Posts Tagged ‘Prairie Home Companion’

A Prairie Home Companion とアメリカ

今日、久しぶりにA Prairie Home Companionを見た。と言ってもGarrison Keillorのスキャンダルで既にMinnesota Public Radioのチャンネルからは消されているのだが、Youtubeに彼自身がアップロードしているビデオがあった。見たのは、2016年5月28日(土)夜のものだ。いつものTimoshingo Bluesで始まらず、彼がひとりで歌いながらステージから客先に降りて来て、聴衆も巻き込んでいくつかの歌を歌う。私も知っているロンドンデリーの歌なども入っていた。と、米国歌が始まり、それまでざわざわしていた聴衆が一斉に立ち上がった。これは何かあるなと思って調べてみたら、その年のMemorial Dayは5月30日(毎年5月の最終月曜日と決まっているようだ)ということで、それで特別にやっているようだった。

それがきっかけで、久しぶりに最後まで見ていたが、その4年後、即ち今のアメリカの社会のありようと比べ合わせて、その時にも失われる惧れのあった、そして既に失われてしまった、何かを色濃く感じた。

アメリカ中西部の移民の敬虔なルター派の教義に基づいた堅実、質素な生活のバックボーンから来る、抑制の利いたKeillorの語り口、配曲で、落ち着いた、そして古き良きアメリカを思わせる番組だ。また聴衆もこれに惹かれて集まってくるので、当然かも知れないのだが、その反応、一体感が酷く好ましく、懐かしく感じられるものだった。何というか、ある意味今よりも成熟を感じさせる番組で、控えめで、そして相手を尊重し、自分さえ良ければ良いと言う偏狭さのない、居心地の良い光景がそこにあった。

翻って今のアメリカのありようを外から見る限り、あの一流の民主主義の大国は一体どこに行ってしまったのだろうかと目をこする思いだ。貧すれば鈍す、アメリカも中国の追い上げに余裕を失って、なりふり構わぬ手を使い始めて来たということだろうか。”America First”を声高に叫ぶ大統領の元、熱狂的に騒ぐ支持者を見るにつけ、他所の国のことながら不安に駆られる。これはアメリカ一国ではなく、世界に伝播するからだ。というか、他の国が声高に自分の主張をゴリ押ししているのを、アメリカは、みっともないからやめておけと嗜める立場だったのが、遂に自分もそうなってしまった、と言うように見える。あの時、節度を守って楽しんでいた人たちは、今どうしているのだろうか。

話が変な方に行ってしまった。今日はこの辺で

2020/12/13
んねぞう

13

12 2020

今宵、フィッツジェラルド劇場で

2007年に 「今宵、フィッツジェラルド劇場で」と言う映画が日本で上映された。”A Prairie home companion”という、米国での人気ラジオショーに題材を取った映画で、私も長年聴いていた。私は映画は興味はなく全くと言って良い程見ない。しかし、この映画だけは機会があれば見に行きたいと思っていたが、時期を逸して現在に至る。 この間思い出して検索して見たら、レンタル落ちのDVDがあったので買って見ている。 Robert Altmanと言う監督の作品で、遺作となったものだという。それはともかくとして、この映画の内容が、実際のラジオ番組を聞いていた身として全く違和感のない、ストーリーに身を任せられるものだった。アメリカの映画とかアニメにありそうなテンポの良さと、しかししっとりとした画面と進行の雰囲気に魅了される。キャストに実際のラジオ番組の出演者も入っており、例えば既に亡くなってしまったSound effects manのTom Keithも実際にSound effectsで出演しているし、声でしか聴いたことのなかった Meryl Streep の演技も見ることができた。私はこの人は歌手だと思っていたが、大女優だったんだ。

この映画が日本で公開されてから12年経ち、世界は大分変わった。この番組の創始者で脚本家で、ホストである Garrison Keillor が2016年に若いマンドリン奏者に番組を引き継いで引退した。その後番組のテイストが変わったので、私はこの番組を聴かなくなったが、後で知ったが翌年セクハラのスキャンダルで、放映した放送会社とも関係を断絶されたとのことだ。映画の中で、出演者の中の4人姉妹の一人が低血糖で気分がおかしくなり、たった59セントのドーナツ代を払い忘れて逮捕された下りが出て来る。 Keillor 自身のスキャンダルでも双方に言い分はあるのだろうが、 Keillor 自身は相手を励ますためにたまたま手が触れた、と言うことを言っているようだ。この場面が符合して、何となく複雑な気分になる。

この映画のラストシーンで、放送局と劇場はテキサスの実業家に売却され、拠点を失った主要メンバが数年後にまた劇場前の小さなレストランで再起の相談をしている所に「天使」が現れ、メンバが微妙な表情をしているのが、この映画の後味をミステリアスなものにしている。この物語の軸はいくつも絡み合っていて、いちいち挙げてもきりがないが、一つ挙げるとすると”死”があると思う。本物のラジオ番組では出てこない「天使」が、「神の導きによって天に召しに」地上に降り立ち、出演者の一人の老人「チャック」を天国に送り出す。その死を発見した愛人に対して、「旅立っただけ」「老人の死は悲劇じゃない」「彼の欠点を許し、愛と優しさに感謝するのよ」と言わせている。監督はこの年2006年11月に亡くなっている。アルトマン監督は自分の死期を悟っていたのではないか、と言うような忖度もしたくなってくる。このDVDには、おまけとして監督とGuy Noir役の Kevin Kline の対談によるオーディオ解説が入っているが、最後のシーンで天使がGarrison、Guyを含む4人の元に現れた時、 Kline はGuyを迎えに来たのだと語り、監督はそうだ、そしてこれはGuyの夢の中の物語だった、Guyは夢から覚めてまた仕事に出かけるのだと述べているが、私はこの見方には与しない。そうだとすると予定調和的な結末となり、物語の奥行きが狭くなる。監督がそのように意図していたとは思わない。あの場面で4人に、しっかり天使が見えていたかどうか、私はGarrisonの視線が定まっていないことが気になる。 Garrisonが最初に気配に気が付いてそれが何かを見極めようとしている。召されに来た本人には、天使の姿が見えないのではないか。何故そう思うかと言うと、天使が前述の「チャック」が舞台袖で出番を待っている時に彼の肩に手を置いた時、本人はそれに気づいていない。ただし、その後、少し体調が悪そうな仕草をして舞台を務めて自分の控室に戻り、蝋燭を点け、レコードを回してベッドに横たわるという場面を見て、老人は何とはなく自分の死期を悟ったのではないかと思うからだ。私にはGarrisonを迎えに来たように思える。 従って、Garrison、そしてチャックが監督自分自身なのだと。

この映画の基調は、中西部の人達のメンタリティーにあると思う。これを伺わせるセリフが耳に残っている(済みません、見栄を張りました、字幕が目に残っている、です)ので、転載する

中西部の者達は災いは無視すれば消えると考えている
(Guy Noir)

我々は暗い大地の暗い人間なのです
事態は悪くなると信じ、悪くなるのを待ってる (*)
人生は苦闘だと教えられて育ちました
幸せになったら、不幸になるまで耐えるのです
中西部の人間は自分の終わりを悠々として受け入れる傾向がある
(以上Garrison)

アメリカ西海岸風の考え方と何と違うことか。因みに、(*)のフレーズに通ずるものがMurphyの法則にもある。

Things go right so they can go wrong.

最後に、私は最近写真教室に通って、構図と言うものを学び始めたところなので、映像の作り方のうまさに感心する。例えば、楽屋の中で、鏡を多用して、登場人物を一つのフレームでいくつものアングルから見せる手法、天使の背景にあった天井の照明器具を天使の輪のように重ねて見せて、天使が去ると同時に電球が切れるような演出。一つのシーンで前景と背景で別々の事象が同時進行している様等。一度見ただけでは気づかないことが多い。

P.S.
10年前の投稿で、「 Tim Russell, Sue Scott, Tom Keith, Fred Newmanの役が入っていないのは寂しい。 」と書いた。このDVDを見て 、Fred Newman以外は出演しているのを見て安心した。

2019/07/20
んねぞう

Prairie Home Companion とパンケーキ

本当のパンケーキ

昨日OlympusのパンケーキレンズとA Prairie Home Companion(APHC)のことを書いたが、APHCのHPには現在スポンサーとしてパンケーキミックスのメーカが広告を出している。特に意味はないが、この両者を繋げようとして見る。

んねぞう

2009/11/08

08

11 2009

Prairie Home Comanion — Garrison Keillorの書斎

2週間振りに出張から戻り、家で仕事をしながらPrairie Home CompanionのHPを開いて、何の気なしにFriday Night Previewのビデオクリップを開いたら、Garrison Keillorが自宅の裏庭から何かを話していた。
小高い丘の上にあって、所々雪が固まっている町並みを通してミシシッピ川の流れる谷が直ぐそこに見え、裏庭から家の中に入るとダイニングルーム(ここは大きくて普段は使わないんだけどね)、そこを抜けてドアを開けるとそこはKeillorの書斎だった。立派な家だけど室内の作りはやはり質素で、彼の言動にふさわしい感じがした。窓から斜めに差し込む冬の日差しが柔らかかった。
3/21はバッハの誕生日、何か特別な事をするらしい。これは聞き捨てならない。
あと、書斎に置いてあったノートパソコンはアップルだった。以前彼は東芝を使っていると言っていたが、替えたようだ。

2009/03/13
んねぞう

13

03 2009

Prairie Home Companionにヨーヨー マが出る!

明日(米国時間では今夜)のPrairie Home Companionにヨーヨー マが出演するらしい。
これは聴き逃せない。

2008/12/13
んねぞう

13

12 2008

今宵、フィッツジェラルド劇場で

いよいよ日本でもA Prairie Home Companionを題材にした映画の上映が始まったようだ。
映画だから実際の番組に対して脚色されても文句は言えないが、The Lives of The Cowboys の Dusty と Leftyが入って、Tim Russell, Sue Scott, Tom Keith, Fred Newmanの役が入っていないのは寂しい。
いずれにしろ、終演になるまでには一度見に行きたいものだ。

このHPのバックのテーマで流れている TISHOMINGO BLUES のバージョンは今使われている一つ前のもので、あたしにとってはこの方が好きだ。

また、Garrison KeillorのSurnameは「きーらー」と読むのだと知った。今まで「かいらー」が正しそうだと思っていた。

んねぞう
2007/03/05

05

03 2007

A Prairie Home Companion Video

A Pririe Home Companionのウェブサイトで売り出されているDVDが欲しいのだが、多分北米のリージョンコードだろうから見られないので、国内発売されないかと待っている。最近この映画を監督したロバート・アルトマンという監督が亡くなり、これが遺作となったようだが、これをきっかけに少しウェブで捜したところ、来年の春に「今宵、フィッツジェラルド劇場で」と言う邦題で公開されるとのこと。映画を見に行っても良いし、そのうちDVDも販売されないかと楽しみにしている。

んねぞう
2006/11/25

25

11 2006

Prairie Home Companionその3

今回の米国大統領選挙は二人の候補が拮抗しているようだが、前回日曜(米国では土曜)の放送ではブッシュ氏をこきおろして会場の喝采を浴びていた。ミネソタというのはそういう土地柄なんだと思っていたら、やっぱり今回の結果を見るとケリー候補が勝っていた。

んねぞう

05

11 2004

Prairie Home Companionその2

前回書いた、ラジオのプログラムだが、ラジオとWebのメディアミックスが徹底していて、リスナーからのフィードバックは当然のこと、過去の放送分の進行表、脚本、あまつさえストリーミングで聴けるようにさえなっている。各回の収録時の写真もスライドショーで見られるようになっている。
先週日曜(米国では土曜夜)放送分も火曜日にはちゃんと載っていた。
Garrison Keillerの顔も見たが、ちょっと声から持っていたイメージと違っていた。
ウィットとユーモアのあるトークが音声と文字の両方で提供されるとは、あたしにとって宝の山でごんす。
早速waveに変換して、CDに焼き、車でいつでも聴けるようにした。
んねぞう

03

11 2004

Plairie Home Companion

毎週日曜日の日本時間の16:00からラジオの810kHzのAFNで流れているプログラムを聴いている。ラジオの公開録音ぽい雰囲気で、内容もバラエティに富んでいて、観客との雰囲気も良い感じ。訳がわからないなりに、惹かれて聴いている。日頃から気になっていたこの番組をWebで探してみたら、”Plairie Home Companion”という番組で、独特の語り口のホストはどうやらGarrison Keillorと言う人らしい。Minnesotaから発信されているようだ。この人の語りを中心に、カントリーミュージック、寸劇等が進行して、いまはやりの言葉で言うと「上質(語尾上げ)」の笑いがあるような気がする。
と言っても内容がさっぱり分からない。このような洗練された語りを聴いて笑えるようになれればなあ、と思う。
ちなみにこの番組のHPは http://prairiehome.publicradio.org/
そして、Garrison Keillorについては下記があった。
http://www.mindspring.com/~celestia/keillor/

余談だが、AFNを聴いていて、良く「Eagerly ten」と言うコールをするのが聴かれる。今までこれが”Eagerly Ten”と聴いていて、何だ?と思っていた。今回の一件でAFNのHP(http://www.yokota.af.mil/afn/radio.htm)を見たら、どうも”Eagle eight ten”のことでは?と思うようになった。

んねぞう

31

10 2004