Archive for the ‘バロック音楽’Category
Murphy’s Law Calendarとルドルフ ケンペ
Amazonで来年のMurphy’s Law Calendarを先月発注したが、今日になって入荷の見込みが立たないと言うメールが来た。一緒に娘の注文品も含まれていたので、これに引きずられて入手が遅れてはならないとキャンセルし、娘の品物は単独で発注することにした。
肝腎のカレンダーの方は、今日現在価格が1490円と、送料無料まで10円しか違わない価格設定になっていて、何かAmazonの作為が感じられないでもないが、とにかく他に欲しい物と一緒に買ってしまおうと言うことで、ルドルフ ケンペ指揮ミュンヘンフィルのブラームスの交響曲のCDを探してみたが、どうも駄目のようだ。
最近とみにケンペのブラームスが聞きたくなっており、ついに夕べはブラームスの4番を弾いている夢を見てしまったんねぞうであった。
2008/09/04
んねぞう
04
09 2008
グレート
一昨日会社の休暇を取って、ぶらりと電車に乗って、いつもは通勤のために乗り換えるだけの街で降り、CDを買った。前から欲しかったシューベルトの「グレート」。この曲との出会いは30年近く前、学生時代に、住んでいた県内の海べりの町のアマオケのコンサートにお手伝いに行った時に弾いた時。
当日は冬で、雪が舞い、日本海側の冬らしい鉛色の空だった。だけどオケの人たちの熱意に寒さも忘れ、楽しいコンサートになった。このときの記憶とこの曲が分かち難く結びついて、今もあの時を懐かしく思い出す。これまで別の演奏のCDを持っていたのだがモノラルということもあり、別の演奏を買ってみることにした。前々から好きだったルドルフ・ケンペ/ミュンヘンフィルの演奏。
あの時、同時に演目に上がっていたのがグリーグのホルベルグ組曲。この曲もそれ以来大好きになった。携帯音楽プレーヤを持って出かける時は必ずプレイリストにこの曲が入っている。
以前演奏した曲にはその経験とその時の楽しかった情景と記憶が一緒になっていて、実際に演奏していない人よりもその分楽しみが多いと思う。有難いことだ。
そしてCDを買ったショッピングセンターでやっていた福引きでたまたまた1000円分の商品券が当たったので、同じショッピングセンター内のタイ料理店でちょっとお昼を奢った。これがこのご飯。トムヤムクン雑炊。クアラルンプールで食べたのより大分ソフィスティケートされて、辛くない。どちらかというと一口食べて汗がだらだらというほうが好みだが、それでもおいしかった。
んねぞう
21
06 2008
J. S. Bach BWV248 Weihnachtsoratorium
今、バッハのクリスマスオラトリオを聴きつつこのアーティクルを書いている。
普段、この曲は特別なものとして、クリスマスに限って聴くものという意識があるので、本当のクリスマスになってもその意識が抜けず、今日も、おっとそうだ、今日はあの曲を聴く日だ、と危うく聴かずに過ぎて行きそうなのであった。
下はそのCDのジャケット。テノールがベーター・シュライヤー、バスがテオ・アダム、ソロバイオリンがカール・ズスケだ。
以前テレビでヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でゲヴァントハウスの聖トーマス教会での演奏を聴いた(見た)ことがあったが、一度はあのような場所に身を置きたいものだと思う。きっと己の卑小さを思い知り、涙ながらに多少はましな人間になろうと思うだろう。
<2005/12/25> んねぞう
25
12 2005
Adiemus
これまで数年間気になっていたことが解決した。前世紀だと思うがアメリカでデルタ航空の飛行機に乗った時、出発前に機内で流れていた音楽が非常に気になっていて、その時聞けば良かったと悔やまれていた。帰国後21世紀に向けてのミレニアムブームでたまたまNHKの「世紀を越えて」とか言う番組で非常に良く似た音楽が流れていたのでNHKに電話して曲を聞いた。その結果「アディエマス」と言うグループらしいと言うことがわかった。手に入るCDを3枚ばかり買ってみたが、それなりに良い曲は発見したが、最初の曲がどうしてもわからなかった。先週娘に付き合って「つたや」に行った際、何の気なしに棚を見たらアディエマスのCDが見つかったので、速攻でありったけ借りて帰ったら、ありましたっ。Kayamaという曲でした。今もご機嫌で聞いています。
注) Carl Genkinsの曲と言うことで、この関係を良く知っている知人に言うと、「ああ、あのSoft Machinesの…」と言う反応だった。イメージを壊さないために、このユニットの曲は聴いていない。
注2) NHKに電話して聞いたとき「アリエマス」と間違って聞き取ったので、探すときにまた時間を取ってしまった。
んねぞう
09
10 2004
山田耕筰の交響曲
今朝何気なくラジオを聴いていたらどうもロマン派らしき交響曲が聞こえて来た。シューマン?シューベルト?と思いつつ聞いていたら、山田耕筰の交響曲「かちどきと平和」とのこと。
調べてみると作曲以外にも大きなことを成し遂げた大変な巨人であったと言うことを初めて認識した次第。
んねぞう
13
06 2004
N響 マスカーニ
女性指揮者の指揮で聴いたN響の演奏はカバレリアルスチカーナ間奏曲。とっても繊細な 演奏で良かった。久しぶりにクラシックを聴いたので、かさかさのあたしの心に 染み透った。N響も弦の響きが良かった。NHKホールは音響が良くないと聞いていたが、 改良されたのか、録音が良いのか、はたまたN響の腕が上がったのか、あたしの聴き 間違いか。 昔夢中になってヴァイオリンを弾いていた頃のことが思い出されて来る。 オーケストラはあの頃のあたしに取って「世界」だった。憧れ、純粋さ、夢、孤独、 感動、ときめき、内省… だけどあたしが一番やりたかったのはバロック。 通奏低音の響きの中に、何故か自分の原風景が見えて来る気持ちがするのだ。 バロックの調べを少しでも再現したかった。今でも、音色だけは誰にも負けなかったと 一人、密やかに自負をしている。奥さんもこれは認めてくれている。
んねぞう
31
12 2003
舞台上の光景
あたしが若かりし頃、N響といえば日本の最高峰のオーケストラと言うことに異論のある 人はいなかったと思う。今はどうなんだろう。 その話はさておき、日本のオーケストラのコンサートでは楽員は当然のことながら日本人 がほとんどで、客席から見ると真っ黒な頭ばかりで、アメリカ、ヨーロッパのオーケスト ラの楽員の掘りの深い顔立ちとバラエティに富んだ頭髪にコンプレックスを持ったものだ った。ところが、若い楽員の中に茶髪発見!って考えて見ると当たり前のことか。 ステージの上だけ時代の流れと無縁である訳がない。 でまたアタシの余計な話ですが、確かに日本人のステージがモノクロームで色彩に欠ける と言いました、言いましたが、生まれついての頭髪でも何でも、人工的に染めてまで色付 けることはないやね。 と、いつの間にか話がオーケストラから思い切り外れてしまいました。
んねぞう