長浜 – Sep. 2018

湖北地方を訪れることになった。その中核都市は長浜である。長浜は、司馬遼太郎の歴史小説「太閤記」を読んだ身としては、歴史的に関連した戦国武将の名前が思い出される。まずは豊臣秀吉、賤ヶ岳の戦の際に長浜を守っていた丹羽長秀、柴田勝家、そして悲劇の武将浅井長政。長浜に来たからには、琵琶湖のほとりに立ち、石垣を湖水に浸して建っていたという長浜城を偲び、そして小谷城の跡を訪ねて見たいものだと思いながら、長浜の駅に降り立った。

下の写真は、まず湖北地方の菅浦を訪れて、長浜に戻って来てからの写真なので、既に日は暮れて、観光名所らしい黒壁スクエアの人通りも絶えた時間のもの。通りを歩いてふと目を上げると、旧開智学校、そして目の前には屋上に鉄塔を頂いた、廃墟感のある建物

既に客の波は去り商業施設の明かりもほとんど落ちている中、思うままに北国街道を歩く。人がいないのは良いが、暗いのでカメラのISO感度を上げなければならないのが辛い。ガイドナンバー9の小さいスピードライトを持参して来たのを思い出し、カメラに付けて補助光用に使う

翌朝の長浜港。鱗雲が綺麗だった。この写真だけはiPhoneで撮影

そして復元された長浜城。このような城が、琵琶湖に石垣を浸して睨みを効かせていたんだ、としばし感慨にふける。

公園の一角で、このように人が無言で佇んでいる光景を見た。植田正治的光景

長浜鉄道スクエア内の長浜駅舎内に差す日差し。赤いびろうど、木目の浮き出た床板…

向かい側の慶雲閣

通りの一角

長浜に着いた時から感じていたが、どこかしっとりした街である。それは街並みでもあり、人の穏やかさから受ける印象からかも知れない。歴史に裏打ちされ、琵琶湖という大海にも似た自然に抱かれ、経済的にも発展して来たゆとり、おおらかさなのかも知れない。そんな事を思いつつ、帰りの列車の客となった。ここに掲載した写真は、残念ながら、どこのwebにも載っているようなものにしかならなかったのは残念だが仕方がない。自分の感性がそれだけのことだったということだ

2018/09/23
んねぞう