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第三次津軽旅行

3日ほど津軽線沿線を旅行して来た。主な目的地は竜飛岬。

2014年に三厩を訪ねて以降、いつか竜飛岬に立ってみたいと思い続けていた(んねブラ 風の強い街参照)。

今回、奥さの強い後押しを貰い、竜飛を訪れることができた。途中、三厩、蟹田も再訪し、写真に収めてきた。

三厩再訪 - Feb. 2018

蟹田再訪 - Feb. 2018

竜飛 - Feb. 2018

その際の、写真以外のあれこれ。

① 持って来るレンズを間違えた

メインとなるフルサイズデジタル一眼レフカメラにはてっきり防塵防滴型のズームレンズが付いているとばかり思っていたが、青森駅で、いざカメラを取り出して見たら単焦点、非防水、マニュアルフォーカスレンズだった。単焦点、マニュアルフォーカスはまた良い、防滴型でないため、今後雨が予想されるところでの撮影が難しくなる。どうして鞄に入れる前に確認しなかったのか。このショックから立ち直るのに1、2時間を要した。まあ、このレンズは35mm相当、サブカメラは28mm、ワイコンつけて21mm相当で被ることはなくて良かったと無理矢理心を落ち着ける。

② カメラが故障した

3日目、雪の降りしきる三厩の海岸で撮影した後、雪だるま状態で三厩の駅に入りカメラをしまおうとしたところ、操作ボタンがおかしくなり、動作が変になっていた。例えば、再生ボタンを押すと何故かライブビューモードになる。MENUボタンを押すと画像のロック画面になる。キャンセルしようとしても選択のダイヤルボタンが利かない、等々。一応シャッターは切れるようなので、露出補正-0.5Evで変更が効かないまま、撮れたかどうかは帰宅してパソコンで確認できるまでわからずという、まるでフィルムカメラのような状態で使うこととなった。液晶画面のガラスの内側も水蒸気で曇っている。

もともと防塵防滴のボディなのだが、買ってから4年半、オーバーホールせずに使っているうちに、どこからか水が入るようになったのかも知れない。

④ 靴の水漏れ

カメラはそれでもシヤッターが切れ、またサブカメラがあるからまだ良い。今回の旅行で雪の積もっている中を雪が靴の中に入るのにも構わずずぼずぼ歩いているうちに、3日目になって履いている雪靴に穴が開いたらしく、浸水しはじめた。しばらくは我慢していたが、冬の海岸でじっとしていると足が冷えて来て寒いのと気持ち悪いのには参った。それほど使用頻度は多くないが、買ってから長く経っているために、そろそろくたびれたのかも知れない。本当の豪雪地帯では、雪は雪のままで解けて水になるということはないので、これまで気づかなかっただけなのかも知れない。実際津軽地方の雪は何となく「柔らか」で、降って積りはするけれども、昼頃になると解けて水溜まりになっているということが多いような気がする。

⑤ 味噌カレー牛乳ラーメン

帰途に青森駅で昼食を食べようと、駅前の食堂を物色していたら、青森県民のソウルフードの一つだという触れ込みで味噌カレー牛乳ラーメンなるものがあったので、話の種に食べて見た。それも大盛りで。

味はと言うと、おいしい。

おいしいが、味噌は味噌ラーメン、カレーはカレーライスで食べたいな、と思った。

⑤ イギリストースト

東北新幹線を新青森で降りて、奥羽本線で青森に着いて、上述したようにレンズ間違いでダメージを受けながらも、津軽線の乗換までまだ時間があるので、まず賑やかでない方の西口から駅を出る。ぐるっと跨線橋を回って青森港のあたりをぶらぶらして、駅の東口の改札から各路線への連絡通路に上がったところにこぢんまりした売店があり、ちょっとした土産物なども置いてある。その中で、「イギリストースト」という札が目に入った。以前何だったかのテレビ番組で青森では非常にポピュラーな食べ物だと紹介されていたっけな、とちらっと思ってそのまま通り過ぎた。津軽線の列車に乗り込んだら、社内はロングシートで、筋向いに老夫婦が座っていて、ご主人の方はビールなんか飲んでいる(発車時刻は11時1分なので10時台だ)。ご夫婦の会話が多分青森弁なんだろう、意味はさっぱり分からないが、何故かほっこりして聞くともなく聞いていた。すると、ビールを飲み終わったご主人はやおら平べったいビニール袋を開け、食パン2枚重ねの食べ物を取り出してぱくつき始めた。あっ、ひょっとしてこれは件のイギリストーストか、と思って、見るともなくちらちらと見ていた。

食べ終わってしばらくしたら、今度は少し離れて右隣に座っていた老人が、また同じようなものを食べ始めた!!

素晴らしい。素晴らしいのは下記の2点

i) 青森の人は車内でビールも飲むし、御飯も食べる。と言うか、そういうことができるのんびりした環境にいる

ii) イギリストーストは青森の人のソウルフードである、と言うことの例証を見せつけられた

誰しも旅をすると違った景色、習慣に触れて面白いと思ったり、驚いたりすると思うが、とにかく青森に来ると、私はほっこりするようなことが多くて楽しい。

⑥ 階段国道

冬は凍結の恐れがあるため閉鎖。残念なような、ほっとしたような。

⑦ 清酒 じょっぱり

出ました、当然あると思ったこのネーミングのお酒。地酒らしい、がつんとくる辛口のお酒でした。2泊二晩連続で頼みました。

⑧ 津軽旅行必携

  1. 大條 和雄著 「定本 絃魂津軽三味線 」  行き帰りの新幹線の中で、これを読んでいた。津軽に行く時は必ず持って行っているので、大分くたびれて来ている。
  2. 太宰治 「津軽」 これはiPhoneの青空文庫に

2018/02/12

んねぞう

12

02 2018

三味線のさわりとサロードのジャワリ

西洋のバロック期以前の古楽器について調べているうちに、インドのサロードとシタールに「ジャワリ」と言う部品が付いていて、これが意図的に弦をビビらせて独特の音色を出すのに役立っているということがわかった。語感が似ていて機能が全く同じ三味線の「さわり」と似ているので、偶然ならすごいと思う。

えーと、西洋の古楽器から何でこんなところに来たんだっけ、そうだ、リュートのことを調べていたらこんな所まで来てしまったのだった。

そもそもはビオラ ダ ガンバ、ヴィオールのことを調べ始めていたのだった。何か一つのことを出発点に、どんどん広がって行く、面白い。面白いがこれを知識として覚えて置くほど頭の容量がないので、このようなブログで、自分の理解の軌跡として残して置く。そうしておくと、後で参照することができる。

2017/08/05

んねぞう

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08 2017

津軽三味線の系譜 – 5 (じょんから節考)

津軽三味線の主要な曲目の一つであるじょんから節につき、いつもながらのピントはずれのお勉強。

「じょんから節」の起源

背景① 千徳氏滅亡の悲劇

慶長2(1597)年、津軽の浅瀬石城(千徳氏)が津軽為信に滅ぼされた際に城下の神宗寺の住職常縁和尚が千徳家先祖代々の位牌を背負い城の崖から身を投げた。この悲劇を歌った節が「じょんから節」として周辺の土地の人に受け継がれてきた。その歌詞の中に「恨みは常縁 河原淵」と言う一節があり、これから「じょんから節」と言う名前となった。ただし、これは津軽三味線のじょんから節と直接の関係はないようだ。

背景② イタコの「口寄せ」

村のある家でイタコを招きそのイタコの語った死者の語りを、その場にいなかった村人達へ口伝えされて行く。そのことを津軽の方言で「ジョンカラをまがす」と言う。イタコの人気は死者の境遇を言い当てることの他に、語りの節回しが大事。また、その後の酒宴で歌の上手なイタコは人気があった。ジョンカラ節の語源はこの方言から来た。耳を澄まして聴くと言う習慣、語ろうと言うものにはたとえ坊様のでもホイド(乞食)の口説であっても聴き、感激した。

背景③  門付けの坊様のジョンカラを聴いて唄好きのエフリコギが村の祭りでバシラぐ。

エフリした唄に聴き手はジャワメイた。原型のジョンカラから節が変化し続けるジョンカラに目をつけていち早く三味線を付けたのが豊月だった。

背景④ 明治中期の唄会では、ジョンカラもヨサレもオハラもまるで区別がつかないくらい平明で単調だった。

森田源助のジョンカラは「鈴木主水」であった。出崎の坊の得意唄は「小栗判官照手姫口説」、寅坊の得意唄は「鈴木主水」だった。

以上から、「ジョンカラ節」は、特定の歌詞、旋律を持っている曲ではなく、口説(じょんから)に節を付けて演奏される曲の総称である、と理解する。

今日はここまで。ふう。

2017/04/23

んねぞう

23

04 2017

津軽三味線の系譜 – その4

独奏楽器としての津軽三味線の曲と言えば、じょんから節、おはら節、よされ節の3曲が有名だそうだ。
これら以外にもいろいろあると思うが、弥三郎節は特徴的な滑稽さを帯びた旋律なので、すぐわかるが、私は申し訳ないことに、じょんから節がどういうものかまったくぴんと来ない。一つには、西洋音楽のように決まった楽譜と形式がなく、例えばバッハのミサ曲ロ短調であれば旋律ははっきり書いてあるし、誰が演奏していもこれはバッハのミサ曲であるとわかる。ところが、いろんな人が「じょんから節」を弾いているのを聞いても、これが同じ曲であると理解ができないのである。それもまた、じょんから節には旧節、中節、新節とあるそうで、これがますます事態をわからなくさせている(私だけの話ですが)。元来津軽人の気質から、他人の模倣を嫌うために、統一した旋律などあり得ないとしても、わからなさにも程があると、私は思うのだ。
そこで、まずじょんから節の比較の基準として、手元にあった高橋竹山の中節の演奏を採譜して、他の演奏と比較をしてやろうと思った。

昔は紙の五線譜と音符用の万年筆で楽譜を書いたものだが、最近はパソコンで楽譜を作成するフリーのソフトがあって、ありがたい世の中になったものだ。因みに今回見つけたソフトはMuseScore(ダウンロードページ および ハンドブックページ)。入力した楽譜を演奏して確認することまでできる。また、用途違いかもしれないが、曲を何回もプレイバックして、1小節ずつ送りながら聞き取るために、WavePadと言うソフトを使った。

4分前後の曲だったが、採譜を終わるのに5時間くらいかかった。自分の音感(相対)はそれなりに自信があったが、採譜の途中で調性がおかしくなって時々「あれ?」と思うことがあって、これはもともとなのか、加齢によるものか、はたまた脳味噌がアルコールに冒されたせいなのか、いずれにしろ少しがっかりした。

演奏のパッセージが早い部分は正確に五線上に表現するのは当方の耳が追いつけていない点があって、怪しいところ満載だが、全体の旋律を確認するには充分なものができたと思う。

津軽三味線と言うものを理解するのに、演奏を西洋音楽の譜面上に採譜して比較しようと言う、このようなアプローチが正しいかどうかは知らない。変な方向に行っているのかも知れないが(多分そうなんだろう)、人に押し付けるつもりもないし、自分がどこを間違っているかということに気付くための一つのプロセスだと思って、生暖かい目で見てやってくだせえ。

さて、これ(↓)がその楽譜。出典のmp3ファイルも対照のために置きたいが、著作権があるだろうから控えざるを得ない。

津軽じょんから節_中節

取敢えず今日はこの採譜でお仕舞。これが今週末の成果。演奏の比較はこの次。

2017/04/09

【追記 2017/04/15】

今日楽譜を見直していたらかなり間違いがあった。拍の勘定を間違えて小節数が違っていたり、オクターブ低く記譜していたり。速攻で修正し、アップロードした。

んねぞう

 

09

04 2017

津軽三味線の系譜 ー その3

これまで、本を読んで、また演奏を聴いて、自分なりの津軽三味線に対する理解を以下に記す。

 

文化的、歴史的背景

  • 津軽三味線は、津軽地方の人の性向、文化と密着している。

  • 江戸から明治時代にかけて、盲人男性は「坊様(ボサマ)」として、按摩、三味線等の職業にしか就けなかった。門付によって収入を得ていた。
  • 津軽地方にも、瞽女による三味線音楽が定着していた

 

津軽三味線の起源

  • 安政4年(1857年)北津軽郡神原に生まれた仁太坊が、義太夫に影響され八人芸(ハチヌギゲイ)を始める。劇的効果を上げるために叩き三味線の奏法を創始。

 

津軽三味線の発展

  • 叩き三味線の系譜として、仁太坊の後、白川軍八郎(津軽三味線の神様と称される)、木田林松栄、福士政勝、弾き三味線の系譜としては、太田長作(長泥手の創始者)、高橋竹山がある。
  • 演奏の場…門付/盛り場、祭礼の場。明治末から唄会。
  • 当初は唄の伴奏の位置づけ。亀坊が唄の変化に対応する演奏を始めた
  • 嘉瀬の桃太郎が伴奏楽器から独奏楽器へ地位を高めた

 

音楽としての津軽三味線

  • 津軽人の気質(上記構造図参照)である「ナ、ナダバ」の精神に基づき、他人の模倣を非とする奏者、聴衆の姿勢により、当初唄の伴奏に甘んじていた地位から徐々に独奏楽器にまで上り詰め、演奏そのものも情念を叩きつけるような派手さ、技巧を競う。他人との差異化のため、奏法も各自が工夫し、演奏も即興性を重視する。

 

整理すべき点

  • 「じょんから節」の定義…その起源。演奏、旋律の多様性に対する理解。

じょんから節は口説から来ている(cf.「じょんからをまがす」)。じょんからに合わせて伴奏した三味線が、口説に合わせて旋律が変化することは理解する。その後独奏楽器としての三味線がじょんから節を奏でる場合、依拠する口説がないのに「じょんから節」として独奏することに対する疑問

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03 2017

津軽三味線の系譜 ー その2

さて、その本とはこのような本である。

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03 2017

津軽三味線の系譜

以前津軽を旅した際に買い求めた本がある。その本は、津軽三味線の根源を丹念に踏査し、聞き取り、そして余り記録に残っていない軌跡をまとめた労作である。私が津軽三味線を聴き始めた当初、完全に西洋音楽、それもバロックに根っこを持つ我が身としては、音程の取り方、アインザッツのl仕方、同じ曲なのに人によって何故こんなに旋律が違って来るのか等、戸惑いの連続だった。

それで、そもそも津軽三味線とは何か、と言う知識を本に求めた。如何にも音楽そのものを聞いて本質を捉えることのできない私らしい振る舞いだ。金木と言う、津軽三味線の発祥の地と言われ、或いは太宰修の生まれた地と言えばわかる人の方が多いかも知れない土地を訪れた際に買ったものである。

装丁は簡素、しかも活字が少しかすれ気味と言う、誠に素朴な本であるが、津軽三味線の根底となる津軽人のメンタリティから説き起こされていて、非常に参考になる。その後2,3回津軽に通ったが、行き帰りの新幹線の車中、読みふけったものだった。それが、この1年余り前から、この本の行方が分からなくなり、折に触れ探索を試みていたのだが、結局分からず、先週、いよいよ古本を買い直すしかないと思い定め、Amazonのサイト等を眺めていた。どうもこの本らしきものはなく、それらしいものがあっても程度が良くなくて値段も高いなぁ、などと思っていたところに、奥さんから、これから買い物に行くから車を出して、と言う声に促されて玄関に出て、ふと玄関から二階に行く階段に積まれている書籍の中に、何気なく積まれている本を手に取って見たら、それだった!

今夜はこれまで

2017/03/12

んねぞう

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03 2017