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車選び

今回の車の一件で、買い換えの候補となる車種をピックアップして見たのだが、あたしの好みから言うとあれで決まりと思っていたら、思わぬ伏兵がいた。奥さんである。このスタイルは武骨だと言うのである。それより今の車のメーカーの車種の方が良いと言うのである。あたしから言わせると逆に、この車はもうスタイルも機能も完全にママさんカーで、これをあたしのようなおやじが運転する様を想像するとげんなりする。それでもカタログを見ているとなんとなく可愛く思えて来たりして。意見の違いを見て、今度は娘が「お父さん、ビデオ見たけど(今日び車のカタログと一緒にプロモーションビデオなんかもくれたりするのね)お父さんの良いって言う車、気に入ったヨ」なんて言ってくれたりする(因みに自転車フリークの息子は「俺の居場所があれば何でも良い」だと)。 車が完全に生活に根付いた結果、車に対する要求、車を見る目がはっきりして来たと言うことなのだろうと思う。前はこんなことはなかった。これも混迷と言えるかも知れないが、どちらかと言うと楽しい混迷だ。

んねぞう

11

01 2004

我が家のポンコツ愛車

もう買ってから13年になる我が家の車だが、このところ故障が多く、寄る歳波に勝てなくなって来た観がある(余談だが「感」を使う人が多いが、より正しくは「観」と思う。トシ取るとこういうこと言いたくなるのよネ、等と言うなかれ、若い頃からじゃ)。 かねがね妹からは「鉄屑」という愛称を頂戴していた我が家の愛車だが、本当にそうなっちゃいそうだ。 修理を頼んでいるディーラーの人がこれを察知して頻繁に電話をくれたり、時には訪問してくれたりして新車売り込みアタックをかけて来る。先週の日曜日なんか、頼みもしないのに2回も違った試乗車を持って来たもんね。 せっかく気にかけて頂いているのに申し訳ないが、お金がない。いや、ない訳ではないが少しばかり無理をする必要がある、さりとて車がないと何かと不便で仕方がない。でも買えないならばいっそ車なしの生活に戻るか、でも近くに住んでいる両親が外出する時の足はどうする、このまま態度をはっきりさせずにずるずるしていても相手に手間を取らせるばかりだ、どうするどうする、と、どうどう巡りの我が家でありました。

んねぞう

11

01 2004

Harry Potter

現在読み進んでいる原書、今日現在156ページ。Haglidの訛りの固まりのような英語に苦戦中。`If I was ter – er – speed things up a bit, would yeh mind not mention it at Hogwards?` 何だこりゃ? 中学高校英語および技術英語しか知らないあたしには最初戸惑ったが、構わず読み進んでいるうちに解読の規則が分かってきたぞ。

10

01 2004

雪と暮らし

あたしの出身地は名にし負う豪雪地帯だ。 今年のお正月も帰省したが、雨だった。これは異変だ。 町に住むあたしたちに取って時に雪は悪魔にさえ思えるほど疎ましいものだ。掃いても掃いても降り止まずしんしんと降り続ける雪、放って置けば家を押し潰す雪。 この雪が積もらずに楽ができる気持ちから「今年は雪が少なくて良いねぇ」と言う言葉が喉元まで出かかる。でも、声に出しては言わない。 雪で暮らしを立てている人達がいるから。 んねぞう

06

01 2004

次の原書

先の本に味を占めて、次の本を買って来た。
これも日本語訳があり、娘が夢中になって読んでいた。
そういえば出張中の機内でも映画をやっていたぞ。
でも、内容は分かっていないので、訳は見ない。

H_Potter.gifんねぞう

31

12 2003

原書読破

先日読み始めた本(Why men don’t listen and womencan’t read maps)を昨日、やっと曲がりなりにも読み終えた。最初はユーモラスな雰囲気のうちに始まったが、そのうち男性ホルモン、女性ホルモンと遺伝子の関係からホモ、ゲイが先天的である話になって、セックスがどうのこうの、あ~タスケテクレと思っているうちに、最後は、性は器質的にそもそも異なって生まれてきているので、お互いの長所を生かした暮らし方、仕事の選択、というものがあるべきである。と言う結論になって、あ~良かった良かった。

最後の部分で興味を引いたのは、このようなくだりだった。今日男性の役割のモデルと言うものが礼儀正しく、女性を尊重し、家族を守ると言うクラーク ゲーブル、ジェームス ボンドのような古典的なものから、シルベスター スタローン、ブルース ウィリス、ジャン クロード ヴァン ダム(で良いのか?)と言った、問題を暴力で解決し、他人の財産を破壊するのも気にしないというタイプ又はヒュー グラントのような女々しいものになりつつある。な~るほど、この本はイギリス人(オーストラリア人? いずれにしても非アメリカの西洋人)が書いているが、現在の状況を、彼らもこのように見ているのね、と。

んねぞう

31

12 2003

ココログのタイトルに

コロン(:)を含んでいるとエラーになるのね。
何回か失敗して気が付きました

んねぞう

31

12 2003

そうだ、

こんど奥さんとコンサート聴きに行こう!

んねぞう

31

12 2003

N響 マスカーニ

女性指揮者の指揮で聴いたN響の演奏はカバレリアルスチカーナ間奏曲。とっても繊細な 演奏で良かった。久しぶりにクラシックを聴いたので、かさかさのあたしの心に 染み透った。N響も弦の響きが良かった。NHKホールは音響が良くないと聞いていたが、 改良されたのか、録音が良いのか、はたまたN響の腕が上がったのか、あたしの聴き 間違いか。 昔夢中になってヴァイオリンを弾いていた頃のことが思い出されて来る。 オーケストラはあの頃のあたしに取って「世界」だった。憧れ、純粋さ、夢、孤独、 感動、ときめき、内省… だけどあたしが一番やりたかったのはバロック。 通奏低音の響きの中に、何故か自分の原風景が見えて来る気持ちがするのだ。 バロックの調べを少しでも再現したかった。今でも、音色だけは誰にも負けなかったと 一人、密やかに自負をしている。奥さんもこれは認めてくれている。

んねぞう

31

12 2003

舞台上の光景

あたしが若かりし頃、N響といえば日本の最高峰のオーケストラと言うことに異論のある 人はいなかったと思う。今はどうなんだろう。 その話はさておき、日本のオーケストラのコンサートでは楽員は当然のことながら日本人 がほとんどで、客席から見ると真っ黒な頭ばかりで、アメリカ、ヨーロッパのオーケスト ラの楽員の掘りの深い顔立ちとバラエティに富んだ頭髪にコンプレックスを持ったものだ った。ところが、若い楽員の中に茶髪発見!って考えて見ると当たり前のことか。 ステージの上だけ時代の流れと無縁である訳がない。 でまたアタシの余計な話ですが、確かに日本人のステージがモノクロームで色彩に欠ける と言いました、言いましたが、生まれついての頭髪でも何でも、人工的に染めてまで色付 けることはないやね。 と、いつの間にか話がオーケストラから思い切り外れてしまいました。

んねぞう

31

12 2003