次の原書
先の本に味を占めて、次の本を買って来た。
これも日本語訳があり、娘が夢中になって読んでいた。
そういえば出張中の機内でも映画をやっていたぞ。
でも、内容は分かっていないので、訳は見ない。
んねぞう
先の本に味を占めて、次の本を買って来た。
これも日本語訳があり、娘が夢中になって読んでいた。
そういえば出張中の機内でも映画をやっていたぞ。
でも、内容は分かっていないので、訳は見ない。
んねぞう
先日読み始めた本(Why men don’t listen and womencan’t read maps)を昨日、やっと曲がりなりにも読み終えた。最初はユーモラスな雰囲気のうちに始まったが、そのうち男性ホルモン、女性ホルモンと遺伝子の関係からホモ、ゲイが先天的である話になって、セックスがどうのこうの、あ~タスケテクレと思っているうちに、最後は、性は器質的にそもそも異なって生まれてきているので、お互いの長所を生かした暮らし方、仕事の選択、というものがあるべきである。と言う結論になって、あ~良かった良かった。
最後の部分で興味を引いたのは、このようなくだりだった。今日男性の役割のモデルと言うものが礼儀正しく、女性を尊重し、家族を守ると言うクラーク ゲーブル、ジェームス ボンドのような古典的なものから、シルベスター スタローン、ブルース ウィリス、ジャン クロード ヴァン ダム(で良いのか?)と言った、問題を暴力で解決し、他人の財産を破壊するのも気にしないというタイプ又はヒュー グラントのような女々しいものになりつつある。な~るほど、この本はイギリス人(オーストラリア人? いずれにしても非アメリカの西洋人)が書いているが、現在の状況を、彼らもこのように見ているのね、と。
んねぞう
コロン(:)を含んでいるとエラーになるのね。
何回か失敗して気が付きました
んねぞう
女性指揮者の指揮で聴いたN響の演奏はカバレリアルスチカーナ間奏曲。とっても繊細な 演奏で良かった。久しぶりにクラシックを聴いたので、かさかさのあたしの心に 染み透った。N響も弦の響きが良かった。NHKホールは音響が良くないと聞いていたが、 改良されたのか、録音が良いのか、はたまたN響の腕が上がったのか、あたしの聴き 間違いか。 昔夢中になってヴァイオリンを弾いていた頃のことが思い出されて来る。 オーケストラはあの頃のあたしに取って「世界」だった。憧れ、純粋さ、夢、孤独、 感動、ときめき、内省… だけどあたしが一番やりたかったのはバロック。 通奏低音の響きの中に、何故か自分の原風景が見えて来る気持ちがするのだ。 バロックの調べを少しでも再現したかった。今でも、音色だけは誰にも負けなかったと 一人、密やかに自負をしている。奥さんもこれは認めてくれている。
んねぞう
あたしが若かりし頃、N響といえば日本の最高峰のオーケストラと言うことに異論のある 人はいなかったと思う。今はどうなんだろう。 その話はさておき、日本のオーケストラのコンサートでは楽員は当然のことながら日本人 がほとんどで、客席から見ると真っ黒な頭ばかりで、アメリカ、ヨーロッパのオーケスト ラの楽員の掘りの深い顔立ちとバラエティに富んだ頭髪にコンプレックスを持ったものだ った。ところが、若い楽員の中に茶髪発見!って考えて見ると当たり前のことか。 ステージの上だけ時代の流れと無縁である訳がない。 でまたアタシの余計な話ですが、確かに日本人のステージがモノクロームで色彩に欠ける と言いました、言いましたが、生まれついての頭髪でも何でも、人工的に染めてまで色付 けることはないやね。 と、いつの間にか話がオーケストラから思い切り外れてしまいました。
んねぞう
以前学生時代に猿谷要さんの本を読んだ中に、1960年代にアメリカで公民権運動があった際にアメリカの白人の何の変哲もない一家族が自己の信念に忠実に、周囲の白人社会の白眼視にも係わらずに家族が毅然として行動している姿の描写があったように思う。
当時のアメリカの中産階級(と言う言葉があるかどうか知らないが)の、その良い一面を象徴するような場面として記憶している。
その「信念」の拠り所だが、それは飽くまでも「自分に取って良い」ということではなく、少なくとも「社会に取って良い、またはそうあるべき」と言う基準が大切である、と言うことを教えられた。
んねぞう
前の記事に関連して、あたしの日本の社会のイメージです。横軸は何でもよろしい、スポーツでも、学力でも、犯罪でも。傾向としては、今は「すごい人はすごい」「悪いやつはどうしようもなく悪い」と言う方向に行っているのでは、と言うこと。平均は、物によっては悪くなっているのかな(例えば学力)?
以上、これはあたしの感覚的なイメージで何の根拠もないことを念のために申し添えます。
< バッカみたい と言われるかもね>
んねぞう
今日の日本と言う国の世界での位置づけは、まず先進グループと言うことで大方の合意は頂けると思う。
空港の入国審査でも日本人ということで恩恵を受けたり、街でも日本人であることで得をしたりすることは、あたしでも経験する。
でも、この特権は我々の先輩が戦後汗水たらして築きあげてきた経済的な基盤の上に成り立っているということは認識すべきと思う。
おっさん何を力んでいるの?と言われると思うが、今の日本を見ると、本当にこのままで良いの?疑問に思えて仕方がないのです。日本は資源はない、あるのは人だ、技術だ、それでしか日本は生きて行けないと思い数学が不得意ながら工学部に入ったあたしは別として、これからの世界で日本は何を以て世界にその存在を保ってゆけるのだろうか。
一人で心配しているのは今の10代、20台の若い人達とその親に対して、「社会」と言う視点があるのか、と言うこと。
決してこれは「仲間」、あるいは「世間」ではなく、また「社会」と言う言葉も今は日本だけではなく国際的な広がりをもって捉えなければならない場面も多くある。そういう
「しつけ」を今の親はできていますか?
んねぞう