Posts Tagged ‘澪’

澪27号完成

澪27号が予定通り完成した

今号に限り私がブックデザインを担当させて頂いた

印刷・出版のいの字も知らない私が、同人の大切な原稿を無事に、本と言う形で世の中に出すことができるのか、非常に不安だったが、自分の工夫も盛り込めて、結果的には、まずまずの出来かなと思う。勿論、これは私一人の力ではなく、編集長のアイディア、助言や励まし、そして印刷所の方のご協力があってこそである。個人的には反省点もあり、もし次回も担当できるのならば修正したい点もあり、同人の皆様の評価も気になるところだ

来る合評会ではどのようになるか、今はそういう心配の先取りはしないようにしたいと思って過ごしている

2026/03/23
んねぞう

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澪27号のフォトエッセー

私の属している文芸同人誌「澪」に毎号にフォトエッセーを寄稿させて頂いている

次号(27号 – 3月発売予定)では、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの作品の一つ「ダブリナーズ」の中の短編「小さな雲」の舞台となった、ダブリン市内を歩いたときのことを書かせて頂いた

アイルランドは人口は数百万人、面積は北海道より少し小さい程度の国だが、イェイツ、ショー、ベケットと 、ノーベル文学賞受賞者を輩出している国であることを、恥ずかしながらアイルランドを訪れる直前になって知った

ダブリン市内に立つジョイス像

2026/02/18
んねぞう

澪26号 合評会

私の属している文芸同人誌「澪」の第26号が発行されたのを受け、先日横浜市内で合評会が開催された

前回、私は「異界」と称してホラーSFフォトストーリーを発表させて頂いたが、今回は、前々回までの流れのインド物に戻した。これまではデリー市内をうろうろしている時のフォトストーリーだったが、今回はデリーを出て、ヒンズー教の聖地の一つであるMathura(マトゥラ)に向かう途中で見た人々の事を書かせて頂いた

主にチャーターした車の車窓からの風景を元に構成したが、様々な階層の人々が写っているのを見て、同人諸氏からは、インドの階層と言えばカースト、それにまつわる、もう少し突っ込んだ話があれば良かったとのご指摘を受けた。インド社会でも現実にデリケートな問題でもあるので、私が体当たりで実相に迫る等と言うことは到底できないにしろ、経験から自分なりの見方と言うものを纏めておいた方が良かったかな、と思った

写真的にも、読者は現地ルポルタージュ/ドキュメンタリーとしてのテイストを期待しているので、周囲の状況が分かるようにもっと(カメラの絞りを)絞り込んて背景もくっきりと写すべきと言う指摘を頂いた

今回特筆すべきは、編集長の先生が講師をされているエッセー教室の生徒さんが特別に来られて、小説の原稿を拝読し合評したこと。20歳の若い人だが、20歳時代の私にこのような小説を書けと言われても(今でもそうだが)、逆立ちしてもできない作品であった。ストーリー、文章の確かさ、会話のテンポ、どれをとっても素晴らしいし、20歳の若者にしか書けない、ストレートで、読後感の爽やかさが強く印象に残る作品だった

2025/10/13
んねぞう

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澪25号 合評会

 去る4月29日(昭和の日)に、横浜市内某所で文芸同人誌 「澪」 25号の合評会が開催された。編集長以下同人3人の計4人で、真摯な議論が交わされた

 今号の私の作品「異界」は、澪史上初(だと思う)のホラーSFフォトストーリーだが、さすがに同人諸氏の的確な読み取り方に敬服した。特に、SFとしての構成、視点についてなるほど、そうかと言う指摘、示唆も頂き、ありがたくも「これからも読みたい」と言う声も頂いたのに対して、もう私はこれ一発で、もう書けませんから、と思っていたのが、では、折を見てまた書いてみるかと言う気持ちになったのは自分でも意外だった。ただし、編集長の先生から、あなたの写真の持っているリリシズムは、失って欲しくはないですとのお言葉もあり、拝承

 私の作品以外にも、他の同人諸氏の間で私とは比べ物にならない高いレベルの指摘、アドバイスなどが行き交い、溜息をつきながら家路についた次第。ただし、眉間に皺を寄せて文学論をブつ、等とは程遠い、非常にアットホームな雰囲気なので、今回止むを得ず欠席された同人にも、次回からはぜひ参加してもらいたいと思う。私がしっかり底辺を堅めているので、その点で心配することはないです、と言いたい

参考までに、私が初めて合評会に出席した時の記事のリンクをこちらに置きます

20245/04/29
んねぞう

写真の成立性

今般、私が同人として所属する文芸同人誌「澪」の25号(2025年3月発売)に、ホラーSFフォトストーリーと銘打って、写真と文章をミックスした作品を投稿した。これは、ホラーSFとしてのテイストを出すために、白黒写真を、疑似的なソラリゼーション技法を使って階調を弄って作成した写真を何枚か使っている。私が所属している写真倶楽部の先生(「澪」の編集長と同一の方)から、ソラリゼーションと言う技法があるとお聞きしたことから思いついたものだ

この写真を、写真倶楽部の他のメンバにも、刺激を与える意味で、合評会で提出して見るようにと言われたので、何枚かをセレクトして、合評会に臨んだ。その場で私は、これらの写真は、やはり文章との対でないと、そのメッセージ性を失い、写真単体では成立しない、と言うことを強く感じた。一枚一枚の写真を前にして、貴方は何を感じて、何を撮って、何を言いたいのですかと聞かれたとすると、この写真だけを見た人に、自分でも説明できる気がしなかった

その次の回に、今度は、写真単体としての作品としてソラリゼーションを施したものを提出したが、この時は、私も、この写真の意図について自分なりに説明をすることができた。もちろん、この手の写真は万人に受け入れられるものではないにしろ、見て下さったメンバには、まあ、一応写真だよね、と言う受け止め方はして頂けたと思っている

ソラリゼーションを施したかどうかは別として、フォトエッセーの一部として使った写真を、単独写真として見た時の成立性(の欠落)が私にも明確に分かり、なるほどな、と言う気づきだった

2025/04/20
んねぞう

澪 25号 脱稿 – ホラーSFフォトストーリー

昨日、澪25号向けの原稿を編集担当の方へ提出した

私は、これまで、インド滞在中や津軽を旅した時のフォトエッセイを掲載させて頂いて来たが、今回は、編集長の先生より啓発を受け、ホラーSFフォトストーリーを作った。英語で書くと

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です

ある理論物理学者が時空の齟齬を見つけて、実際にその場所に入り込んだ時に起こった物語だ。物語の建付けもかなり実験的だと思う

どうですか。怖くないですか。読みたくならないですか

そうですか…

2025/01/31
んねぞう

文芸同人誌「澪」23号 – もう書くことがない

私の所属している文芸同人誌「澪」の第23号が3月に刊行され、昨日同人による合評会が開催された

前号(22号)の私のフォトエッセイに対して、同人から一様に受けた指摘は、写真を撮ったその場で、自分が何を考え、何を思ったのかを前面に出した方が良いというものだったので、今号はそのようにしてみた。その結果、合評会の席では、自分を「偽善者」と規定してしまっていること、特に最後の頁ではこの言葉が3回も使われていることなどから、なぜ自分を偽善者と規定したか、と言う点に議論が集中した。自分なりに、本当に考えたことをそのまま文章にして、書ききったことに対して、同人には真摯に読んで頂き、議論して頂いた

— それはそうとして —

自分がどう考えたか、と言うことについて、考えていることを突き詰めて書いた。フォトエッセーとして、インドだろうが津軽だろうがどこで何を撮って書いても、結局は23号に書いてあることがすべてなので、もうこれ以上書くことがない

次の原稿をどうしよう

2024/04/30
んねぞう

30

04 2024

澪22号が出来上がった

私の所属する文芸同人誌「澪」の同人誌第22号が出来上がり、送られてきた。15号からの加入なので、これで8回目になる

私の作品はフォトエッセーと言う触れ込みなので、写真と文章のハイブリッドな構成により、表現の相乗効果を狙うべきところである

写真については、他の号とは違い、何故か階調が良く表現されているが、逆に私の意図した、暗部がどすんと落ちたインパクトのあるイメージではなくなってしまった。出来上がりをイメージして入稿の際に調整したのが、これまでの経験が作用して、かえって自分の意図をスポイルしてしまっているかも知れない。これは振り子のような揺り戻し効果のため、収束するのにもう少し時間が必要なのかも知れない。と言うか、お前は「澪」15号以来何回揺れているのだ、と言う突っ込みは必至だが

文章についても他の同人諸氏と比べて突き詰め方が浅く、何だかなあ、と言う感じである。ページ構成の都合で、一ページに写真を張り付け、そのページ内で叙述を完結させるという制約の中だとどうしても書ききれない内容が出てしまう。これは言い訳だ。ちゃんとした物書きは限られた字数でも余すことなくその思想を展開することができるだろうから

毎回、妻と子供達にこの「澪」を「ココロノカテ(心の糧)」としてプレゼントしている。日頃から接している、楽しいもの、新しいもの、光り輝くもの、前向きなものからいったん目を背けて、ひっそりと息づくもの、自己主張がなく、打算のないもの、それこそが尊いもの、それが世界、人生を形作るものである(或いはそうあってほしい)と言うところに思いを馳せてもらいたいという願いからだ

皆私の作品の理解者なのだが、娘から、「もうインド物は飽きた」と言う爆弾発言があった。インド物はこれで4回目になるが、一旦箸休め的に別なものにした方が良いと言うのだ。親父は娘の言葉を無碍にもできず、多分この先数か月、どうしようか悩むことになるだろう

上の写真は私の今回の作品の写真の一部である。女性の写真を敢えて選んで掲載したところに、澪の販売部数の増加を意識した下心が潜んでいる

2023/10/27
んねぞう

文芸同人誌「澪」のblog

私の所属している文芸同人誌「澪」は、旧来からHPを運用している。今回、よりカジュアルな情報発信、読者との交流の場として新たにblogを設置することとし、私がその担当者に抜擢された。

母港であるHPは、澪の理念に始まる各種情報の集約地点とすることは従来から変わらず、その出城であるblogは、気軽な同人の情報発信、読者との交流の場としてできるだけ多くの人たちに「澪」に興味を持って貰いたいとの狙いである。そのため、情報はHPとの重複は極力避け、Look & Feelも軽くシンプルにした(というか私にはそれしかできないが)

HP、blogとも贔屓にして頂きたいと思う

2022/11/12
んねぞう

澪 対面合評会

9月に私の所属する文芸同人誌「澪」第20号が発刊された。

これに伴い、11月に有志による対面合評会が開催された。以下にその場で頂いた指摘、アドバイスを、今後のための覚書として記しておく。因みに私は今回からインド滞在中に出会った人々を題材に”People I met in India”というシリーズのフォトエッセーを始めた。

  • 写真と文体の調和あるいはコントラストについて

前回までの津軽のフォトエッセーについては、割合尖った文章だったのに今回は文章のタッチががらりと変わったとのご指摘を頂いた。これは、同じ母語/文化を共有する日本の中での津軽という地域の文化の差異という視点から考察して来た中で、はある程度踏み込んだ考察、描写が許されて来た。インドについては、生まれてからのこのような基盤がなく、出張で足繁く通い、それなりに滞在期間は長かったものの基本的には私はインドの表層を撫ぜたTarvellorに過ぎない訳で、津軽のような私なりの理解ができていない状態では、勢い記述が物足りないものになりがちだったからだ。それを踏まえたうえで、改めて調べたり、自分の想像を加えた上で、踏み込んだ記述にして行きたいと思う。

  • この写真でなぜ彼等・彼女等が中間層の子女であることがわかるのか、なぜこの場所にそうでない層の若者が来ないのか、この説明があればもっと厚みが出た

これはご指摘いただくまで全く思いの至らなかった点だった。これまでのインドでの生活の中で、無意識に、その場所と、そこにいる人たちのいでたち、雰囲気、態度等に対するフィルターがかかっていて、読者がどう思って読むかという点からの考慮が欠落していた点であり、ご指摘頂き、目が覚める思いだった。さらに、これらの理由について、私はこう想像するということでも良いから書けば良いということも、貴重なアドバイスだった。

  • 今後インドのフォトエッセーにおいて、中間層の姿はなく、専ら路地裏の人達が登場することになるという私の説明だったが、それではなぜ私が(有名な観光地とかではなく)路地裏を好んで取り上げようとするのかについて触れたほうが良い

確かに、これは私の今後のフォトエッセー、というかこれまでの全体の私の態度の核心をなす部分であると思う。
次回、この点に漏れがないよう、ここに書き留めておく。

その他ページレイアウト(写真と文章の間隔、段落の最初の行のインデント)で、本として仕上げるための作法についても示唆を頂いた

2022/11/03
んねぞう