Archive for 12月 28th, 2003

アメリカ「市民」

以前学生時代に猿谷要さんの本を読んだ中に、1960年代にアメリカで公民権運動があった際にアメリカの白人の何の変哲もない一家族が自己の信念に忠実に、周囲の白人社会の白眼視にも係わらずに家族が毅然として行動している姿の描写があったように思う。
当時のアメリカの中産階級(と言う言葉があるかどうか知らないが)の、その良い一面を象徴するような場面として記憶している。
その「信念」の拠り所だが、それは飽くまでも「自分に取って良い」ということではなく、少なくとも「社会に取って良い、またはそうあるべき」と言う基準が大切である、と言うことを教えられた。

んねぞう

28

12 2003

日本のあり方

前の記事に関連して、あたしの日本の社会のイメージです。横軸は何でもよろしい、スポーツでも、学力でも、犯罪でも。傾向としては、今は「すごい人はすごい」「悪いやつはどうしようもなく悪い」と言う方向に行っているのでは、と言うこと。平均は、物によっては悪くなっているのかな(例えば学力)?
以上、これはあたしの感覚的なイメージで何の根拠もないことを念のために申し添えます。
< バッカみたい と言われるかもね>

んねぞう
Social.gif

28

12 2003

日本の寿命

今日の日本と言う国の世界での位置づけは、まず先進グループと言うことで大方の合意は頂けると思う。
空港の入国審査でも日本人ということで恩恵を受けたり、街でも日本人であることで得をしたりすることは、あたしでも経験する。
でも、この特権は我々の先輩が戦後汗水たらして築きあげてきた経済的な基盤の上に成り立っているということは認識すべきと思う。
おっさん何を力んでいるの?と言われると思うが、今の日本を見ると、本当にこのままで良いの?疑問に思えて仕方がないのです。日本は資源はない、あるのは人だ、技術だ、それでしか日本は生きて行けないと思い数学が不得意ながら工学部に入ったあたしは別として、これからの世界で日本は何を以て世界にその存在を保ってゆけるのだろうか。
一人で心配しているのは今の10代、20台の若い人達とその親に対して、「社会」と言う視点があるのか、と言うこと。
決してこれは「仲間」、あるいは「世間」ではなく、また「社会」と言う言葉も今は日本だけではなく国際的な広がりをもって捉えなければならない場面も多くある。そういう
「しつけ」を今の親はできていますか?

んねぞう

28

12 2003