素掘りの隧道 – May 2018

画像

千葉県の小湊鉄道沿いにある、明治時代の素掘りのトンネルのある古道を歩いて来た。

小湊鉄道の飯給(いたぶ)駅で、乗って来た列車を見送る。新緑の中、オレンジと肌色の車体が映える

田圃を隔てた斜面にある白山神社に参詣。

最初、神社への参道の途中から古道への分岐があるのではないかと思って行って見たら行き止まりだったり、県道を逆方向に歩いて見たりしたが最終的に正しい道を見つけて、月崎駅方面に向かって歩き出す。丘を登ったり縫ったりしながら、舗装された林道を歩く。途中の景色。立ち枯れた木と勢いよく枝を伸ばす木々

最初のトンネル、柿木台第一トンネル。明治32年完工。トンネルと言うよりもここはひとつ隧道と呼びたい。隧道を通して、向こう側から冷たい風が吹いてくるのを感じながら進む。明治時代、どのようにしてこの隧道を穿ったのか、どれだけの労力がかかったのか、どのような人達が、どのような格好で、どのような思いで通って行ったのだろうか。今は寥々とした空洞の中を歩きつつ、感じようと試みる

もう一方から。断面が将棋の駒の形になっているのは、「観音掘り」という掘り方だそうだ。残念ながら、カメラの性能の限界で隧道の中の暗い所での写真は撮れない

次いでその第二隧道。苔むした入り口近くの壁面に生える蔦が印象的だった。密集して生えている様(さま)に、何かさわさわとした意志のようなものを感じる。以前東北南部の石切場跡で感じたような

照明のない隧道を歩いていると、感覚が鋭敏になってくる。背後の隧道の入り口の竹林から、風に煽られて触れ合う竹の音が響いて来て、それとともに何かがすぐ後ろを付いて来ているような不気味な感じがする。だが、それが良い

歩いている途中、誰にも遭わず。逆に暗い隧道の中で人に出会ったら恐ろしいかも知れない。また、同行の人がいたとしても、私がこういう場所で嬉々として写真を撮っているの見て、こいつ気味が悪いと思われるだろうなと思ったりする。こんなことを考えるのは、最近読み始めた夢野久作の小説の影響かも知れない。上の「嬉々として写真を撮っている」の代わりに「さも嬉しそうに眼を細くしてニタニタと笑いながら写真を撮っているのでございます」等々という文章が頭に湧いてくる

次いで永昌寺隧道。表面を撫でて見ると、案外柔らかく、爪を立てると細かい砂が剥がれる層と、固い岩の層が重なっているように見える。下は壁面に肘をついて、できるだけカメラを固定するようにして撮った1/6秒、f4.5の写真

隧道を抜けるとすぐに、車が普通に往来する県道に突き当たる。随分と隔絶された場所を歩いて来たつもりだが、娑婆との距離が近いので、少し拍子抜けする

月崎駅に併設されている「森ラジオステーション」。ちょうど新緑が伸び、建物全体が緑に包まれている良い時期のようだ。月崎は、最近有名になったチバニアンの最寄駅でもあるそうな

今回も、私の養分、人のいない風景に身を置くことができた。

数年前にも小湊鉄道を利用して歩いたことがあったが、前回と違うのは、沿線や駅で鉄道写真撮影者に対する注意書きや立ち入りを制限するロープが非常に増えたこと。私は鉄道写真愛好家ではないが、撮影場所に行くために鉄道を利用して、その際に被写体に鉄道車両、駅、線路を含む写真を撮ることがある。鉄道写真を撮る人達の間では、良い写真を撮影するにも場所取り等の競争があるのだろう、そのためにルールを破る人も出て来るのだろうが、そこまでして良い写真を撮りたいのだろうか。そんな人達のために、所謂「撮り鉄」の人たちが一緒くたに白い目で見られるのは耐えられない。私もその一員であろうと思われるのも耐えられない。私は、鉄道写真ではないにしろ、風景、スナップ写真でもそのような競争は好きではないので、敢えて人のいない季節、場所を選んで、そして一人で歩くようにしている。人に迷惑をかけることで写真を禁じられたり、揉め事を起こして写真を撮ること自体が嫌になってしまうのを恐れるからだ。多人数で行くと集団心理で気が大きくなり周囲に迷惑をかけるからだ(それ以前に自分は気儘に歩きたいからでもある)

2018/05/19

んねぞう