東北南部の街の雪灯篭祭りに行って見た。本当は翌日が本番、今夜はプレ点灯。まだ製作途中の灯篭もある。気温は零下。会場は、今は市内随一の大きな神社が鎮座している城跡の公園、晴れた空に満月に近い月が輝いている
会場は暗い。高感度性能の評価の高い自分のカメラと、手振れ補正機能を搭載したレンズで、絞り開放(F4.0)で手振れしない最低のシャッタースピード(1/10秒)を確保するために、ISO6400まで感度を上げなければならない。三脚を持って来ている人が多いのも頷ける。
元は櫓のあった高台からの眺望。下界で寒い寒いと言いながら、それでも何かやっている人間たちを見降ろしている月
高台に立っている桜の木が雪に覆われたお堀に影を落としている。私の好きな光景の一つ
灯篭は、学校、企業、団体がボランティアで作っているようだ。
まだまだ灯篭作りに励んでいる人が多く、子供たちも一生懸命手伝っている。
そのような騒ぎをよそに、雪に埋もれた堀に浮き立つ風紋。この場を後にして、人のいない町外れに足を向ける
会場での喧騒を後にして、町外れの、人のいない辺りに向かう。雪のせいで道幅がせまくなり、車、人それぞれが気を使いながら歩く。それも途絶えた辺り。
無人駅の夜。近くの山がほんのりと月明かりに照らされている。
中学校の跡地に残った桜の木にかかる月
雪灯篭については、やはり暗さが仇となって、手持ちでは感度を上げざるを得ず、画質が荒くなってしまった。あまりそういうことには拘らない私でも、もう少し感度を下げて、絞ってもっと肌理の細かい写真が欲しかった。また来る機会があったら、三脚の持参を考えてみたい。
その後も人気のない道を歩いたが、聞こえるのは氷点下で凍った雪をザクザクと踏みしだく自分の足音、見えるのは明るい月と星空、雪野原と葉を落とした枝に雪を載せた木々。その中で知らず知らずに、高校時代に音楽の授業で聴いたシェーンベルクの「浄夜」のイメージが浮かんで来た。気持ちが浄化される思いだ。
今宵は煌々と輝く月に伴われた雪景色を堪能させてもらった。
2017/02/10
んねぞう
[後記]
本稿を書いた後にシェーンベルクの「浄夜」について調べて見たが、出典としているリヒャルト デーメルの詩があけすけに性を主題としているとのことであった。ドイツ語の原典の訳をWebで見た。確かに、男女の性に関わる問題が、二人の間で浄化されたということであった。私の場合はさしづめ煩悩の浄化と言うことになろうか。とにかく今のところは私の「浄夜」に対するイメージは変わらない。