PC歴

前史

大学院でPC6801でBasic、OkitacでFortranを使って数値計算らしきことをやっていた。 会社に就職した夏に東芝のワープロJW-3が入り、新人と言うことでトレーニングに行かされた。8インチFDですっこんすっこんブートしてました。この時の入力がかな入力のため、現在も日本語入力はかな方式。 その他ACOSのTSS端末を使って技術計算。またPasopia16なるPCも使っていた。

① EPSON HC20

給料でエプソンのHC20を買った。4行表示のモノクロ液晶、半角カナ、英数字印字のプリンタ、マイクロカセット等が一体になっていて、音階の出るブザー、Basicなどが使えた。仕事にも、趣味にも活躍してくれた。時刻指定で音楽を奏でる機能があり、結婚当初、最初の結婚記念日に、あたしが会社にいる間にBachのメヌエットを自動演奏させて奥さんをびっくりさせたり、会社の製品のトラブルの際に解析プログラムをBasicで即製で作って間に合わせたりしていた。最近まで家に置いてあったが、一昨年とうとう捨てた。意外と奥さんが愛着を持っていた。

② EPSON PC286

NECのPC9801シリーズが高いので、EPSONの互換機を買った。当時はNECが互換機にいちゃもんを付けてもめていたが、背に腹は代えられず、スター精密の132桁ドットインパクトプリンタ(時代を感じさせるねェ)と一緒に月賦で買った。5インチFDD2台でがったんごっとんブートアップする。Zeitという会社で出していたZ’s Word JGというソフト(今で言うと Power Pointのようなもの)を使って、奥さんのピアノ発表会のプログラムを作ったりしていた。あたしの手書きフォントは自分で言うのも何だが大層なものなので、ワープロは福音だった。後で20MBのHDDを付けた。最終的に知人に売却。

③ 98Note

会社でも文書作成(主に仕様書作成)にパソコンを使いだしたがまだ一人に一台は行き渡っていなかったので、奥さんに、自分のパソコンを持てば仕事が早くなって、早く家に帰れると説得して、ノートPCを買って会社で使った。当時はまだHDDなんて高嶺の花なのでRAMドライブとFDDを駆使。NECは競合会社なので、NECのロゴの上に自分の会社のロゴのシールを貼ったり、起動時に「Dynanote」なんちゃって画面を表示させる等、涙ぐましい努力もした。その後会社で赤いプラズマ画面のDynabook(J3100)が配備されるようになる。J3100ではある程度アセンブラもいじるようになり悦に入っていたりした。余談だが、会社にネットワークが布設されたが、最初はEWS用の黄色い光ケーブル、次にPC用に10Base2ケーブルが入ったが、これがシリアル接続なので、何処か一箇所で切れると繋がっているクライアント全部が繋がらなくなり、良くBNCコネクタ毎にテスター片手に机の下に潜り、断線箇所の特定に忙殺された。当時あたしは職場のOA委員をやっていて、ひどいときには一日2~3時間これにかかりきりになった。今の若い人は10Base2のケーブルなんて知らないだろう。知らなくてよろしい。 98Noteは最終的に知人に売却。個人のPCを買って早く帰れるようになったかどうかは、忘れた。

④ Wakamatsu4号機

そうこうしているうちにDOS/Vマシン – 当初はPC/AT互換機、もう少ししてOADGなんて言われるようになった – が出現、当時はDOS/V Magazineなどと言う日本語の雑誌がなくて、情報源としてはNiftyuのフォーラム(当然 当時はパソコン通信)かPC Magazine(英語の。その後日本語版も出たがいつの間にかなくなっている)なんかを買って見ていた。DOS/Vを何で知ったかと言うと、多分Niftyのフォーラムだったと思う。NECのマシンが馬鹿高く、そこに持ってきてAT互換機は安いし部品も簡単にアップグレードできまっせ、と言うのが非常に魅力的だった。ただ、デザインは「ださ」かった。Niftyのフォーラムで評判だった互換機を、清水の舞台から飛び降りる積もりで買ったのがこのWakamatsu1号機、このWakamatsuというのは買った店(*)に因んで付けている。その後の我がマシンのナンバリングルールはこれに拠っている。このショップも分裂したり、なくなったり、店舗縮小なんかしているようだ。486DX 33MHz駆動、 8MB RAM200MB(GBではない、念のため)HDD、ミニタワー、 Viewsonic 17インチモニタと言う仕様だったが、当時としては上の中というランクか。価格は、モニタ込みだと多分今のPen4 Extreme Edition 搭載のマシンが優に2台は買える値段だった。当時のチラシがあったので下に掲げて置きます。OSは同じ物がMicrosoftとIBMから得られていて、IBMのPC-DOSを入れた。 余談だがDOS/V Magazineは創刊号から2~3年継続して読んでいた。今取って置けば高く売れたかな? その間だったと思うが、IBMからOS/2がAT互換機で動かせると言う話を聞いて、早速購入してインストールしてみたが、ディスプレイドライバがしょぼいは、オーバーヘッドがかかって遅いはで、結局使い物にならなかった。 FD一箱、30枚位あったかな? このOS/2、一体何のために入れたんだっけ? 98 note以降、主に使うソフトはMifes+VJEだった。これにはお世話になりました。Mifesでの文書作成は勿論、Mifesでソースを作成、ショートカットキーでLSI-Cでコンパイル、DOS画面で実行、エラーログを表示と言う一連の作業をワンショットで実行していました。それからテキストでの作表ツール(|-=+を駆使して表を作成する)も良く使ったなあ。 そのうちにWIDEプロジェクトの一環で、インターネットへの接続ができるようになった。パソコン通信から”なんちゃら@nifty.ne.jp”なんて言うアドレスをもらって他のプロバイダの人ともメールのやり取りができるようになり、本格的e-mailだぞい、とちょっと嬉しかった。(*) 買った店: 見積を取った時は若松通商、買った時はQualest Center Wakamatsu、そして今はQualestとなっているらしい。

⑤ HP200LX

買った経緯は忘れてしまったが、これも思い出深い製品。いろいろバージョンがあるようだが、2MBモデルに10MBのフラッシュカードを付けて、日本語化して、倍速化して、エディタ、通信、表計算と八面六臂の活躍をしてくれた、ちょうどこのころから海外出張が入るようになり、これとポケットモデムを持って主としてアメリカに行く。これで完全に用が足りた。乾電池2本で3週間は使えるし、当時は凝った体裁の図書などではなくテキストで充分だったし、便利なフリーの通信ソフトもあったし(名前を失念 Webで調べたら KTXだった。作者の方に感謝)、10時間近い飛行機の中でぽちぽちと報告書を作っていた。これぞ本家モバイル、と言いたい。ワイシャツのポケットに入り、Lotus123、PocketQuicken、ファイラーなどが入っていて、本当にいつでも、何処でもオフィスって言う感じだった。ただし、メールシステムが会社のものにつながらなかったので現地のNiftyのアクセスポイント経由で通信するものだから、通信費について経理から目を付けられたりしていた。 一緒にいろいろな所に連れていったこともあり、最後に液晶の表示がおかしくなって使えなくなったが、愛着と思い出があり、小さいこともあるがまだ机の引き出しにしまってある。これもWakamatsu号。

 

 

今は、もう、動かない、おじさんのPDA…

⑥ MobileGear

HP200LXの後継の積もりで買ったのがNECのMC-R510。明後日に米国出張と言う日に秋葉原で買ったが、帰宅して開けてみるとキーボードの「」がもげていて、翌日慌てて交換しに行ったと言う曰く付きのもの。これも軽くて小さくて電池の持ちが良く、モデムも内蔵されているので携帯性が良かった。カラーなのも良かった。ただし、内蔵の通信ソフトの使い方が今一分からなく、いろいろやっているうちに何となく繋がっていた、と言う感じで、最後まで馴染めなかった。いまも完動状態で保管しているが、最近はなかなか出番がないのう。こうGUIが進んでくると、画面の大きさとソフト/データの互換性が重要になり、Windows98の世界で仕事をしているとWindows CEというのはどうしても中途半端という感じが否めなかった。これもWakamatsu号。

 

 

久しぶりに火を入れてみた

 

⑦ Workpad C3

MobileGearの物足りなさにつられて買ったのがこれ。会社で使っているLotus Notesとのスケジュール/メールの同期が使いやすかった。またゲームも多くあり、遊ばせてもらった。一度何をやっても立ち上がらなくなって有償修理で新品に交換してもらった。現在はもっぱらPrairie Home CompanionのHPからダウンロードしたScriptを入れて読んでいる。

⑧ ⑨ Wakamatsu 8→9+

本格的Windowsマシンとして導入。当初の仕様は、PenIII@500MHz、 64MB×2 RAM、20GBHDD(ここらへん記憶曖昧)、Matrox G400 ビデオカード、Sony CPD G200(当時垂涎の17インチトリニトロン管だぜい)、その後徐々に成長して、今はWakamatsu9+として Pen III@850MHz、 384MB RAM、120GB UltraATA HDD、カノープスMTV1000、IEEE1394カード、USB2.0アダプタ、USBにオンキョーWAVIOのオーディオセンター、CanoscanD1230U、Logitechのワイヤレスキーボード、マウスなどが繋がっている/入っている。 本格的Windowsの時代に入り、アプリケーションはLotus1-2-3Ami Proがメインとなった。私に取ってAmi Proの使い勝手はWordよりずっと良かった。作表機能はずっとお利口だった(当時)し、作画モードもずっと保持していてくれた。Wordでは線を一本引くと罫線モードが解除され、続けて引きたいときにも罫線のボタンを押さなくてはならない。これが私は嫌だ。 だが今は会社の標準がMS系になったのでOfficeを使っている。 HPを開設したのもこのマシンでだった。

いろいろ繋がっちょります。 ケーブルと電線がごちゃごちゃ ⑩ Wakamatsu10

出張の際に⑥のモバギでどうしても物足らなくなったため、また奥さんを説得してDynabookを購入。薄型の形と色がお気に入り。ノートPCならばIBMか東芝だと思うのだがどうだろうか。出張先でアメリカ人の技術者の一人がこのPCを見て、jealousと何度も言っていた。電池の持ちが1時間しかないので、大枚5万円をはたいて座布団バッテリーをつけた。出張の時に長時間飛行機に乗るので、長時間持つバッテリーは必需品。これで5時間確保。 このPCの最大の弱点はACアダプタケーブルの本体とのコネクタが華奢なこと。丁寧に扱っている積もりだがどうしても引っかけたりしてしまい、接触が緩くなって、熱を持つようになってしまった。このため、ACアダプタごと買い換えることになってしまった。その後の東芝のノートPCを見ていると、この形式はなくなっている。 途中でディスクが昇天なされたたため、Webでの情報を参考に2.5インチディスクを買ってきて交換している。幸運なことに今は正常に稼働中。現在家族の共用PCとしてリビングで活躍している。現在は会社でノートPC(Pentium M 1.7GHz)が支給されているので出張で持って出ることはなくなった。

座布団電池付き

無線LANカードを突っ込んでいる

この薄さが好き

座布団電池 その後…とうとうDCコードと本体の接触がいけなくなり、思い切ってケーブルを切断して基板にはんだ付け。下の写真はその様子。

 

⑪ Wakamatsu11

下記にあるようにDVのエンコーディング時間が長いのが非常に気になって2005年の正月に思い切ってPen 4マシンを組み上げた。仕様は下記の通り。

  • Pentium 4 530 (LGA755, 3.0GHz)
  • PC3200 DDR 256MB RAM×2
  • ASUS P5GDC-V Deluxe MB
  • Hitachi Global Storage SATA 120GB HDD
  • Century CSA-2209 450WPSU付きケース

CD、DVDドライブ類はこれまでのものを使った。また、今まで使っていたMaxtorのHDDをBIOSがどうしても認識してくれないので、どうしようもなくて上記のSATA HDDを買って付けた。これまでUSB2.0 IEEE1394インタフェースカードを差していたがMBがNativeでサポートしてくれているので、PCIスロットが整理できて快適だ。 ただ、ワイヤレスキーボードを起動時に自動認識してくれないので、立ち上げてログイン画面が出た所で受信機のUSBケーブルを抜き差しして認識させている。これはとても不便。USBポートを替えて試してみたが、変わらない。何かそのうちに対策が見つかるだろう。あと、Power LEDのコネクタがケースとMBで合わないので、今は点いていない。あと、ケースにファンが3つ(電源ファン含む)、CPUファンと合わせて4つのファンがあるが、CPUのパッシブダクト用のファン以外を動かしてもかなりうるさいので、今はパッシブダクトと背面排気ファンを止めてある。 Wakamatsu9+はモニタ、ドライブなどを足していつでも稼働できるように保管中。

スーパーホワイトのケースが眩しい

⑫ Wakamatsu9 Plus

⑪でWakamstu9を保管したが、これにDVDコンボドライブ(東芝製 2880円)、マイク、スピーカを買い足し、HDDはWakamatsu11に付けていたATAのドライブを移設し、妹のご主人から要らなくなったと言うモニタ (17インチのTrinitron!!) を貰って組み上げた。これは05年の夏休みに車で田舎の生家に運んで設置した。キーボードはそれこそ14年前のWakamatsu4のものを流用したので黄ばんでいるが、完動している。

⑬ Wakamatsu12

かつて私の仕事PCとして活躍し、その後は今まで我が家の共有PC兼我が奥さんのPCとして使われていたdynabookだが、いろいろ不具合があったり、時代と共にパフォーマンスが追いつかなくなって来て、あまりにも奥さんが可哀想なので跡継ぎPCを購入した。できるだけ予算を絞った物を調べていたところ、ASUSTEKのeeePC901が見つかったので購入。 メールとwebのブラウジングしかしないので、これでOK。

■ 今思うこと

いつかはあたしのパソコン歴について纏めたいと思っていた。DOS/V歴としては長い方に属するのではないかと思う。これまでに投資してきたお金がどれだけになるかを考えると、よくあれだけのお金があったなと思う。今は子供の教育費、住宅ローンでそれどころではない。 技術と言うか市場の変化も大きい。ビデオで撮った映像をDVDに記録して保管するにあたって、エンコードの遅さを何とかしたいと思って、久しぶりに自作PCの雑誌を読んだが、隔世の観がある。メモリが8MBでン万円、HDDが200MBでン万円、17インチのダイヤモンドトロン管で十ウン万円、CPUに数値演算プロセッサが付くと「DX」と言う名前になったりという時代から、今は何だって?。単価にするとメモリで3桁、HDDでは4桁も違うではないか。DOS(DoS)などと言うと、今の人は別のことを思うのではないだろうか。 そういえば、部品を自由に交換できるが、上手く行く、行かないは自分の責任、「自己責任」と言う言葉を覚えたのもこの時だった。今は高校生の息子もこの言葉を使う。Zeitという会社もなくなった、VJEというFEPも聞かなくなった。PC/ATを生んだIBMもPC事業を中国の会社に売却することが決まった。ブラウン管時代に一世を風靡していたブランドのトリニトロンナナオも液晶が主流らしくなった現在、あまり威光があるようにも思えない。Gateway2000も従業員自身がPC Magazine(英語版)の宣伝のページに出ていた頃から見ると、日本進出、その後撤退、最近また勢いを盛り返しつつあるか?Windowsが実用の物になったWakamatsu9ではチップセットは815だったが、世間ではちょうど100進んで915だ。PCMarkというベンチマーキングの結果は、Wakamatsu9+では1175だったが、Pen4 530ではその4倍近い(3894,「パソコンの自作」日経WinPC 1月号臨時増刊P.37)。 あたしのDOS/V機観は、仕事の道具であり、おもちゃでもありと言う所か。部品を自分で買ってきて組み付け、ところどころマニュアル通りに行かないけれど、何とか動いちゃう、と言う「いい加減」な所がちょうど良い。動くかどうかどきどきしながらスイッチを入れ、駄目なときは首をひねりながらあちこちいじくり回し、場合によってはどうしようもなくなって別の部品を買いにショップに走ったり、なんてのが良いんでしょうね。ケースも微妙にネジ穴が合っていなかったり、ここに差して動かなかったら別の場所に差して、とか。個々のコンポーネントは精密なんだけど組み合わせのアバウトさが対照的だ。こんな考えがインターネットにも引き継がれている気がする。パケットが何処の経路を通ろうが別にいいじゃん、届けば。速度もベストエフォートで…と言うところが。

2005/01/04 Wakamatsu11その他を追記 2005/01/10 Wakamatsu10のその後を追記 2005/01/23 Wakamatsu 9 Plusを追加 2005/08/28

 

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