Oさん
昨年末に、会社で大変お世話になった方の奥様から、その方が昨年6月に亡くなったとの知らせが届いた。
その方を仮にOさんと呼ばせて頂く。
20世紀末、私が会社のある事業部の課長としてエンジニアリング関係のIT行政を任されていた時、私はこれから会社がグローバルに競争、そしてコラボレートして行くためにはグローバルスタンダード、或いはデファクトスタンダードに基く社内システムの変革が必要であるということを唱えていた。その時、別の事業部でIT関連の部長を務めておられたOさんが我々の事業部に移って来られて、新しい風を吹き込んで下さった。その下で、私はその方と初めてのアメリカ出張に行き、アメリカ人と議論をし、アメリカ人と一緒に御飯を食べ、休日にはいろいろなところに連れて行って頂き、アメリカの文化、アメリカ人の気質、ビジネスの要諦等を教えて下さった。初めてのアメリカであちこち車を運転させられて、まあ良く事故も起こさずに帰って来れたものだと思う。忘れもしない、アトランタオリンピック前年の1995年のことだ。Oさんは若い頃にアメリカに駐在していろいろな経験と実績を積んでいて、人間的にも日本人、アメリカ人の区別なく通じ合える才能を持った方だった。このような方との出張、仕事を通じて自分のやるべきことがOさんのお蔭でまるで車のハイビームで照らされているように、やることは間違っていないという確信が持て、よし、あとはやるだけだという気持ちにさせられたものだ。この経験が元になって、アメリカに限らず、その後の中東、アジア、ヨーロッパ、インド等様々な国とのビジネスの座標軸はこのOさんの薫陶による。
出来の良い弟子ではなかったが、自己、或いは自国を相対化して眺めることを覚えた。日本の常識は世界の非常識というのは言い過ぎだが、日本人として無意識に行っている動作が、ひょっとして外国人には色々な意味で「!?」ということになっていないか。これは、私が外国に行って違った風習、仕草、景色などで面白いなと思うことの裏返しでもあるが、とにかくよくわからない人間のいる日本に来て、色々戸惑うことに対して、外国人の視点から、何に困りそうだということが見える。現在外国人の部下がおり、仕事上は優秀なので何の手助けもいらないが、その他の仕事の進め方、また生活の面で助けてあげられていればうれしい。
話が逸れたが、こんなことになるのだったら、生前無理をしてでも九州のご自宅にお邪魔し、教えを乞い、また酒を飲みながら馬鹿話でもしておくのだったと悔やまれる。
ご冥福を心からお祈り致します
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2018/01/08
んねぞう