だった。

背景④ 明治中期の唄会では、ジョンカラもヨサレもオハラもまるで区別がつかないくらい平明で単調だった。

森田源助のジョンカラは「鈴木主水」であった。出崎の坊の得意唄は「小栗判官照手姫口説」、寅坊の得意唄は「鈴木主水」だった。

以上から、「ジョンカラ節」は、特定の歌詞、旋律を持っている曲ではなく、口説(じょんから)に節を付けて演奏される曲の総称である、と理解する。

今日はここまで。ふう。

2017/04/23

んねぞう

変な人に見られない方法

自宅から車で10分程走ったところに大き目の自然公園がある。季節になると山一帯が桜で覆われ、花見客で賑わう。この人ごみを避けて日没後に三脚を担いで出かけた。その写真をんねブラに掲載した(人気(ひとけ)のなくもない公園 – Apr. 2017)。

 

夜に公園を一人でカメラをぶら下げて歩いていて不審者と間違えられないためにはどのようにしたら良いか。最近の世情から、これはちょっと切実な問題。

① 背中に「私は怪しい者ではありません」と書いたプラカードを下げる

→ ますます怪しい。恥ずかしい。

② 背中に「私は趣味で風景写真を撮っています。決して盗撮等していません」と書いたプラカードを下げる

→ 上に同じ。

③ 「あ~、良い景色だ、これだこれ、傑作が撮れたぞ」あるいは「あ~駄目だ駄目だ、なんで俺はこんなつまらない写真しか撮れないんだ」等と大声で言いながら撮る

→ 恥ずかしい。別種の変な人とみられる。また、後者は当たっているだけに自分で言って落ち込む

④ 疑われるような時間帯に出かけない

→ 嫌だ……

究極的には、各所に設置されているであろう防犯カメラの映像と、撮った写真の画像を確認してもらって潔白を証明するしかないのだろうが、私の撮った写真を見て、その種の疑いは晴れるにしろ、見た方は「…」と言う感じになるだろう。嫌だが仕方がないか。

 

2017/04/16

んねぞう

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04 2017

Google AdSense中止

昨年9月よりGoogle AdSenseを始めていた。これまでの広告料は下記。

自分のドメインの維持費位賄えると良いなと思っていたが甘かった。

と言うことで、自分のブログから広告はすべて削除した。

これで余計な広告がなくなり、サイトがすっきりして見やすくなった(負惜)。


 

2017/04/16

んねぞう

 

津軽三味線の系譜 – その4

独奏楽器としての津軽三味線の曲と言えば、じょんから節、おはら節、よされ節の3曲が有名だそうだ。
これら以外にもいろいろあると思うが、弥三郎節は特徴的な滑稽さを帯びた旋律なので、すぐわかるが、私は申し訳ないことに、じょんから節がどういうものかまったくぴんと来ない。一つには、西洋音楽のように決まった楽譜と形式がなく、例えばバッハのミサ曲ロ短調であれば旋律ははっきり書いてあるし、誰が演奏していもこれはバッハのミサ曲であるとわかる。ところが、いろんな人が「じょんから節」を弾いているのを聞いても、これが同じ曲であると理解ができないのである。それもまた、じょんから節には旧節、中節、新節とあるそうで、これがますます事態をわからなくさせている(私だけの話ですが)。元来津軽人の気質から、他人の模倣を嫌うために、統一した旋律などあり得ないとしても、わからなさにも程があると、私は思うのだ。
そこで、まずじょんから節の比較の基準として、手元にあった高橋竹山の中節の演奏を採譜して、他の演奏と比較をしてやろうと思った。

昔は紙の五線譜と音符用の万年筆で楽譜を書いたものだが、最近はパソコンで楽譜を作成するフリーのソフトがあって、ありがたい世の中になったものだ。因みに今回見つけたソフトはMuseScore(ダウンロードページ および ハンドブックページ)。入力した楽譜を演奏して確認することまでできる。また、用途違いかもしれないが、曲を何回もプレイバックして、1小節ずつ送りながら聞き取るために、WavePadと言うソフトを使った。

4分前後の曲だったが、採譜を終わるのに5時間くらいかかった。自分の音感(相対)はそれなりに自信があったが、採譜の途中で調性がおかしくなって時々「あれ?」と思うことがあって、これはもともとなのか、加齢によるものか、はたまた脳味噌がアルコールに冒されたせいなのか、いずれにしろ少しがっかりした。

演奏のパッセージが早い部分は正確に五線上に表現するのは当方の耳が追いつけていない点があって、怪しいところ満載だが、全体の旋律を確認するには充分なものができたと思う。

津軽三味線と言うものを理解するのに、演奏を西洋音楽の譜面上に採譜して比較しようと言う、このようなアプローチが正しいかどうかは知らない。変な方向に行っているのかも知れないが(多分そうなんだろう)、人に押し付けるつもりもないし、自分がどこを間違っているかということに気付くための一つのプロセスだと思って、生暖かい目で見てやってくだせえ。

さて、これ(↓)がその楽譜。出典のmp3ファイルも対照のために置きたいが、著作権があるだろうから控えざるを得ない。

津軽じょんから節_中節

取敢えず今日はこの採譜でお仕舞。これが今週末の成果。演奏の比較はこの次。

2017/04/09

【追記 2017/04/15】

今日楽譜を見直していたらかなり間違いがあった。拍の勘定を間違えて小節数が違っていたり、オクターブ低く記譜していたり。速攻で修正し、アップロードした。

んねぞう

 

ぎょっと物件

私の運営している写真ブログ”んねぞうがカメラを持ってブラブラ – んねブラ“は写真家三井光一氏の写真ブログ “シグマを持ってあちこちをブラブラ。写真家・三井”サスラウ”光一が綴るフォトダイアリー” に触発されたものだが、氏はシグマのカメラがその描写を得意とする被写体を”フォビオン”物件と称している。

昨日、私は人気(ひとけ)のない公園に行って写真を撮って来たが、その中でぎょっとするものに出くわして写真を撮った。そういえば、昨年も同様に別の人気(ひとけ)のない公園でぎょっとするようなものに出遭って写真を撮ったっけ、と思い出して、今後これを”ぎょっと物件”と名付けることとする。

因みにこれまでのぎょっと物件は下記(写真をクリックすると当該ページにジャンプします)。


2017/04/02

んねぞう

津軽三味線の系譜 ー その3

これまで、本を読んで、また演奏を聴いて、自分なりの津軽三味線に対する理解を以下に記す。

文化的、歴史的背景

  • 津軽三味線は、津軽地方の人の性向、文化と密着している。

  • 江戸から明治時代にかけて、盲人男性は「坊様(ボサマ)」として、按摩、三味線等の職業にしか就けなかった。門付によって収入を得ていた。
  • 津軽地方にも、瞽女による三味線音楽が定着していた

津軽三味線の起源

  • 安政4年(1857年)北津軽郡神原に生まれた仁太坊が、義太夫に影響され八人芸(ハチヌギゲイ)を始める。劇的効果を上げるために叩き三味線の奏法を創始。

津軽三味線の発展

  • 叩き三味線の系譜として、仁太坊の後、白川軍八郎(津軽三味線の神様と称される)、木田林松栄、福士政勝、弾き三味線の系譜としては、太田長作(長泥手の創始者)、高橋竹山がある。
  • 演奏の場…門付/盛り場、祭礼の場。明治末から唄会。
  • 当初は唄の伴奏の位置づけ。亀坊が唄の変化に対応する演奏を始めた
  • 嘉瀬の桃太郎が伴奏楽器から独奏楽器へ地位を高めた

音楽としての津軽三味線

  • 津軽人の気質(上記構造図参照)である「ナ、ナダバ」の精神に基づき、他人の模倣を非とする奏者、聴衆の姿勢により、当初唄の伴奏に甘んじていた地位から徐々に独奏楽器にまで上り詰め、演奏そのものも情念を叩きつけるような派手さ、技巧を競う。他人との差異化のため、奏法も各自が工夫し、演奏も即興性を重視する。

整理すべき点

  • 「じょんから節」の定義…その起源。演奏、旋律の多様性に対する理解。

じょんから節は口説から来ている(cf.「じょんからをまがす」)。じょんからに合わせて伴奏した三味線が、口説に合わせて旋律が変化することは理解する。その後独奏楽器としての三味線がじょんから節を奏でる場合、依拠する口説がないのに「じょんから節」として独奏することに対する疑問