Posts Tagged ‘古典音楽’

J. S. Bach BWV248 Weihnachtsoratorium

今、バッハのクリスマスオラトリオを聴きつつこのアーティクルを書いている。
普段、この曲は特別なものとして、クリスマスに限って聴くものという意識があるので、本当のクリスマスになってもその意識が抜けず、今日も、おっとそうだ、今日はあの曲を聴く日だ、と危うく聴かずに過ぎて行きそうなのであった。
下はそのCDのジャケット。テノールがベーター・シュライヤー、バスがテオ・アダム、ソロバイオリンがカール・ズスケだ。

以前テレビでヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でゲヴァントハウスの聖トーマス教会での演奏を聴いた(見た)ことがあったが、一度はあのような場所に身を置きたいものだと思う。きっと己の卑小さを思い知り、涙ながらに多少はましな人間になろうと思うだろう。

<2005/12/25> んねぞう

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25

12 2005

山田耕筰の交響曲

今朝何気なくラジオを聴いていたらどうもロマン派らしき交響曲が聞こえて来た。シューマン?シューベルト?と思いつつ聞いていたら、山田耕筰の交響曲「かちどきと平和」とのこと。
調べてみると作曲以外にも大きなことを成し遂げた大変な巨人であったと言うことを初めて認識した次第。

んねぞう

13

06 2004

そうだ、

こんど奥さんとコンサート聴きに行こう!

んねぞう

31

12 2003

N響 マスカーニ

女性指揮者の指揮で聴いたN響の演奏はカバレリアルスチカーナ間奏曲。とっても繊細な 演奏で良かった。久しぶりにクラシックを聴いたので、かさかさのあたしの心に 染み透った。N響も弦の響きが良かった。NHKホールは音響が良くないと聞いていたが、 改良されたのか、録音が良いのか、はたまたN響の腕が上がったのか、あたしの聴き 間違いか。 昔夢中になってヴァイオリンを弾いていた頃のことが思い出されて来る。 オーケストラはあの頃のあたしに取って「世界」だった。憧れ、純粋さ、夢、孤独、 感動、ときめき、内省… だけどあたしが一番やりたかったのはバロック。 通奏低音の響きの中に、何故か自分の原風景が見えて来る気持ちがするのだ。 バロックの調べを少しでも再現したかった。今でも、音色だけは誰にも負けなかったと 一人、密やかに自負をしている。奥さんもこれは認めてくれている。

んねぞう

31

12 2003

舞台上の光景

あたしが若かりし頃、N響といえば日本の最高峰のオーケストラと言うことに異論のある 人はいなかったと思う。今はどうなんだろう。 その話はさておき、日本のオーケストラのコンサートでは楽員は当然のことながら日本人 がほとんどで、客席から見ると真っ黒な頭ばかりで、アメリカ、ヨーロッパのオーケスト ラの楽員の掘りの深い顔立ちとバラエティに富んだ頭髪にコンプレックスを持ったものだ った。ところが、若い楽員の中に茶髪発見!って考えて見ると当たり前のことか。 ステージの上だけ時代の流れと無縁である訳がない。 でまたアタシの余計な話ですが、確かに日本人のステージがモノクロームで色彩に欠ける と言いました、言いましたが、生まれついての頭髪でも何でも、人工的に染めてまで色付 けることはないやね。 と、いつの間にか話がオーケストラから思い切り外れてしまいました。

んねぞう

31

12 2003

N響と時代の流れ

今夜仕事で遅くなり、12時過ぎに自宅で酒を飲みながらテレビをつけたら、NHKのBSで 黒田恭一さんが出ていたので見ていたら、N響と外人女性指揮者の番組だった。 ここで驚いたこと、思ったことをこれから何回かに分けて綴ろうと思う。 若き頃クラシック音楽に、憧れと夢を持っていた中年男の感傷、というところか。

んねぞう

27

12 2003