Author Archive

スライドショー

自分の写真ブログの写真のうち、いくつかをスライドショーにして見た。

BGMについては、自分で楽しむ分については自分の買ったCDの音源を使っていれば良かったが、ブログではそうはいかないので探して見たら、フリーの音源が一杯あることがわかった。

しかし量が膨大なので、本当に自分の写真のイメージに合致しているものか、聴き比べていてもきりががないので、聴き比べた中で最もSuitableなものを選ばせてもらった。

あるものについては、曲を付けることで、今まで自分が持っていたイメージとまた違った印象を持つことになり、面白かった。

これに味を占めて、今度はビデオ編集ソフトを使ってキャプションを入れようと思い、フリーのソフトや有料版の体験版をいくつか入れて試して見ている。

現在のスライドショー付のエントリー。

冬の枯花物語 – Jan. 2018

冬の雫 – Jan. 2017

人気(ひとけ)のない公園 – Sep. 2016

異界 – July 2014

私のBGM付のスライドショーとなると、どれもぞもも…となるような寂れた写真ばかりになるのは何故だろう

2018/03/24

んねぞう

 

第三次津軽旅行

3日ほど津軽線沿線を旅行して来た。主な目的地は竜飛岬。

2014年に三厩を訪ねて以降、いつか竜飛岬に立ってみたいと思い続けていた(んねブラ 風の強い街参照)。

今回、奥さんの強い後押しを貰い、竜飛を訪れることができた。途中、三厩、蟹田も再訪し、写真に収めてきた。

三厩再訪 – Feb. 2018

蟹田再訪 – Feb. 2018

竜飛 – Feb. 2018

その際の、写真以外のあれこれ。

Read the rest of this entry →

12

02 2018

Oさん

昨年末に、会社で大変お世話になった方の奥様から、その方が昨年6月に亡くなったとの知らせが届いた。

その方を仮にOさんと呼ばせて頂く。

20世紀末、私が会社のある事業部の課長としてエンジニアリング関係のIT行政を任されていた時、私はこれから会社がグローバルに競争、そしてコラボレートして行くためにはグローバルスタンダード、或いはデファクトスタンダードに基く社内システムの変革が必要であるということを唱えていた。その時、別の事業部でIT関連の部長を務めておられたOさんが我々の事業部に移って来られて、新しい風を吹き込んで下さった。その下で、私はその方と初めてのアメリカ出張に行き、アメリカ人と議論をし、アメリカ人と一緒に御飯を食べ、休日にはいろいろなところに連れて行って頂き、アメリカの文化、アメリカ人の気質、ビジネスの要諦等を教えて下さった。初めてのアメリカであちこち車を運転させられて、まあ良く事故も起こさずに帰って来れたものだと思う。忘れもしない、アトランタオリンピック前年の1995年のことだ。Oさんは若い頃にアメリカに駐在していろいろな経験と実績を積んでいて、人間的にも日本人、アメリカ人の区別なく通じ合える才能を持った方だった。このような方との出張、仕事を通じて自分のやるべきことがOさんのお蔭でまるで車のハイビームで照らされているように、やることは間違っていないという確信が持て、よし、あとはやるだけだという気持ちにさせられたものだ。この経験が元になって、アメリカに限らず、その後の中東、アジア、ヨーロッパ、インド等様々な国とのビジネスの座標軸はこのOさんの薫陶による。
出来の良い弟子ではなかったが、自己、或いは自国を相対化して眺めることを覚えた。日本の常識は世界の非常識というのは言い過ぎだが、日本人として無意識に行っている動作が、ひょっとして外国人には色々な意味で「!?」ということになっていないか。これは、私が外国に行って違った風習、仕草、景色などで面白いなと思うことの裏返しでもあるが、とにかくよくわからない人間のいる日本に来て、色々戸惑うことに対して、外国人の視点から、何に困りそうだということが見える。現在外国人の部下がおり、仕事上は優秀なので何の手助けもいらないが、その他の仕事の進め方、また生活の面で助けてあげられていればうれしい。

話が逸れたが、こんなことになるのだったら、生前無理をしてでも九州のご自宅にお邪魔し、教えを乞い、また酒を飲みながら馬鹿話でもしておくのだったと悔やまれる。

ご冥福を心からお祈り致します

関連の記事 — 1995年にOさんと出張の時のはなし↓

がんばれ野茂

 

 

2018/01/08
んねぞう

08

01 2018

Bachの音楽

Bachの音楽については、いろいろな人が多くのことを書いていて、いまさら私が何かを付け足すことができるわけではないが、フーガ曲とその和声については、バロックから現代の時代を通じて、非常に普遍的な要素があると思っている。
私が学生の頃、NHKのFMで現代音楽の番組をやっていたのを、若気の至りでわからないながらわかったつもりで聴いていたのだが、そのテーマ曲も現代音楽だと思い込んでいたのが、後になってBachの「音楽の捧げもの」の冒頭「6声のリチェルカーレ」と言う曲であったことを知った。武光徹、柴田南雄、ジョン ケージ等の曲を、さもわかったふりをして鹿爪らしい顔で聴いていたのを思うと、恥ずかしさのあまり、わー、と叫び出したくなる(歳の功もなく、まだわからない(*)まま)。
それはそれとして、もう一つ、まだわからない曲がある。これもNHKの音楽番組のテーマ曲だったと思うが、リスナーの質問に答えるコーナーででテーマ曲の質問があり、Bachの曲だということまでは覚えているが、その曲名を忘れてしまった。覚えている限りのテーマを調性不明、拍子不明のまま書き留めておく。弦楽合奏で、コントラバスが通奏低音をピチカートで奏でていた。番組終了後もこのテーマが流れて、時間になると時報の音(ポッ、ポッ、ポッ、ピー)が続く。ここまでが私の耳に残っている。流石にこれは現代音楽だとは思っていなかったが、非常に現代的なテイストを持った曲として演奏されていた。

現代、iPhoneのSiriあたりに唄って聞かせると、即座にこの曲は何々ですと答えてくれるのかも知れないが、そんなの恥ずかしくてできやしない。それにもし貴方の歌、音程が狂っているのでワカリマセンなんて言われたら、ちょっと立ち直れないじゃないか。

「音楽の捧げもの」、「フーガの技法」は、和声と対位法のIntergrationとしての「音楽」から、極限まで贅肉をそぎ落とした骨格、核、芯と言うことができるのではないか。建物で言うと、ゴシック建築の構造の美しさを「音」と言う媒体での響きに具現化したものと言えようか。その響きも簡単明快なものでありながら、逆にそぎ落とされた本質的なものが例えば教会のような残響の豊かなところで演奏されると、聴き手の脳内に小宇宙「Microcosmos(当時の流行言葉でミクロコスモス)」を生起(敢えて言うと再生成)させるものである。Bachの音楽を世俗曲、宗教曲と言うように分類することができるが、これらの曲はどちらに分類されるべきものだろうか。まあ、直接宗教的行事に関連がないものだから、宗教曲とは分類しえないとして、さりとて世俗曲と言うにはあまりにも蒸留度が高いと思える。私としては、これは対位法の一つの到達点、特異点として、異次元への始まりの準備と言う位置づけになると思っている。「特異点」と言ったのは、この点が古典派への連続的な接続と言うには不連続な感じがするからである。ただし、これは私の不勉強のなすことであって、例えば子供のC. P. E. Bach等の後継者を丹念に拾って行けば連続性が認識できるものなのかも知れない。

ゴシック建築とのアナロジーの点でもう少し言うと、バロック音楽=ゴシック建築 vs ロマン派以降=近代建築(コンクリート、鉄骨、ガラスを使った独創的なフォルムの建築)と言う図式で考えて見たい。

ゴシック建築そしてバロック建築は基本は石と煉瓦を材料としており、これらは引っ張り、曲げに弱いと言う機械的性質から、建物としては重力を受け止める、或いは重力を利用した形での造形しかできない。従って、この建築物の形状は基本的に垂直、アーチ型を基調としたものにならざるを得ない。それも、その重量を支えつつ空間を確保するためには、しっかりした柱、壁、アーチ等の構造がそれなりのボリュームとバランスをもって配置されなければならない。これが見る者、住む者に安定感を与え、「構造」と言う側面に人の意識を向けることになる。視覚的なバランス、リズム、規則性、遠近感、それらから来る美しさと言うものにバロック音楽との類似性を感じる。それに対して、近代建築における鉄鋼材料は、引っ張り、曲げ、ねじりへの耐性もあって建築形状の自由度が大幅に向上したため、見た目のフォルムに新奇性を持たせることができるようになり、逆に不安定感を醸し出すような建物さえ現れている。

ゴシック建築は12世紀から始まった。Bachは17世紀に生まれた。この数百年の間、人々はゴシック建築(のちにバロック建築)の中で暮らし、影響を受け、バロック音楽もルネサンス、バロックと経てBachにて集大成を見た。と言う理解。

*音楽がわかる、わからないということについても若い頃青臭い妄想をしていた。これについては気が向けばまた後で。

2018/01/08
んねぞう

08

01 2018

バイオリンの弓の毛崩壊

昨年張り替えたバイオリンの弓の毛だが、今日久しぶりに楽器のケースの蓋を開けたら衝撃の光景を目にした。

これまでこのようなひどい弓の状態になったことはない。

何が悪かったのか

2017/12/10

んねぞう

10

12 2017

iTunesのバックアップ

自分 のメインで使っているデスクトップのC:ドライブに240GBのSSDを使っているが、このところ空き容量が極端に少なくなっていて、いろいろ調べていたのだが、\Usersフォルダのレベルで見たディスク占有量とその下の個別のフォルダーの占有量の合計が数十GBのレベルで合わないので不思議に思っていた。

そしたら、ある時Appdataと言う自分からは見えないフォルダが存在し、その中でAppleのフォルダの占有量が極端に多く、それがiPhone,  iPadのバックアップデータであることがわかった。

このデータを何とか別のドライブに移せないかとググってみたら、DOSのCMD.exeのMKLINKと言うコマンドでジャンクションを作ってやることでリダイレクトできることが分かった。おかけでディスク容量は一息つくことが できた。

以上、心覚え

2017/12/10

んねぞう

iPhone機種変更

iPhoneの機種変更をした。以前iPhone SEが欲しいと書いたが、私の2年縛りが解けた今、既にSEは32GBモデル以外完売となってしまっているようだった。
iPhone6sから8への機種変更だが、下の写真でどちらがどちらかわかるだろうか。

左が古い6s、右が8、どちらもスペースグレイ。

6sの背面はアルミ、8はガラスだそうだ。無線充電を可能としたそうで、質感がぬめっとなっている。それよりも、私にとってのメリットは、JR東日本のSUICAが取り込めること。これで、通勤時にスマートフォンと定期入れの両方をワイシャツの胸ポケットにねじ込まなくても良くなった。最初に使う時に、本当に使えるかどうかどきどきしたが、Walletのアプリも、Suicaのアプリも起動せずに使えることができてほっとした。以降、改札でタッチすることに、電話機の「コトッ」と言う振動とともに画面にSuicaが表示され、ゲートが開くたびに、一人で小さく人に聞こえないように「おー」と言って通過するのであった。

因みに両者も寸法と重量を比較すると、8の方が0.1ミリの単位で大きくなっていて、体積の増加率と重量の増加率はほぼ等しいことがわかる。

iPhone6s iPhone8
高さ (mm) 138.3 138.4
幅 (mm) 67.1 67.3
厚さ (mm) 7.1 7.3
重量 (g) 143 148

体積の増加率3.19%
重量の増加率3.49%

データの移行については、いろいろ抜けがあってその都度追加しているが、一つ誤算だったのは「Omoidori」と言うハードの適合性。これはプリントされたL判、2L判の写真をiPhoneのカメラを使って画面の反射なしに取り込むものだが、iPhone 6sでは使えていたが、8では、筐体に嵌りはするものの、撮影ができなくなっていた。iPhone 7、8対応版が別に売り出されているので、別途購入の必要がある

 

2017/12/06
んねぞう

写真撮影枚数の推移

2000年に自分で最初のデジカメを買ってからの機種ごとの撮影枚数の推移をグラフ化して見た。携帯電話での撮影は極端に少ないので除外する。

以下は自分の覚書

Read the rest of this entry →

Tags:

12

11 2017

Murphy’s Law Calendar

2018年版のMurphy’s Law Calendarを買おうと思っていたが、今日現在Amazon(.co.jpにも.comにも)に載っていないため、絶版になったようだ。よって、私のMurphy’s Law Calendar Blogも今年で終わり。1999年に米国に出張した時に買い求めたのが始まりで、その後下記の年のものを訳し続けてきた。数えると15年分。

1999
2000
2004
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017

これまで続けて来たものがなくなるのは少し寂しい気がする。

2017/11/05

んねぞう

 

05

11 2017

革のショルダーバッグ

私は鞄に特に惹かれる。布製、革製に関わらず、リュック、ショルダーバッグ、カメラバッグ、通勤鞄等、自分の気に入ったものをじっくりと調べて比較して考えて選ぶ。手持ちの鞄でいくつか皮革製の鞄があるが、プライベートのちょっとした出歩きの時に使っている鞄がこれである。今日レシートを調べて見たら購入が07年6月とある(拘りのある品物についてはこういうものを記念/記録のために取っておくタチである)。平成7年ということはないと思うので、西暦2007年であろうと思うが、それでも10年使い続けていることになる。メーカのHPを見たら未だにロングセラー商品としてラインアップされている。愛着も一入である。しみじみと見ていると、革が買った当初からくたっとして良い感じになっている。それは良いが、買ってから一度も手入れをしてやっていないせいか、角が擦れて毛羽立っているので、これはいかんと、先週末にミンクオイルを買って塗って見た。鞄屋では、ミンクオイルは、革の種類によっては「強い」と言われたので心配だったが、大丈夫なようだ。お陰で、全体に色が濃く落ち着いて、擦れた部分も油が浸透して、多少艶が戻って来た。

下の写真は、始めiPhoneで撮ったのだがホワイトバランスが良くなく、電話機自体でうまく調整できなかったので、デジタル一眼レフカメラで撮影し直し、RAWデータをLightroomで修正して、実物の色合いに近づけたもの。こういう場合はやはり本職のデジカメに軍配が挙がる。絞りを開けて撮ることにより、雑然とした背景もぼかすことができるし…

2017/10/01

んねぞう