PC「硬派」とは
これまでのPC更新に関する一連の記事の中で、私はしきりに「硬派」と言う言葉を使った。ここでは、自分の言う「硬派」とはどういうものだったのか、ブログに書かれた文章を逐一掲げて検証して見たい
昔からの(硬派の)PCユーザの私にとって、CPUは何にもまして大事なご本尊様である。
これはグラフィクスボードが出現する前の記憶を色濃く引きずっているための言辞であろう。今回、今後10年使えるようにと、どう見ても自分の今の使い方にオーバースペックなCPUの選択にもそれが色濃く表れている
硬派なので、ケーブルもじゃもじゃの物を買った。
これは電源装置の紹介で吐いている。ケースの内部をLEDで光らせたり、ケーブルを殊更綺麗にまとめて、マザーボードやメモリ、グラフィクスボード、ファン、ケーブルに至るまで色のコーディネーションをするようなのは軟派だと言いたいようだ。ケースの中にケーブルが縦横無尽(ぐちゃぐちゃ)に張り巡らされ、その中を目にもとまらぬスピードで電気や電気信号、場合によっては光も駆け巡る、このようなさまを想像するのがロマンである、と。
硬派の私は20世紀末にPCを買って以来、ケースは白を使っている。
デスクトップPC以外の情報家電はすべからく黒を使っているが、ことPCケースについては20世紀に身に付いた習慣は抜けないものらしい
硬派の私が気に入らないのはHDDアクセスランプがないこと。
PCをいじって起動して、本当に正常に立ち上がるのか、あるいはある処理をしていて、これ、本当に動いている?と言う不安の瞬間を幾度も潜り抜けて来た身に取ってはこのHDDアクセスランプは嵐の夜の灯台のようなものだ。また、PCが一生懸命働いてくれているということを知って、PCが愛おしく思えるようなことはないだろうか
私は硬派なので、ネジ上等!なのだ
最近のケースはユーザビリティが向上して、ネジを省く傾向がある。私の視点からは、開け閉めがやりやすくなった半面、確実性が減殺されるようで落ち着かない。何度も開け閉めしてジュラコンキャッチがバカになってしまわないか? と言う心配をするくらいならばネジで良い、ネジで。今回買ったケースの付属品にも、そのジュラコンキャッチの予備が同梱されているのが不安を煽る
HDDを3台で運用している硬派である私の構成にぴったりだったのもこれを選択した要因の一つ。
ケース選択のところで出て来た。古式ゆかしくハードなディスクを、それも3台も使っている俺は、これぞ硬派だと言いたいようだ
私は硬派なのでごてごてと無駄な曲線、角、光り物、ロゴで飾られたケースは好きではない。
ケースのデザインについての言辞。1980年代のPC/ATの草創期のケースは、それこそ私の目から見てもダサかった。それから比べると、最近のケースはいろいろなバリエーションが出て来て良いことだとは思うが、その中には機能と関係のない飾りや意味のないデザインに思えるものが多く、自分が愛着を持って長く使えるものとは思えないようなものもある。これは硬軟関係なく個人の好み・センスによるものかも知れない
実は硬派の私には手持ちの電子工作の部品でできてしまったのではないか疑惑がある
この言辞の裏には、「いや、俺はちょっとした電子工作はできんだかんね」と言ういやらしい自慢が覗いて見える。さらに、そう言っておいて、「疑惑がある」と言う言い方で自信の無さをぼかそうという意図が見える
硬派の私はM.2 SSD等というものは持ってねえんだ。
私は硬派なので、この3台の文字通り硬派円盤駆動装置(Hard Disk Drive)をあの手この手で組み付けなければならない
この2つの言辞は組み立て段階で吐かれた言葉。硬派はHDDだ、と。M.2 SSDは軟弱者の使うものだと。なお、2.5in. SATA SSDは良いらしい。この裏には、今のところストレージに異常がなく、さしあたって新しいパーツを導入することができないためのやっかみの臭いがある。そのうちストレージの劣化・故障に伴う交換と言う段になって、しれっとM.2 SSD等を導入しているという図が目に浮かぶ
これまでの言辞をまとめると、ゲームをしたり、中身を光らせたりするのは邪道、即ち軟派である。記憶装置はすべからくHDD、百歩譲って2.5in. SATA SSDでなければならない。ケースは白色系統、ネジ止め式でなければ安心できない。HDDアクセスランプは必須、必要であれば自作も辞さず。「硬派」ではないが、「10年前と違い、現在は簡易水冷が市民権を得ているようだが、私のようなロートル(死語か?)には敷居が高いので、空冷しかない。」と自分が時代遅れの人間であることは意識しているようなので、結局は変化を受け入れず、旧態を踏襲したいだけの人間と言うことだろう。だからと言って新しいものが嫌だと言っているのではなく、PCの仕様検討にあたって、いろいろ新しいものに触れ、ほう、面白そうだの、と思いつつ見ていたことは確かだ。結局、自分のやりたいことに照らして、本当に必要なものは何かをコスト面も含めて厳しく(諸説あり)絞り込んでいったところ、クラシカルな構成に落ち着いた、と言うところだろう。それをことさら「硬派」と言っているだけのことだ
2023/09/17
んねぞう