Posts Tagged ‘インド’
東日本大震災
東日本大震災の発生した翌々日から仕事でインドに出張した。あらかじめ予定されていたので、飛行機が飛ぶ限り行かなくてはならなかった。当日成田エクスプレスも運航していたので、予定通り成田空港に着いて出発した。一昨日(4/9)帰国した。
インドでも地震の発生直後から特報で報道し続けており、寄ると触るとその話ばかりだったとのこと。現地のローカルの人も私が出社するなり心配して日本の様子を聞きに集まって来た。それと同時に被災者の人達の秩序立った行動に驚嘆していた。
4週間の出張の間、インターネットでいろいろな情報にすぐにアクセスできて非常に助かったが、被災者の人たちが非常な苦労をしているのを見て、自分は安全な場所にいることを申し訳なく感じていたことは、来なかったから何ができたかと言うことはあるにしろ否定できない。また、直接被害を受けなかった家族にも、余震、停電、ガソリン、水、食品の供給不足、放射能汚染の心配に伴う苦労をさせて申し訳ないと思っている。
これから日本は復興に向けて大変だが、下の写真のように明るい方を見て進んで行きたいと思う。
2011/04/11
んねぞう
11
04 2011
インド人
先週からインドの現地法人のローカルの技術者が出張で来ており、昨日は午後の半日、その人たちと東京を歩いてきた。私も東京は全く詳しくないので、「案内した」と言いたい所だが実態はそうではなく、皆で「おのぼりさん」をして来た。何せ東京タワーに、関東地方に25年以上も住んでいて登ったのは初めてと言う程のものだから。
インドの人たちは妙に自意識の発達した日本人とは違って、ある意味素朴で、いろいろなものに素直に反応してくれるのでこちらも張り合いがある。写真も、撮られるのを喜んで、写真が出来上がってくるのを心から楽しみにしていてくれる。
幸か不幸か昨日は東京は雪降りで、東京タワーからの眺めは視界が効かずに残念だったが、展望台から自分達の親会社のビルが見え、展望台に設置してあるモニタに写っているパノラマの解説画面にもビルの名称が表示されているのを見て喜んでいた。都内で車を降りたときに雪を見たり掬ったりして喜んでいた。
初めての日本ということもあるだろうが、半日を楽しんでもらえたようでこちらも嬉しい。
2011/02/12
んねぞう
12
02 2011
インド出張
先週末に突然インドの出張が決まり、19日の日曜に出発、昨日(12/24)帰国した。
9ヶ月ぶりに乗った飛行機だが馬鹿に寒く、また冬のデリーのホテルの部屋も暖房の設備がないため風邪を引いてしまい、大変な思いをした。
今回泊まったホテルは初めてだったが、なかなか趣のあるホテルだった。
デリーの国際線の空港がリニューアルして初めての出張で、今までのものとは違い、大きく立派になっていた。
今日はとにかく風邪を治すためにおとなしくしていた。
個人的に溜まっている仕事が一杯。とりあえず年賀状は出発前夜までに作って置き、奥さんがチェックしてくれていたので今日投函することができた。また、Murphy’s Law Calendarも一週間の遅延があったが、とにかく今年分は片付けることができた。
出張中に米国Amazonから来年のMurphy’s Law Calendarが到着した。
来年から日本のAmazon.co.jpはあてにしない。
2010/12/25
んねぞう
25
12 2010
インド写真
先月下旬から今月始めにかけて8度目のインド出張に行った。最初にインドに足を踏み入れたのが昨年(2009年)の2月28日だったから、滞在中に丸一周年を迎えたことになる。
出張の際には必ずカメラを携えて、行った先々の風景、文物を撮るようにしてきた。カメラもコンパクトデジカメから一眼レフに変わった。今回もいろいろな写真を撮って来たが、この整理には少し時間がかかると思う。その中で凄く自分の印象に残っている写真があるので、取り敢えず載せたい。
これは自分の泊まっているホテルの周辺を歩いているときに、空き地で遊んでいた兄妹がいたので撮ったもの、言葉は分からないが「撮って」と言う感じだったので撮って上げた。少し離れた所にいるお姉さん風の人も見ていた。たまたま広角レンズを付けていたので、二人にずっと寄らなければならなかったため、お兄ちゃんの方は目をそらしてしまったが、この二人の関係が何か懐かしい物を感じ、また女の子の雰囲気が妙に心に残る写真だ。
[photodata output_string=’
‘]
2010/03/06
んねぞう
06
03 2010
木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン並びにインドの写真
先週東京都写真美術館で開催されていた写真展に行って来た。
印象に残ったのは、1950年代~1960年代のフランスと日本を撮った写真。
1950年代には私が生まれ、60年代は幼年期に相当するので、自分の幼年期の光景と重なり合う部分があり、そう言う意味で他の写真とは違った向き合い方になる。日本の光景については、自分が経験したことのないこと、行ったことのない場所、見たことのないものを写した写真を見て珍しいとか、新しい物の見方に気付いたとかと言うことではなく、自分の経験とそれまでの思いが貼り付いた窓のような物を通すことにより、別の感慨を覚える。それに対して、同時代のフランスを写した木村木村伊兵衛やブレッソンの写真は、当然行ったことも経験したこともないものを写した写真なので、そのような感慨を覚えることもない。
同じ日に別の若手写真家6人の写真展があり、そちらも覗いてみたが、一人、インドの都市の一連の写真を出展している人がいた。見ていて思ったのは、撮る写真に、何となくやはり日本人らしいウエットな視点が含まれていること。少なくとも私はそう考えた。多分同じ場所でもインドで生まれ育った人と日本人が出かけて行って撮る写真には違いがあり、インド人の写真家が撮ったとしたらこのような絵にはならないだろう。これは良い悪いを言っているのではない。映っているのが人だとして、その人が何を思っているのかは本人以外分からないのだから、周りがどう忖度するかは勝手であり、そこからイマジネーションが湧いてくる訳だから。
だけど、本当はこの人(インドの市井の人達)はどのようなことを考えて生きているのだろうと言う疑問は、異文化からやって来た日本人だからこそ強いものがあり、それが日本人のメンタリティとの間に遠近感を伴って写真にも投影されるような気がする。
ここまで書いていて、自分がインドで生活してきて思っていること、写真について、考えが少し整理できたような気がする。
2010/02/13
んねぞう
13
02 2010
印度アイテム
デリーのスーパーで買い求めたご当地食品。
左はチキンカレーマサラ、日本のカレールーのようなお手軽カレーの素と言いましょうか。右はテーブルマサラ。食卓塩のように、ご家庭に必ず一つ、何か今ひとつ味付けが物足りないときにこれを一振り、あ~ら不思議何でもインド人好みのカレー味に様変わり!(かな)
中央はピクルス。印度で出るこの手のピクルスは非常に辛い。刺激を求める輩は是非試して欲しい。
次はかの日清食品が発売しているマサラカップヌードル!
次はNestleが追従しているマサラカップヌードル!
食べてみるとどちらも日本のカレーヌードルの味だが、食べた後の汗の出方が違う。微妙な味の違いはスパイスの配合がやはり違うためと見た。また、日本のカップヌードルと違い、麺がお湯を全て吸ってしまってスープがない。
最後は再び日清食品のインスタントラーメン!