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「新しい」iPad

今を去ること4年、2012年の9月にiPadをインド長期出張中に買った。当時の呼び名は「新しいiPad」というものだった。次に新製品が出た時にはどうする積りなんだよ、と心の中で突っ込みを入れて。案の定、次の製品が出た後混乱が生じたらしく、現在はiPad 3 (iPad 第三世代)と呼ばれているようだ。

それはともかく、2014年にはiPad Mini 2を買って現在はこれを通勤鞄に入れて常用していて、このiPad 3は奥さん専用となっていた。最近奥さんが従来型折り畳み携帯電話からスマートフォンに買い替えたのを機に、スマートフォンが常用となって、このiPadで閑古鳥が鳴いているのをみて、私は新しい使い道を考えた。

このところの技術の進歩は気づかないでいるうちに大変なことになっていて、音声認識については、旧型のiPadであっても、何の事前ティーチングもせずに、一発で漢字かな交じりの日本語に変換してくれるのに驚いた。これを使って、近所にいる耳の不自由な人との会話に活用しようと思う。

それに合わせてケースを買い替えた。これまでは、純正のカバー(所謂風呂蓋)だったが、この4年間で縁がよれよれになってわかめのようになっていたので、外に持ち出して、多少他のものと擦れても、落として角をぶつけても大丈夫なように全体をカバーするケースに買い替え。

カバー表面
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カバー裏面

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新しいカバーを付けた「新しいiPad」

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因みに購入時の伝票。税込44,000ルピー、当時のレートは1.8円/ルピーにつき、79200円也。今だから言うが、これには貯めていた海外出張手当とFFPのマイレージを充当。家計からの支出はなし。これ重要(汗)。

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iPad、iPad Mini 2、iPhone6sを使い分けることになった訳だが、iPadのログインは画面スライドで暗証番号入力、iPad Mini 2はホームボタンを押して暗証番号入力(iOS 10)、iPhone6sはホームボタンを押すと同時に指紋認証とそれこそ三者三様のログイン方法になって、時々戸惑うのだ。

 

2016/12/17

んねぞう

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12 2016

バロック音楽界と日本人

Youtubeでバロック音楽の、主としてアメリカ、ヨーロッパの団体のコンサートを視聴しているが、僅かながら日本人が出演しているのを見ることがある。先だってはスペインの教会でJordi Savallが指揮したバッハのロ短調ミサでテノールのソロを務めていた人の名前を見たら日本人だった。現在は東京芸大の准教授をされている人らしい。

演奏の他にも、演奏者が師事した人に日本人の名前を発見した。クロアチアのバロックアンサンブルのチェンバリストのプロフィールを見ていたら、ローザンヌ高等音楽院で小糸けいと言う方にオルガンを師事した、とある。

西洋音楽のメッカでソロの演奏活動をする、また本場の人間に教えるようになる、と言うことの大変さに思いを致すとともにその才能が羨ましく、また努力に尊敬を禁じ得ない。

2016/12/17

んんねぞう

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12 2016

パープルフリンジ

昨日久しぶりに35mm F1.4のマニュアルフォーカスレンズを持ち出して写真を撮って来たが、帰って来た後に見返してみて、このレンズは明暗差の大きい構図で絞りが解放近くでパープルフリンジが目立つことを忘れていたことに気付いた。

しばらく天気が悪く、また旅行で荷物の制限があったりして使っていなかったために忘れていた。

全体 (1/4000Sec, F1.4, ISO200)

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部分拡大

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2016/11/13

んねぞう

 

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11 2016

んねブラとレンズ

昨日紅葉を撮り、んねブラに掲載した。荷物の制限で35mmフルサイズ機には標準ズーム(24 – 105mm)しか持って行かなかったが、広角側で、雲一つない青空を撮った写真で周辺光量落ちが目立ち、修正が必要だった。と言うことで、価格比較サイトで広角ズームレンズの評価、価格を眺めている自分がいる。

買わないけれどね

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2016/11/06

んねぞう

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東京都写真美術館 杉本博司 「ロスト・ヒューマン」

10月15日に東京都写真美術館 杉本博司 「ロスト・ヒューマン」を観覧した続き。

2Fの展示室を対角線で2つに区切り、それぞれの三角形のエリアに、一つは廃墟となった映画館の写真、反対側には三十三間堂の写真を展示している。三十三間堂の方は説明文が一切なく、1回目に来たときは何のことかわからずに、写真そっちのけで広く空いたスペースに佇立している「光学五輪塔」を矯めつ眇めつ眺めていた。

一通り回って、また元の所に来た時に、係の人の説明で、三十三間堂の写真の展示であることを聞いた。

展示室の一角にベンチがあったので、そこに20分程座っていると、もともと人気(ひとけ)のないスペースに、ダウンライトの影を落としながら人が無言で静かにやって来ては立ち止まり去ってゆく、それが海岸に打ち寄せる波のように緩急を伴って繰り返される様が、実は写真の展示とともに、この人の動きも作者の意図したパフォーマンスで、この席に座っている自分がただ一人の観客ではないか、等と思って見る。

2016/10/23

んねぞう

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10 2016

生き物としての人類(3)

「猫」に関連して、関連する部分をもう一か所思い出した。碁石に関する部分。

Quote —-

いざ天下わけ目と云う間際に覗いて見ると、いやはや御気の毒な有様だ。白と黒が盤から、こぼれ落ちるまでに押し合って、御互にギューギュー云っている。窮屈だからと云って、隣りの奴にどいて貰う訳にも行かず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめて、じっとして身動きもせず、すくんでいるよりほかに、どうする事も出来ない。碁を発明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表していると云っても差支えない。人間の性質が碁石の運命で推知する事が出来るものとすれば、人間とは天空海濶の世界を、我からと縮めて、己の立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬように、小刀細工で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない。人間とはしいて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう。

—- Unquote

2016/10/19

んねぞう

 

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10 2016

生き物としての人類(2)

昨日掲題について所感を綴ったが、夏目漱石の「猫」に人間の自殺についての下りが載っていたことを思い出し、読み直して見た。

苦沙弥先生のサロンで、高等遊民のオールスターが集合して駄弁を弄している場面で、文明の進行に伴って人間の自意識が高まり、死に対する恐れによる神経衰弱と言う病気が発明されたが、研究の結果、死は避けられないものと言うことが分明になり、次に如何に死ぬかが問題となった。そこで、自殺者は皆独創的な方法をもってこの世を去るが、そういう知恵も勇気もない人間は巡査が慈悲のためにぶち殺してくれるようになる、というものだった。
この場面は実業家の金田の妻が使用人や金を使ってこそこそと水島寒月のことを調べ回っていることに苦沙弥が憤っていることから始まっている。

日本人も自分の自我と他人の自我の間の窮屈さに辟易しつつ生きて行かざるを得ないことを昔から飽きもせず言い続けている訳だ。

2016/10/16
んねぞう

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10 2016

生き物としての人類 — 東京都写真美術館 杉本博司 「ロスト・ヒューマン」を観覧して

今日、東京都写真美術館で、杉本博司 「ロスト・ヒューマン」を観覧して来た。

<今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない>の書き出しのもとに、いくつもの人類の終焉のケースがインスタレーションとともに陳列されていた。写真の展覧を期待してきたのに戸惑ったが、見て行くうちに、私の思っている人類の行く末とダブってきたところがあるので、ここに書き出す。

地球上に人類がここまで蔓延ってきた理由は、一つはその知能だと思うが、その知能が、生物としての自己保存、増殖の本能の基本的要件の充足のデマンドの元に発揮されてきたこと。具体的に言えば、生殖、および自己の生存のための他種からの防御/攻撃。
上に書いた、一点目は他の生き物と違い、人間は一年中発情していること、セックスと言うものが生殖と言う目的から離れて、快楽としても位置づけられていることから、人類は非常に強い生殖能力を持つ、謂わば助兵衛であることは明らかだと思う。
二つ目は、当初は身体能力、知恵が他の動物とどっこいどっこいだったので、その本能に基づいた知能の発動をフルに活用する必要があった。そのお蔭で、人類は他の種を凌駕し、安全に生活できるようになった。しかし、他の種からの防御あるいは攻撃というデマンドに基づく人類の本能は、その段階で何ら修正されることがなく、外敵に対する恐れがなくなった瞬間に、防御すべき、あるいは敵対すべき新たな相手を探す必要が出て来た。他に見つからないので、(それまでも一部ではやっていたのかも知れないが)人類の間で敵を探し、殲滅するということしかできなくなった。人間をこれまで後押ししてきた要素が、自分達を滅ぼす形で働くようになった。この小規模な発動が、例えばオリンピックであり、国家と言う枠に対して、枠外の相手を敵とみなして打ち勝つという行動は、本能に由来すると思う。仮に宇宙人の襲来があったとしたら、人類は一致団結して戦おうとするのかも知れないが、おそらくその中でも内部でいろいろな抗争が起こるのだろう。

「生き物」としての人間の持つ本能を、自分で変えることができない限り、多分このままで行くと自滅するだろう。そして、人類は、そうなる前に何とかしようとすることはできないと思う。それが人類の限界だろう。

まあ、こんな事を気楽に書いているのも、自分が生きている間に世界が死ぬ場面はないだろうと多寡を括っているからだけどさ。

この他に、廃墟となった映画館で、自分で設置したスクリーンに映画を映写している間、8X10カメラで撮影した写真、三十三間堂を撮影した写真の展示があり、それぞれに感じるところがあったので、別途書き込みたい。

2016/10/15

んねぞう

【追記 2016/10/23】

もらった作品解説の末尾にこう書いてある。

Quote —-

本展覧会は、特定の思想信条、政党、宗教、学説等を支持するものではなく、中立的な立場で構成しています。

架空の物語をインスタレーションや写真作品等で構成し、文明が終焉を迎えないよう考察しようとするものです。

—- Unquote

作者はそう思っているのだろう、本気でこういう危機感を持って、淡々と展示をしているのだろう。私には、終焉を迎えないような考察ができない。

【追記 終わり】

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10 2016

Murphy’s Law Calendar 2015年分

これまで怠けていた 2015年分のMurphy’s Law Calendarの翻訳と掲載を完了。

すっきりした。

2016/10/02

んねぞう

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10 2016

Trendmicroによるサイトの安全性評価

IEにTrendmicroで提供しているプラグインを入れると、検索されたサイトの安全性評価のシンボルが検索結果のリスト上に表示される。自分のサイトを検索すると「?」マークが表示され、「未評価」とされているので、そこから評価依頼をしているが、全く反応がなかった。

Trendmicro製品のユーザ専用の窓口があるということをネットで見たので、昨日そのフォームから、シリアルナンバーとともに評価依頼をした。その結果、申し込んでほどなく受付の連絡メール、そして今朝評価結果のメールが来た。結果はご覧の通り。

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勝手に評価しておいて(「未評価」という評価のままにしておいて)、自社の顧客は優先的に評価するということか。自分は結果として良い結果が出たにしろ、何となくすっきりしない。

2016/10/04

んねぞう

P.S.

今日この書き込みを見ていたら、右のサイドバーにあるGoogle Adsenseの広告がちょうどTrendmicroになっていた。ブログの書き込みがTrendmicroに関連していると言うことはセンシングしているが、そのニュアンスまではチェックしていないようだ。


2016/10/04

んねぞう