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有難いお札

現代美術で、意識低い系の私の目から見て、これってごみなのでは?というような作品を目にすることがある。しかし、これが意味ありげに陳列されているのであらあら不思議、芸術作品ぽく見えるじゃん、ということがある。つらつら考えてみるに、物質的にはゴミなのに意味ありげに見えるのは環境が大きいと思う。美術館のように、落ち着いた雰囲気、照明の中で、如何にも大事そうに箱或いは額縁に入れて、気軽にさわれないようにしてあるのが良い。そして、極めつけはお馴染みの「Please do not touch the work」だ。おいらはそこらの道端に落ちているごみとは違うんだかんな、心して見ないといかんのだかんな、と言う駄目押しのメッセージだ

そこでだ、建物、照明、陳列箱はすっ飛ばして、上のようなお札を作ってみた。これを使ってごみを尤もらしく置いてみよう

もう、ここではネタばらしをしているので、見ている人にはごみとしか見えないだろうが、いったん心をリセットして見て欲しい。ここは、しょうもないブログの一頁などではなく、現代美術の頂点の一つであるニューヨーク メトロポリタン美術館所蔵品のカタログである、と、暗示をかけてみて欲しい。いやいや、そんなことはないだろう、ただ自棄糞にごみの写真を並べただけやんとは思わず、ほらほら、ゴミでも陳列されている美術館はざらにあるので(暴論)

どうだろう、どれか一つでも、ん、このブツには裏に何か深い意味があるのでは…と思えて来んとですか…もし少しでもそう感じられたら、おめでとう、あなたはすでに、何物にも囚われない、芸術鑑賞眼の持ち主です。次は、お札なしのステージです

2023/07/17
んねぞう

続 : 今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。

杉本博司の展覧会についてこの前の記事で書いた時に、東京都写真美術館のHPを見たら、図録が発売されていたことに気が付いて、早速調べてみたが売り切れていた。諦めきれずに古本を探したら、神田の古書店で取り扱いがあったので、価格が高くなっているのには目をつぶって(奥さんにも目をつぶってもらって)購入した

それがこの本

表紙には何もタイトルの文字が書かれていない

背表紙もなく、綴じたままの体裁。表紙と言い、背表紙と言い、この展示の内容のコンセプトをそのまま体現したものであると感じた

ひょっとして前の持ち主が自炊した後かと思って、Webで画像をいくつか確認してみたが、みなこの形だったので安心したことは自分の肝っ玉が小さいことの証左である

この本の体裁を見て、私も一つ「今日、世界は死んだ。…」のEpisodeが思い浮かんだ

34 製本職人
今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。
        製本職人としてこれが最後の仕事になる。書籍の電子化が進んだ中、昔の紙の風合い、手触りを持った製本版を求める天邪鬼も多少はいたが、所詮は大きな流れの中の泡に過ぎなかった。
        今は電線を頭に差し込んで情報を一気に流し込めるようになって、一部の人間は電波か何かで直接やりとりしているらしい。いちいち文字を目で追うより手っ取り早いらしいのだが、その手の人間の言うことがわからなくて苦手だった。仕事を進めるうえでも一体どこで何が決まってどうしてこうなっているのか、さっぱりわからない。
        路上で人間が突然泡を吹いて発狂したようになって、専用の救急車で運ばれて行くのを良く見たが、離れた相手と脳味噌同士を直接繋いでいるうちに喧嘩になったあげく、人格を破壊されるまでやっつけられた結果なのだそうだ。言葉、文字という媒体を介さずに繋ぐとお互いの自我が剥き出しになるからだと、誰か偉い学者が言っていた。このあいだ、その伝でどこぞの国の大統領ともう一つの国の大統領の間でそれをやってこじれてしまったことが人類の滅亡を決定付けた最後の一撃だったらしい。
        それはそうと、この仕事を仕上げたかったのだが、職人仲間に頼んでいた背表紙の材料はとうとう届かなかった。編集者は表紙のタイトルが決まらないまま死んでしまった。ということで、俺にできることはここまでだ。本を作るということは文化を伝えることだと思っていた時期が俺にもあった。最後の本がこのような形になってしまったのも、人類の文明の終わり方を象徴しているようで、ある意味相応しいかも知れない。さて、後の文明があるのか、この本が発見されるのか、発見できたとしてもこの本の内容を把握できるかどうか期待もしていないが、俺はこの本を手に、この文明の最後のArchiverとしての自己満足を胸に、眠りに就くことにする

こういうことを考えさせられるということは、私もまんまと作家の術中に嵌ったということだろう

図録とは別に、入場者には小冊子が配布されていて、このスキャンを取っておいたが、美術館のHPにもこのイメージが掲載されていることがわかった

東京都写真美術館 杉本博司 ロスト・ヒューマン 作品解説のURL

  • “https://topmuseum.jp/upload/3/2565/sugimoto_list.pdf”
  • “https://topmuseum.jp/upload/3/2565/sugimoto_list_0903.pdf”

直接リンクを張っても良いのだが、昨今のご時世で不用意にリンクを踏むと変なことろに飛ばされるのを警戒する向きもあると思うので、敢えてダブルクォーテーション(“”)で囲み、自分の意志でコピーペーストしてアクセスして頂くようにした。また、ここで直接リンクを張ると、ひょっとして相手先にTrack Back依頼などが行って変なことになるかも知れないのを避けるためもある

公式HPで既に公開されているし、自分のものの方が長期間放置されていたせいで紙が陽に焼けて、いい具合になっていると思うので、掲載しても良いだろうと判断してアップロードしておく。本当の目的は自分の資料の散逸防止のため。オリジナルのサイトにリンクを張ってもいつの間にかリンク切れになっていることがしばしばあるので

リンクはこちら

2023/01/19
んねぞう

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今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。

部屋を片付けていたら、2016年に東京都写真美術館で開催された杉本博司の「ロスト・ヒューマン」と題された展覧会の作品解説・出品リストが出て来て、しばらく読み耽ってしまった。その大きな部分を占めるインスタレーションの解説文が、すべてタイトルに掲げたような一文で始まる。人類が、その文明の終焉を迎えるにあたり、色々な立場の人間が、自分の遺伝子の保存処理をおこなったうえで死に臨むにあたっての感懐という形の文章が続く

作品解説・出費リストの一部 - 画像を加工してあります
作品解説・出品リストの一部 – 画像を加工してあります

展覧会から6年が経過して、その間世界に色々なことが生じているのを見るにつけ、氏の感覚の確かさを感じる。新型コロナウイルスの感染拡大、米国での大統領選挙をめぐる一連の騒動、ロシアのウクライナへ侵攻等。このような「事件」という形で表れているものの他に、地球環境の温暖化に伴うSDGという考え方によるパラダイムの変化、テクノロジーでも、文字、紙、車輪、蒸気機関、半導体の発明等を経てAIが人類の頭脳を凌駕するシンギュラリティのポイントに達する時も近いと言われている。20世紀に出現した相対性理論、量子力学により、人類の宇宙観も大きく変わった。人類には宇宙の全体像の把握は不可能に近く、また直観的に知覚できない「何か」によって天体、銀河、大規模構造の運動が支配されており、翻ってミクロの世界に目を向けるとすべてのもののありようは確率に依存することから、パラレルワールド等と言う概念がノーベル賞級の学者によって真面目に検討されるようになっている

社会もダイバーシティという言葉に代表されるように、ジェンダー、思想信条、生活様式の多様化が叫ばれてきており、これまで何千年も維持されてきた秩序が崩れてきているように見える

これらが人類にどのような変化をもたらすのかとつらつら考えるに、2つの可能性があるように思われる

一つ目 : 破滅

人類の持つ本能の下に科学技術、文化が進んで来た。その帰結として、現在地球上に生じている戦争、経済活動による貧富格差拡大、価値観の多様化による人類内での文化的軋轢が進んだ。これらの分断は埋めようのないものとなり、地球全体がコントロール不可能となり自滅する。まさに今回取り上げた展覧会のシナリオに合致する。展覧会では33人の人物による、33の滅びのシナリオとインスタレーションが陳列されている。そのシナリオの一つを引用しておく

1 理想主義者

今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。人間
は理想という名のもとにおいてはどんな惨たらしいことでもするものだ。自由、平等、博愛の名の下に、フランス革命のギロチンは休む暇もなかった。共産主義もバラ色の未来を人類に描いてくれた。そして大粛清が始まった。民主主義対ファシズムという単純化によって、広島、長崎の原爆投下は看過された。人は根源的に人を殺したいのだ。ちょっとした平和に人間は我慢ができない。平和はあまりにも退屈だ。個人主義、その拡大の民族主義、しかしそのまた拡大の人類愛には、殺すべき敵がいないので機能しない。個の確立とは他を滅することだ。その美しい理由を探すこと、それが理想主義者の使命だ。人間は理性と原始の衝動の間を振り子のように揺れてきた。そして理性が原始の衝動を凌駕することが近代のテーゼとなった。しかし今、理性は敗れ去った、もう一度原始の楽園に戻ろう。禁断の果実とは知恵そのものだったのだ。楽園を出る時、人間は失敗を恐れず、失敗を覚悟して、そして失敗をした。理想主義と理想主義は殺し合いを続け、そして世界は減んだ。

2016年9月3日~11月13日 東京都写真美術館
杉本博司 ロスト・ヒューマン 作品解説・出品リストより一部を引用

二つ目 : 次の人類への変容の前段階

上述したように科学技術は、知能において人類を凌駕するポイントまで来た。また、世界観においても従来の分析的・演繹的な手法では把握できないところまで来た。人類の一部は、その次の段階に向けての準備段階に入りつつあり、本人たちはそれとは意識せずとも、共同意識体というものに動かされているのではないか。上記のような人類社会の混沌があるレベルに達した時、彼らは、渡り鳥の群れが次の土地に向かってタイミングを見計らって一斉に飛び立つように、次の天地に向かうようになるのではないか。そういえば火星探査やテラフォーミングという言葉を良く聞くようになったのもこの動きの一角を覗かせたものかも知れない

以上、たまたま過去の展覧会の解説を目にしたのを機に、昨今の世間の状況と相俟って考えたことを書き記した。

最後に、観覧当初の感想を書いた記事のリンクを自分の心覚えとして残して置く。さらに数年後に世の中、そして自分の見方がどうなっているのか、見返してみたい ( 世 界 が 死 ん で い な け れ ば )

2023/01/14
んねぞう

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01 2023

Amazon 電子書籍出版

私の所属する写真教室で写真集を電子書籍で出版することになり、そのブックデザインを仰せつかった。当然初めての事なので少し調べてみたがよくわからず、とにかくWordで原稿を作成してアップロード、プレビューというサイクルを繰り返して作業を進めている。その中で、何故かわからないが挙動が不審な点があったが、経験を積むにつれてだんだんレイアウトが安定してきて、これで何とか人様に見てもらえるようなものにはなったかなと思っている。

ただ、電子書籍については、写真教室のメンバの中でもなかなかイメージを持ってもらえない人が多いらしい。私が一番恐れているのは、端末の種類と閲覧する向きによってレイアウトが変わることについて、メンバではなく、購入して下さったから「これおかしいんだけど」と言われることである。紙の書籍と違ってリフロー型で条件に応じてレイアウトを最適化(?)するのだが、この仕組みを理解してもらえない場合、泥沼になると思う。Kindle Direct Publishingの説明を読むと、固定レイアウトでの編集方法も書いてあるが難しくてよくわからず、そのような場合は専門の業者に頼む方法まであるようだ。

また、パソコン、スマートフォン、タブレットのKindleアプリではカラー写真は色付きで見られるのだが、Kindle専用端末は白黒専用だ。写真集の中には当然カラー写真もある訳で、「兄ちゃん、この写真カラーなんやろ、なんでワイの端末でカラーが出えへんねん、金返してくれや」と言われたらどうしよう、と心配である(なぜここだけ関西弁かはよくわからない。他意はありません)

2022/07/18
んねぞう

四つ切、半切のサイズ

年末年始にかけて時間があったので、年明け後しばらくして、落ち着いたら開催が予定されるかもしれない写真展の写真のセレクト作業をしている。展示サイズは四つ切と半切の2種類ということで、サイズを実感するためにA4の手持ちの用紙を張り合わせてそれぞれのサイズの紙を作ってみたりしている。以下は検討のための心覚え

 縦(mm)横(mm)縦(in.)横(in.)面積(mm2)縦:横
四つ切254305101277,4701.20
半切3564321417153,7921.21

上記でわかること。
– 縦横のサイズはインチ系で設計されている
– 縦横比は1:1.2で共通
– 半切の面積は四つ切のちょうど2倍(=A4の約2.5倍)
– 従って理論的に必要な画素数も半切は四つ切の2倍必要である

半切は自分が今使っている27インチの4kモニタの液晶画面の上端から2~3cmはみ出す程度の感じである

2021/01/01
んねぞう

01

01 2021

写真の写真を撮る-OmoidoriとiPhone SE 第2世代

プリントされた写真のスキャンにPFUのOmoidoriというキットを使っている。2017年に買って、そのあとiPhoneの機種変更(6s→8)に伴い、買い直した。今年の8月からiPhone SE(第2世代)への機種変更を考えていたが、そこでネックとなるのが、このOmoidoriの互換性だった。iPhone SE 第2世代が発売される直前にたまたまPFUからこのキットのサポート終了のアナウンスがあり、この時はすでにiPhone8とSE 第2世代の外形形状はカメラのレンズの位置まで同一であることは公知となっていたので、ダメもとでメーカに問い合わせてみたが、保障外とのこと

保障外でも、その可能性に賭けて機種変更して、今日動作確認して見た

結果はOKだった。同じ問題で逡巡している人がいたら参考にしてください

もちろんメーカは無保証だし、OSのアップデートでいつ動かなくなってもおかしくないので、当方は責任を負いません

以下はその記録

iPhone 8対応 PFU製Omoidori

iPhone SEをセットしてアプリ起動。OSはiOS14.2

動いた。

シャッターボタンを押して取り込んだ画像の表示

iPhoneの写真アプリでカメラロールを表示したところ。間違いなく取り込まれている

Omoidori一式。ケースと、手前の透明な板はカールした写真を押さえるためのカバー

先日写真集の写真を撮った時にもその難しさを痛感させられていたので、こんなに簡単に写真の写真を撮れることが、実はソフト・ハードが裏でいろいろなことをしてくれている(例えば顔認識、ホワイトバランス、2枚の写真を合成した際の照明の映り込み排除、さらに2L撮影時の画像合成)ということを改めて認識した

2020/11/22
んねぞう

写真の写真を撮る

今年の誕生祝いに、奥さんから何が欲しいか聞かれたので、以前図書館で借りた本で小島一郎の写真集を自分のものとしたかったことを思い出してプレゼントしてもらった。これを。折に触れてひっくり返して見ているが。以前安いプリンタに付属しているスキャナで、気に入ったページをスキャンして、これを自分のiPadに入れて見ていたのだが、このスキャナの最高の解像度(多分1200dpi)でスキャンしてもモアレ縞が酷かった。モアレ縞の発生しない最適な解像度があるのかどうか知らないが、写真集が自分のものになった今、気に入ったページの写真をカメラで撮影しようと思い立った

カメラは、自分の手持ちのカメラの中では、経験上条件が揃えば良い(くっきりした)描写をするOlympus E5と14 – 54mm(35mm判換算28 – 108mm)の標準ズームレンズ。本当は別に持っている50 – 200mmズームが使えればもっと良いのだろうが、引きが取れないので。距離的にはこの標準レンズの望遠端でちょうどページが収まる感じだ。Olympusでは50mmマクロの評判が良かったので、これで撮れば理想的なんだろうか

三脚でカメラをセットし、ページがめくれないように紙クリップでページを固定する。紙の腰が強いので、しっかり押さえなければページが盛り上がって画像が歪むが、あまりぎちぎちに抑えると製本が壊れそうになるので、そこの折り合いをつけながら

照明は、昼間は窓からの外光と室内の蛍光灯の照明、そして補助として100円均一ショップで買ったLEDライト。部屋が通りに面しており、お向かいの家の外壁が純白で、反射が強いので雨戸で少し遮って。紙面はコート紙で光沢があるので照明の反射を避けると変な角度になって狭い部屋で三脚の足の置き場に困ったり、その結果人間が変な格好で撮影をすることになったりすることをクリアしながら撮影

ライブビューで拡大しながらピントを合わせ、ミラーアップ機能を使って極力振動を減らし、シャッターボタンを押したらシヤッターが切れるまで息を止めて、そのままの姿勢でフリーズ

その結果、以前スキャンしたよりは大分ましな結果になったが、3つ課題があった

一つ目は歪み。レンズの収差からくるものと、写真集の位置決めが甘いことと、どうしても紙面を正確に平面にすることができないため発生する。ここはもうあきらめてLightroomの修正機能(水平、垂直方向歪み補正、回転)をフルに駆使して、妥協できるレベルまでもって行く

2つ目は色調。撮った写真と写真集を比べると、照明の影響もあるのだろうが、見た目がどうも違う。原画は白黒写真とはいえ大分セピアがかかっている。これもLightroomの彩度、色温度、色かぶり補正機能を駆使して妥協できる範囲まで追い込む。大体彩度を+20、色温度を+250~500°位上げ、色かぶりを+5~10程度の組み合わせで何とかなった。セピア調にするのに、色温度を上げ、そして色かぶりを緑に寄せれば、それらしい雰囲気になることが分かったのは収穫だ

最後はモアレ縞だが、何枚かの写真で発生した。これは流石のLightroom様でも如何ともし難く、再撮影した。絞りを変えたり、ほんの少しピントをずらしたりして撮影したところ、まずまず妥協できるレベルにはなった。前回と微妙に被写体との距離が違うことも功を奏したのかも知れない

写真の写真を撮ること一つを取ってもなかなか奥が深い。縦横、水平垂直を如何に正確にとるか、照明、色調、モアレ縞の問題それぞれに気を配って撮影されていることがわかる

これからjpegに変換して、iPadのフォトアルバムに1枚ずつ登録して行く作業、スライドショーを作る作業が待っている。楽しみながら少しずつやって行きたい。

※ 本稿では当初小島一郎氏の写真集の中から1枚の写真の一部を切り取り、作業のプロセスの紹介に使おうと思いました。これは小島氏の写真の芸術的価値を損ねる意図は毛頭なく、飽くまでも私のやったことの説明が目的ですが、たとえ一部であっても公衆送信権の問題もありそうで、掲載は控えることとしました。もしこの記事をご覧になっている方がおられましたら、一体何のことだかわからない記事となりましたこと、お詫びいたします。なお、撮影した写真は私個人で楽しむ目的ですので著作権法上は問題ないと判断しています。因みに当該書籍は「小島一郎写真集成」青森県立美術館監修、(株)インスクリプト、2012年12月10日初版第5刷です

2020/09/27
んねぞう

コサイン誤差

先週の写真教室で、フォーカスのところでコサイン誤差のお話があった。これまで雑誌などでコサイン誤差という言葉が出てきて、何となくこういうことかな、という感覚でいたのだが、この機会に、何故三角関数の「コサイン」が出て来るのか、何故サインでもタンジェントでもなくコサインなのか、検証して見た。

以下はその結果。知っている人は見る必要はありません。あちこち脱線するかも知れないし

まず、コサイン誤差の発生する状況の設定

同じ焦点面(焦平面ともいうらしい)に真珠と豚を配置する。真ん中に豚、右寄りに真珠を配置する構図とし、焦点は真珠に合わせたい

豚に真珠

撮影の手順として、カメラを構えたらまず右の真珠に向けて焦点を合わせてロックする。この時の焦点距離をf1とする(上から見た図)

次に、カメラを豚の方に向ける。この時カメラを振った角度をθとする。また、真珠と豚は目的とする構図の同一焦点面にあるので、カメラと豚の距離は、カメラと真珠の距離とは異なって来るはずである。この距離をf2とする

そのままシャッターを切ると、その結果、写真は多分こうなるだろう。豚も真珠もぼける。コサイン誤差が被写界深度を超えた場合は(だよね)

豚に真珠

ここまでの理解は、多分正しいのではないか。間違っていたら、これから先の議論が台無しになるので、その場合はそっと教えてほしい。そしたらこの記事もそっと消すから

いよいよこのコサイン誤差の定式化だが、下はこれまでの説明をまとめた図。ここでは、このコサイン誤差は次のように定義する

コサイン誤差

コサイン誤差(仮にεとする) は、 真珠に合わせた焦点距離 (f1) と、正面の豚とカメラの距離 (f2) の差

ε = f1 – f2

となる。ここで

f2 = f1 cos (θ)と表現できるから、

ε = f1 (1-cos(θ))

と表現できる。なるほど。このように三角関数のcosineを使って表現できるからコサイン誤差というのだ

試しに、f1=1000mm、θ=30° としたらコサイン誤差はどれくらいになるか計算したら、約134mmとなった。これと実際の被写界深度を比較して見る。例えば、50mmの標準レンズをF8に絞った場合

前方被写界深度 87.59 mm
後方被写界深度 106.19 mm
被写界深度 193.78 mm

となり、豚も真珠も焦点面より前にあるので、多分前方被写界深度が適用されるだろうから、87.59mmに対してコサイン誤差134mm、全然ダメということがわかる

ひとつすっきりした

と同時に、被写界深度は前方と後方が異なるということがわかってしまった。この物理的直観がつかめないという課題が…

※ 被写界深度の計算には 「keisanサービス」https://keisan.casio.jp/exec/system/1378344145 のお世話になりました

2020/08/09
んねぞう

09

08 2020

写真のアスペクト比について

昨日の写真教室で、今月の写真展(コロナウィルスの影響で中止になるかも知れないが)に出展する写真について、講師の先生から指示があった。 写真展の全体の統一性を考慮し 、サイズは四つ切指定。したがって、私はこれまで1:1.4のアスペクト比で撮影していたものを、今後は1:1.2のアスペクト比での撮影となる。今日もお寺を何軒か回って撮影したが、どうしても撮るときはファインダー全体(1:1.5)で構図を設定しているので、帰ってトリミングするときに戸惑うことが多い。歳をとってくると変化に対応するのに時間がかかるので、これは時間をかけて慣れて行くしかない。

それよりも困るのは、四つ切のプリンタ用紙が店頭ではなかなか手に入らないことだ。白黒用のプリント用紙に至っては、50枚で4,000円以上する。私にはとても手が出ない。

しかし、良い点もある。以前のアーティクルで書いたように、これまで私が常用して来たA4と比較して約24%も面積が広い。これで多少写真の訴えの量も増えるかも、という期待ができる。わかっています、良い写真はプリントの大小に関係ない、ということは。しかし私はそれすらも動員しないといけないレベルですんで、はぃ…(居直り)

2020/03/21
んねぞう

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03 2020

長屋門写真集

私の属している写真教室の先生の制作された写真集がWebで公開された。私はそのレイアウト、というかBlogの設定作業をさせていただいた。「長屋門の四季」というタイトルにしたので、春夏秋冬のカテゴリーでアクセスできるようにしたいと思って悪戦苦闘し、何とか形にしたが、一部どうしてもスマートに行かず、画面がダサい部分があって、これが悔やまれる。これは偏に私の責任である。

しかし、これ以外は非常に内容の濃い写真集なので、是非見て頂きたいと思う。

長屋門の四季

2020/02/28
んねぞう