写真のアスペクト比について

昨日の写真教室で、今月の写真展(コロナウィルスの影響で中止になるかも知れないが)に出展する写真について、講師の先生から指示があった。 写真展の全体の統一性を考慮し 、サイズは四つ切指定。したがって、私はこれまで1:1.4のアスペクト比で撮影していたものを、今後は1:1.2のアスペクト比での撮影となる。今日もお寺を何軒か回って撮影したが、どうしても撮るときはファインダー全体(1:1.5)で構図を設定しているので、帰ってトリミングするときに戸惑うことが多い。歳をとってくると変化に対応するのに時間がかかるので、これは時間をかけて慣れて行くしかない。

それよりも困るのは、四つ切のプリンタ用紙が店頭ではなかなか手に入らないことだ。白黒用のプリント用紙に至っては、50枚で4,000円以上する。私にはとても手が出ない。

しかし、良い点もある。以前のアーティクルで書いたように、これまで私が常用して来たA4と比較して約24%も面積が広い。これで多少写真の訴えの量も増えるかも、という期待ができる。わかっています、良い写真はプリントの大小に関係ない、ということは。しかし私はそれすらも動員しないといけないレベルですんで、はぃ…(居直り)

2020/03/21
んねぞう

22

03 2020

長屋門写真集

私の属している写真教室の先生の制作された写真集がWebで公開された。私はそのレイアウト、というかBlogの設定作業をさせていただいた。「長屋門の四季」というタイトルにしたので、春夏秋冬のカテゴリーでアクセスできるようにしたいと思って悪戦苦闘し、何とか形にしたが、一部どうしてもスマートに行かず、画面がダサい部分があって、これが悔やまれる。これは偏に私の責任である。

しかし、これ以外は非常に内容の濃い写真集なので、是非見て頂きたいと思う。

長屋門の四季

2020/02/28
んねぞう

津軽旅行記

真冬の2月に、何回目かの津軽に出かけた。今年は現地の雪が少なくやきもきしていたが、1週間前になって雪が積もり始めてくれた。

今回の旅の目的は3つ

  1. 写真家 小島一郎の幻影を追うこと
  2. 五能線沿線の海岸を1か所で良いから歩くこと
  3. 津軽三味線の始祖 仁太坊の生まれた場所を訪れること

写真家 小島一郎の幻影を追う

津軽を代表する写真家 小島一郎の足跡を辿って、車力、十三湊を歩き、津軽の冬の景色を撮る。昨年初めて小島一郎の写真集を見て、津軽の感じ方に間違いはなかったように思っている。小島の写真の特徴は、雲、そして雪の描写にあると思う。雲は覆い焼きの技法によって劇的な表情を見せ、雪は、束の間顔を見せた陽光によって、橇跡が硬くなって鈍く光を反射している描写が私には強く印象に残った。また、吹雪の中、角巻を纏って歩く婦人、同じく吹雪の中で佇立する電柱で一つ灯っている裸電球。これらの残像を脳内に保ち、 「また来たじゃ」と心の中で呟きながら カメラを握って歩いた。歩いたとは言ったが、限られた時間内で鉄道の便もないので、レンタカーを駆って歩いたのだが。小島の時代からすでに60年の歳月が経ったので、当時そのままの景色が残っている由もないが、幸い吹雪いてくれたので、それらしい雰囲気にはなったと思っている。

来島海水浴場
アイスバーンの道を抜けて開けた駐車場に止めた車から降りると、よろけそうな風にあおられる。見る見る間に露出した顔と手から体温が奪われ、手はかじかみ、口は回らなくなって、「まみむめも」は「もぁむぅぃんむぅむぅぇんむぉ」となってしまう。斜面に生えている草は風によって完全に斜面に撫で付けられてしまっている
十三湊の凍結した明神沼
しゃりきサンセットドーム近くの海岸にて
スーパーで見つけて買って来た地酒。十三湊は昔、安藤(東)氏の拠点だったことに因んだのだろう

五能線沿線の海岸を歩く

ここでは、五能線の深浦駅で下車し、行合崎を目指した。

五所川原駅に入線して来た列車
雪の上に落としたわけではない。海岸を歩くと横殴りの雪がこのようにレンズにこびりつく。溶けないので、水となってレンズの中に侵入しないので助かる。後でこの写真を見て、手振れ補正機能がOffになっていることに気が付いて慌てた。しかし雪の中では手振れ補正が必要なほどシャッタースピードを落とす必要はなかったので一安心
駅を出て国道を北に歩く。現地に着くまでは、国道を歩けるか心配だったが、歩道の上に積もっている雪は浅く、楽に歩くことができてほっとする。東北南部の豪雪地帯では、車道の除雪に手いっぱいで歩道まで手が回らず、やむを得ず車道を歩かなければならないことがあるが、身の危険を感じる。もっとひどいときは、雪が解けた水を車が跳ね上げて走るので、とても歩けた状態ではなく、泣く泣く目的地に行くのを諦めたこともある
今日の晩はこの地酒。一昨年竜飛に来た時も飲んだな

津軽三味線の始祖 仁太坊の生まれた場所を訪れる

これが今回の旅の最大の目的である。岩木川の畔、神原に生まれた仁太坊を記念した石碑を目指し、その場所の雪を踏み、風に吹かれること。

これがその石碑。この近くで仁太坊が生まれ、そして津軽三味線が発祥したのかと思うと、感慨深い
お土産に買った津軽弁のピンバッジ。「No.」のも欲しかったがなかった。地元の方に聞いたら「ま(ぃ)ね」と言うらしい

この時の写真はんねブラに掲載しました

車力-Feb.2020:写真家 小島一郎の幻影を追って

深浦-Feb.2020

金木-Feb.2020:津軽三味線の幻影を追って

2020/02/10
んねぞう

はっとしたこと

昨日、はっとさせられたことがあった。

写真教室の先生がWeb上で写真集を制作するにあたり、そのレイアウト作成のお手伝いをしている。写真教室が終わった後その相談をしていた時のこと。私が写真のページの背景色について、先生にどうしようかお聞きした所、こう言われた。「貴方に任せたつもりです。自分とは違うセンスを貴方に求めているのだから。私は貴方を単なるオペレータとは思っていないので。」

そう言われた私は、日頃の自分の生活態度が、指示待ちになってしまっているということに気付かされた。仕事では、契約(特に海外企業との)に縛られていると、時として自分としては良かれと思ってやったことが後で自分の首を絞める事になった経験をしているせいで、兎に角自分(自社)の責任にならないように、他人、他社のせいでこうなった、と言う形を作るように行動してしまう。非凡な(ここでは凡庸未満と言う意味で非凡と言っている。念のため)サラリーマンとして、それはそれで仕方のないことだと思っているのだが、仕事を離れたコミュニティでもそのような態度が見え隠れしているのは、悲しいことだと思った。

と同時に、先生が写真教室基礎コースの私のような者のセンスを見込んで下さったことに感激している。もしこれが出来上がったら、片隅に”Layout by nNEZOU”と入れても良いよとも言って下さっている。そんなこんなで、モチベーションが上がり、CSS(Cascade Style Sheet)の勉強を、少しずつ始めたりしている。写真集には間に合わないけれど

2020/02/02
んねぞう

Sod’s LawのRisk Factorの計算式

以前書いたSod’s LawのRisk Factorの計算式の表現方法に工夫がないので、新しくMathJax-LaTeXというプラグインを導入してみた。

$$RF=\frac{0.7(U+C+I)(10-S)} { 20(1-sin(\frac{F}{ 10}))}$$

ソースは下記

[mathjax] $$RF=\frac{0.7(U+C+I)(10-S)}
    {20(1-sin(\frac{F}{ 10}))}$$

まともに表示できるまで1週間かかった。私はプログラミングにも向いていない。

2020/02/01
んねぞう

脱稿!

文芸同人誌「澪」の次号の原稿を編集担当者の方に提出した。これまでは、自分のブログで好き勝手に呟いていれば済んだものを、これからは同人誌の品質、レベルに影響を与えないよう自分の作品に責任を持たなければならず、あわよくば売上にも貢献しなければならない立場と相成った。

3月に出版の予定

最初は「原稿提出!」というタイトルにしたが、「脱稿」というと、何だか自分が文筆家か何かになったような気分がするので、変更した

2020/01/13
んねぞう

「破滅型」の作家 葛西善蔵

2月に津軽に旅行を計画しており、津軽に関する資料や小説などを読んでいる。太宰の「津軽」をおおよそ読み返し、昨年2月に佐渡に行った際に司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んだのを思い出し、同じシリーズの津軽に関する本をKindleで購入して読んだ。その中で太宰の「津軽」の引用が随所に見られ、これを引き当てた形での記述がある。また、その中で弘前生まれの葛西善蔵という作家が存在することを知った。一昨日から風邪を引き、今日の土曜日は一日外出せず家に垂れこめていたので、この作家の「哀しき父」、「おせい」、「子をつれて」、「蠢く者」を青空文庫で読んでみた。

破滅っぷりがひどい。葛西の小説を読んだ後だから言えることだが、太宰の破滅ぶりは、天邪鬼が、人の行く方向とは逆に、あたかも夏の小虫が祭りの松明に誘われてふらふらと近づいて行くような、「おいおい、そっちじゃないよ」とでも言いたくなるような風情が、まだある。葛西の場合は、例えば「子をつれて」の場合は、妻が金策に郷里に行っているが、刻々と家の立ち退き期限が近付いているのにもかかわらず、知り合いのKのところに金の無心に通うだけで、いよいよ当日になっても立ち退き先が決まらず深夜に子連れで電車に乗っているところで話が終わる。一体どうすんのよ、と言いたくなる。

持っているものを売ってしまい、売るものもなくなって友人から借金も借り散らした挙句いよいよ窮して最後の頼りに金の無心にKを訪れた「彼」に、Kはこう語る。

「……そりやね、今日の處は一圓差上げることは差上げますがね。併しこの一圓金あつた處で、明日一日凌げば無くなる。……後をどうするかね? 僕だつて金持といふ譯ではないんだからね、さうは續かないしね。一體君はどうご自分の生活といふものを考へて居るのか、僕にはさつぱり見當が附かない」
「僕にも解らない……」
(略)
「フン、どうして君はさうかな。些ちつとも漠然とした恐怖なんかぢやないんだよ。明瞭な恐怖なんぢやないか。恐ろしい事實なんだよ。最も明瞭にして恐ろしい事實なんだよ。それが君に解らないといふのは僕にはどうも不思議でならん」
(略)
彼にはまだ本當に、Kのいふその恐ろしいものゝ本體といふものが解らないのだ。がその本體の前にぢり/\引摺り込まれて行く、泥沼に脚を取られたやうに刻々と陷沒しつゝある――そのことだけは解つてゐる。けれどもすつかり陷沒し切るまでには、案外時がかゝるものかも知れないし、またその間にどんな思ひがけない救ひの手が出て來るかも知れないのだし、また福運といふ程ではなくも、どうかして自分等家族五人が饑ゑずに活きて行けるやうな新しい道が見出せないとも限らないではないか?――無氣力な彼の考へ方としては、結局またこんな處へ落ちて來るといふことは寧ろ自然なことであらねばならなかつた。

葛西善蔵「子をつれて」 青空文庫 図書カードNo.51221

彼の著作はすべてが本人の実人生だという。「表現」の渇望をドライビングフォースとして、 経済的な準備もなく妻子を伴い東京に出たものの、健康にも恵まれず、赤貧洗うがごとき生活で知り合いから寸借生活を続けて、このままではいけないとは思いつつ、なぜいけないのか、その恐ろしさは朧気ながらわかってはいるが行き着くところまで行ってみることを、積極的には肯定しないにしろ、それがむしろ自然なことであるというのだ。

俗世間的に言えば、Kの言い分が正しい。また、父親の香典返しのお茶の鑵を彼に発送するにあたり、憎しみを込めて凹ませて送ったYのような人間も、世間が味方するだろう。

私は勤め人生活が長く、人のことを斟酌するのに幅が狭いので、「言っていることはわかるけど(実のところわかっちゃいない)、まあ、あの人はああだから…」と、できるだけ関係を持たないようにするだろうと思う。 私には、この上記二者の間をどのように考えればよいのか、「彼」の考え方をどう飲み下せばよいのか、考えが纏まらない。

上述の司馬遼太郎の「街道をゆく」では、葛西についてこのように書き記している。

本来、 小説的情景は作家が想像のなかでつくりだすものだが、かれは実際に生きてみて、ナマ身で情景をつくりだした。人生の破綻こそ〝 芸術〟への出発だ、とこの人はいう。

司馬遼太郎. 街道をゆく 41 北のまほろば . Kindle 版. 以下同様

さらに、太宰が弘前高校に入学した早々に書いた英文の作文で、太宰は

〝葛西善蔵はいまの日本でいちばん不幸な作家である〟

とし、

「ほんたうの幸福とは、外から得られぬものであ つて、おのれが英雄になるか、受難者になるか、その心構へこそほんたうの幸福に接近する鍵である」

と書いているそうだ。さらに、司馬は、石坂洋次郎と葛西の交友にも触れた後、こうも書いている。

津軽人石坂あるいは太宰にとって、葛西善蔵は、芸術上の聖者か殉教者のような存在だったのである。

ここまで書かれると、多少なりとも津軽を理解したいと思っている私としては「まあ、あの人はああだから」と乙に澄ましてもいられず、少しは真面目に向き合わなければならなくなる。何だか重い宿題をもらった気分だ。

P.S.

今、一つ思ったことがあるので、断片的ではあるが書き出しておきたい。葛西と太宰の 破滅傾向のパースペクティブについてである。太宰は作家としての活動を始める前に、既に葛西の作品に触れていた。そののち著作活動を進めるにあたって、「東京八景」では自分の生活、社会的な立場がじりじりと破綻に近づいてゆく状況を、克明に、しかもその刹那刹那の状況に、腸(はらわた)がこわばってゆくような感覚と同時に、その破綻への近づき方の微分係数が微小な(微小かどうかは実際わからないが、一種の麻痺状態として)故の、そして自分の見込み通り傾向が悪くなっていることを確認できていることに対する、逆説的な安堵感をもって描写されている。この様子と葛西の作品を比べてみて、太宰が、津軽人特有の含羞を持っている人間として捉えると、自分は裕福な、地方の有力者の家庭で、経済的には何不自由なく育ち、東京の大学にも通った身である。それに引き換え、葛西は自分の芸術に対する理念に徹底的に忠実であるということを明確に意識しており、太宰は始終このことに負い目を持っていたのではないか。自分は不徹底な人間である、その不徹底な人間がこんな小説を書いて、頭の中の別の自分が「へえ、芸術家ってのは、例えば葛西善蔵みたいなものを言うんだと思っていたけど、ほう、あんたも芸術家なの。へえ、そうなんだ」と何かあるごとに頭を擡げて来る、そういうような意識を常に持ち続け、それが彼の生涯を通じた創作の底流にあるような気がする

2020/01/11
んねぞう

ハレーション

年末にあるところで写真を撮っていた際に、曇り空を背景にして撮った際に、ある異変に気が付いた。ハレーションがひどい。

雨降りだったのでレンズのフィルターに水滴が付いたせいかと思って拭いたが解消しない。内部で結露?そんなことはない。ずっと寒い屋外にいたのだから。レンズを外してみたが、ミラーに曇りがあっても影響があるわけではないし、撮像素子にごみが入ってもこんなぼやけたハレーションが発生するのだろうか。ああ、また修理に出さねばならないのか…

2019/12/30
んねぞう

30

12 2019

2020年版一年中休みカレンダー

根が怠惰なものだから、1年中休みたい。そのための理由を考えて、カレンダーにしてみた。真面目で勤勉な方は、時間の無駄なので、見ないでください。

◇ 一年中休みのカレンダー ◇

自分でも何やってんだか、とは思いますよ、えぇ…

2019/12/22
んねぞう

Windows 10へのアップグレード

今私の使っているパソコン(Windows)はミニタワー型のパソコンで、1990年代初頭、PC/AT互換機時代からの自作で換骨奪胎、当初からのパーツはケースも含め何回も代替わりして何も残っていない。この遍歴についてはこちらを参照して下さい。当時は出来合いを買うよりも自分でパーツを買って組み上げた方が安上がりだったので、いまだにこのスタイルとなっている。

さて、いよいよ、Windows 7のサポートが切れるという話が喧しくなってきたので、流石の私もやっと重い腰を上げて、データのバックアップをしている。データの消失が最も恐ろしいことだが、私のハードウェアがかなりのレガシーを引きずっているので、このままスムーズアップグレードできるかが見ものだ。Windows 7までは、私は、古い話で恐縮だが、MS-DOS – Windows 3.1(知らない人も多くなっているのではないか) – Windows 95 – Windows 2000 – Windows XP – Windows 7 と有償アップグレードで繋いできたが、今回はそのような制度はなく、定価で買わなければならないこと、巷ではハードウェアを買い替えろ、買い替えろという宣伝が異様に目立つこと、家電量販店に「Windows 10が欲しいのだが」と店員に聞いたら「え?ソフトウェアのですか?」と言う反応をされたことを考え合わせると、Windows 7からWindows 10へのスムーズな移行は難しいので、何か面倒を起こされるとサポートが大変だからハードウェアの買い替えを必死に推している、等と勘ぐって見たくなる。

とまれ、バックアップを終了し、今日必要なMail等の連絡を済ませた後、Windows 10への移行をするので、次回私がこのブログに書き込みしていたら、ああ、こいつは何とか移行できたんだな、と了解されたし。それでは。

All the best, good luck to me! てか

2019/12/15
んねぞう