津軽の旅の3日目、いよいよ最終日だが、今日は今回の旅の目的の一つである、津軽三味線の始祖、仁太坊の生まれた場所、神原を目指す。この周辺は、津軽三味線と、太宰 治とは切っても切れない繋がりがある。この稿でも、この2つについての感懐が中心になる。
初めに、津軽三味線の始祖である「神原の仁太坊」について、一言だけ説明しておきたい。神原の仁太坊は1857年、北津軽郡金木新田 神原に岩木川の渡し守の長男として生まれ、8歳の時に疱瘡で失明した。これが彼の三味線弾きとしての運命を決定付けた。それまでの三味線とは全く奏法も違う、興行の仕方も違う津軽三味線がこの仁太坊を起点として広がって行ったのである。この詳細について知りたい方は本稿の末尾に掲載した参考文献を参照されたい。
この背景にある、津軽人、津軽の気候風土、このようなものに私は惹きつけられて来た。謂わば、ここは私にとっての聖地である。
五所川原でレンタカーを借り、嘉瀬 → 金木 → 神原と大まかにコースを設定した。
2020/02/10
んねぞう
参考文献
大條 和夫, 定本 弦魂津軽三味線, 第3刷,
弘前市, 津軽三味線歴史文化研究所, 2009年7月