谷戸探訪 – Feb. 2018

東北新幹線で栃木、福島のあたりを走っている時に、山側に小高い山や丘に挟まれた狭い土地に田んぼがあるのを見ることがある。このような土地を谷戸(やと)と言う。正しくは、丘陵地が浸食されてできた谷状の地形のことを言う。
その先はすぼまっているように見えるのだが、実際はどうなっているのか興味があった。だが、往々にしてそのアクセスの道がないため、おいそれとは入って行けない。

今日、車で1時間程の丘陵地帯で、谷戸の先端まで歩くことができた。

まずは丘陵の麓から。面白いペインティングの家。

溜池。先日の雪が解けずに残っている。日向と日陰の差が大きい。溜池の真ん中に社が祀ってある。溜池ができる前はこの下に鎮座していたのだろうか。

丘陵の尾根に向かって登って行く。

冬の弱い西日の差す、気持ちの良い尾根道を歩く。場所は横浜と町田の境目のあたり。

竹が多く生えている。一本の竹にハイライトが当たり、別の竹の葉が影を落としている。このような光景が、何故か好きだ。焦点距離35mmのマニュアルフォーカスのレンズで絞りF2だと狙ったところにピントが合わせられない。

しばらく尾根道を辿った後、適当な所で降り、それでは谷戸に突入。折からの西日の逆光でゴーストが映り込むが、構うことはない。ここは農作業のためだろう、狭いながら道が続いている。丘に挟まれているため日照が少なく、あからさまに雪が残っている。

それもなくなり、人一人が通れるような踏み跡を辿る。時々地面から水が浸み出していて、足場を選びながら歩かなければならない。

一筋の水の路。ここで途絶えている。と言うか、ここから始まっている。

もう少し進んで、谷戸の突端がここ。しばらく佇む。聞こえるのは、水がどこからともなく流れ込んでくる、ちょろちょろと言う音、奥の藪の木の枝から雪が落ちるざざーっと言う音、枝から滴り落ちる水滴の音、遠くで鳴くカラスの声、そしてはるか高空を飛ぶ飛行機の爆音、以上。

丘陵の表面を伝って流れて来る水、地層を通って浸み出して来る水、これが少しずつ合流して幅10センチくらいの流れになり、やがては田を潤すだけの水量になる、こういうことを実感した。

スメタナの「わが祖国」と言う交響詩の中に、余りにも有名な「モルダウ」と言う曲がある。これは、モルダウ川がその源流に発して最後には大河となってエルベ川、ドナウ川に合流する様を描写したものだが、出だしがフルートのpianoでかそけき音で始まる。それが、水がどこからともなく流れ出して来る、密やかな音と凄く合致するのだ。今回このような場に身を置いてみると、その描写の妙に納得が行く。勿論、この谷戸はドナウ川等とはスケールが違い過ぎるが、多分源流は、いかな大河であっても同じはずである。してみると、いま立っているこの場所は、ひょっとしてそのドナウ、或いはミシシッピ、或いはガンジス、或いは黄河、或いはアマゾンの源流、などと想像するとぞくぞくして来ないか?

谷戸の突端から歩いて来た方を見返す

昔は、谷戸と言う地形は水の確保が比較的容易だったので稲作が良く行われていたそうだ。ただし、地形が谷なので日差しに難があり、こまめに斜面の下草刈りをしなければならないこと、水の温度が上がらないまま水田に流れ込んでしまうために米の品質が良くない等の欠点があるそうだ。

これまで新幹線の車窓から、ミステリアスな気分で眺めていた谷戸について、実際にその場に立って、感じることができた。多分谷戸毎に、違った奥の姿があるのではないか、今度はこれが楽しみになって来た

2018/02/03

んねぞう